30. 牢内の騎士


 農夫によると、元々監獄塔自体は建造物としての価値が高く、長年補修され続けてきたのだと言う。中でも中央塔に割かれる予算は桁違いで、他の建物よりも丁寧に扱われてきた。


「なるほど、それで綺麗なままなんですね」

「で、それをどうして俺たちに? わざわざアンタが調べたのか?」

「仲間を集めて不審な点がないか確認し合っているんだ。さすがに危機感を覚えたからね」

「派手に動き回って勘付かれるなよ」

「わかっているさ」


 農夫はテイザと言葉を交わし、大いに慌てた。ついでに同じ牢の男たちにも「殺されているんじゃないか」という意見がハッキリと耳に届き、大いに刺さったということである。


「今まで気にしたこともなかったが、妙に対象が絞られてることがわかっただろう? だからおかしいって話になったんだ。『連れて来られた』のは若い男ばかりで、『既に居た』奴は随分と年齢が高い」

「既に居た? 中央塔にか?」

「そう、一人だけ悪魔の騒動で連れて来られたんじゃなくて、牢の中に最初から居たんだよ」


 テイザとキサラは顔を見合わせた。ジェリエは寝台に横になり、話を聞いていない様子である。


「どういうことだ?」

「俺たちにもわけがわからないんだ。ただ、仲間が『あれって騎士様じゃないか』って言うんだよ」

「何?」


 それは勇退したはずの元騎士で、壮年の男だという。かつて監獄塔の管理に携わり、武勇を誇った人物。そんなわけがないと皆一様に驚いたが、言われてみれば立ち振る舞いが「それらしい」。背筋は伸び、体格も良くて筋肉も付いている。気付いてみればかなり目立つ容姿なのだが、気配を殺すのが非常に「上手い」。


「一人で牢に入っていて、他との接触はまるでない」

「独房ってわけでもないんだろう? いかにも訳アリだな」

「あの、労働時間中に接触って出来ますか」

「君たちが話をするのかい?」

「大人が行くよりは警戒しないかと」

「なるほど、確かにそれもそうだ。案内は俺に任せてくれ」

「助かる。俺の名はテイザだ」

「僕はキサラです」

「俺はオルデル、短い付き合いになることを願っているよ」


 度々言葉を交わすことはあったが、名乗り合ったのはこれが初めてだ。何かと意見を交換し合いながら労働時間を待つ。


「俺の畑は収穫時期が近い。妻だけでこなせるとはとても思えないんだ。もしもここから上手く抜け出せるのなら、礼はさせてもらうよ。といっても、俺が出来ることは野菜を分けてやるくらいのものなんだが」


 そんな話をしている内に各牢が開かれ、一斉に労働場所へと移動する。通常の囚人とは違い、抵抗と脱走の心配がないため一度に移動させられるのだろう。



 さて、件の騎士は遠目から見てもわかる存在感だった。ここが監獄塔の中だから違和感がなかっただけで、髭も髪も伸び放題。明らかに異質である。


「彼が例の?」

「ああ、さっきも言った通り元々はこの監獄塔の騎士様だった。名前はバルセルゲン・ハドロニア。通称ハドロンの槍」

「どうして今まで誰も気が付かなかったんだ」

「そりゃこんなところに居るなんて誰も思わないからさ。俺だって王都に呼ばれたもんだと思っていたよ。何せ、平民でありながら騎士として認められ、爵位まで与えられたようなお方だ。まさか連中は本気で、あの方が悪魔に取り憑かれとでも?」


 悔しそうにするオルデルの肩を、隣に居た男がポン、と優しく叩いた。バルセルゲンという男はこの辺りでは憧れや尊敬の対象である。

伸びきった髪の毛や髭で顔がほとんど埋まり、見えているのは目と鼻だけだ。人相がはっきりとしないので、今まで誰にも気付かれなかったのだという。着ている服もボロボロで、長期に渡り幽閉されていたことが窺える。


 では全てを諦めているのかと言えばそれも違うようだ。近くに寄ればその目元にはっきりとした光を見ることが出来る。


「ハドロニア様」


 キサラの呼びかけに彼は目線だけで応えた。テイザ、オルデル、ジェリエと視線を移してから用件を促すように膝を叩く。

なお他の面々はさり気なく辺りを囲い、キサラたちが目立たないようにしている。


「私に声をかけて来たのはお前たちが初めてだ。質問には答えるが、他言は無用。具体的には何が聞きたい」

「何故貴方程の騎士様がこんなところに。一体何があったのですか」

「これは独り言だが」


 バルセルゲンの目は中央塔を捉えていた。僅かに見上げ、ポツリと零す。


「おぞましい者たちが居る。到底騎士とは呼べん」


 オルデルの喉がごくりと鳴った。


 騎士は民衆が憧れる存在だ。キサラの住む村には居なかったが、時折聞こえて来る活躍には皆が心を躍らせていたものだ。

中でもテイザは幼い頃騎士を目指していた。多少成長して「貴族でなければ難しい」と理解するようになればそれも変わったが、男であれば一度は憧れる職業である。


 魔物から民たちを守り武勇を飾る。多くの物語で華々しく活躍し、主役として躍り出ては人々の心を掴んで離さない。それが平民たちの夢見る騎士の姿である。


 そして目の前に居る人物もまた、騎士だった。

浮浪者のような身なりでありながら、理性を失わない声と衰えない体躯。今が現役でないということに、違和感さえ覚えるほどの迫力がある。


「連中は酷く焦っている。お前たちも気を付けることだ」


 そこで合図があった。

普段誰も寄り付かない男の傍に子供が居る。そんな光景は余程目立ったのか、見張りの兵士が駆け付けた。


 咄嗟に機転を利かせたテイザが「この男は不衛生じゃないか、身なりくらい整えさせろ」とその見た目に文句をつけた。見張りはなんだそんなことかとでも言いたげな顔で「我慢しろ」と釘を刺す。

それからキサラたちはごく自然にその場を離れた。これ以上の接触は望めない。


「ハドロンの槍なら俺も聞いたことがある。真面目で誠実な人物だと評判だったはずだ」

「そうとも、ここらにいる人間で彼の人柄や功績を知らない奴は居ない。あの偉そうな騎士たちは終わりだな」

「そういうものか?」

「出身はどうあれ爵位持ちの騎士様だぞ? それを不当に扱ってるんだから、痛い目に合うはずだ」

「他の騎士も爵位くらい持っていると思うが。それも由緒正しい、伝統とかのある家だ」

「あ、ああー。でもほら、そう、爵位をくれるのは王様なんだろう? だったらこう、顔に泥を塗るというか。な? あんなことをしたら王様の顔中泥まみれだ。違うか?」

「確かに王族を泥まみれにしたら終わりだな」

「でもどうしてハドロニア様は中央塔に入れられたのかな。悪魔騒動が始まるずっと前から居たみたいだし」

「それが一番の謎だな」


 ちなみに中央塔での労働は「外に出て雑草を抜く」だけである。作業用の道具は何一つ持たされない。これは一見地味な作業だが、ここの雑草は放っておくと人間を覆い隠せるほど大きく成長する。つまり脱走防止の一環なのだ。

しかし兵士や騎士は誰もやりたがらないので、そこに居る奴らを使えといった経緯があるらしい。


 押し付けられて不満が出るかと思いきや、労働自体は概ね好評である。短時間ではあるが、外に出るだけで息抜きにはなるからだ。

中央塔から離れられないと言っても外は外。開放感は牢の中と比ぶべくもない。


 時間中にむしった雑草は一房分集めてから緩く束ね、積み重ねていく。雑草自体はこの後乾燥させ、野外に灯す火種に使われるらしい。


「キサラ、これ束ねておいてくれ」

「わかった」


 手さえ動いていれば見咎められることはないので、キサラはわざと高い位置に持ち上げてみたり、少し角度を変えながら作業をする。こうすれば手元を見るフリをして色々な場所を観察出来るのだ。

 そうして見ていると、複数居る見張りの内なんと半数がバルセルゲンを監視していることがわかった。三方向からの視界に隙はなく、再び接触の機会を計ることは出来ない。


「曲がりなりにも武功で爵位を得た方だ。どうして逃げないのだろう」

「確かに噂通りの強さなら、見張りの兵士なんて相手にもならないな。脱走しないってことは何か事情があるんだろう」


 両隣や正面など、話しかけられる位置には誰も居ないらしい。騎士たちとしても彼の正体が明らかになるのは避けたいということだ。もしもバルセルゲンが自らの意思で牢を出ない選択をしたのであれば、味方になってもらうのは難しいだろう。


 一部が傭兵であることを考えれば取引の余地はあるが、交渉材料が今のところ何もない。


「そういえば、騎士たちが全く顔を見せないな」

「ここ数日誰も姿を見ていないらしい。侵入者の件で何かあったのかもしれないな」

「何にせよ憲兵隊の騎士が不正を行っているのなら、頼れるのは自警団や衛兵になるか」

「心許ないな」


 騎士たちだけで成り立つ「憲兵隊」、実力者を集めて組織された「衛兵」、地域ごとに存在し、平民を中心に結成される「自警団」。

それぞれ取り締まりや治安維持に携わり、罪人捕縛の権限を持っている。


 衛兵とは、組織及びその所属を指す言葉である。王や貴族に従じる騎士とは違い「公平中立」の立場を宣言している者たちで、活躍は捕縛に留まらない。特異な例ではあるが、裁判官や弁護士を兼任し、その後の裁判を担うこともあるようだ。

 権力の介入により真実が捻じ曲がることを特に嫌っており、魔女や半成といった差別対象に対しても同等の権利を認めた上で裁いている。今回騎士を相手にするならば最も頼れる組織と言えるだろう。


 そして自警団は、憲兵隊や衛兵が即時対応出来ない場面を補う。有事の際は抑止力にもなる存在だ。彼らの役割は捕縛に留まり、衛兵や憲兵隊に対象を引き渡すまでが仕事である。


 この監獄塔は憲兵隊によって管理されているが、不当な捕縛・拘束があれば衛兵に訴えるのが一番だ。上手く手続きが出来れば助け出される可能性もあるのだが、面会謝絶はこれを妨げる狙いか。


「ああ、でも不当行為に関して訴えかけるなら、協会の方が効果的かもしれない」

御伽ノ隣人フェアリーテイル・ブックですか」

「確かに、協会連中は差別なんて言葉聞いたらすっ飛んでくるだろうな。悪魔の疑いをかけられたこと自体侮辱行為に当たる」

「そうですかねー、協会を動かすのは無理だと思いますよー? 牢内に居るのが魔女だったなら話は別ですがー」


 御伽ノ隣人フェアリーテイル・ブック、通称・協会の活動は多岐に渡る。

現在は妖精や魔女、半成の保護などを積極的に行っていることで有名だ。差別される種族の地位向上などを広く呼び掛けていることでも知られている。

 協会の主目的は「保存」であるとされているが、それが何を指すのかはわからない。肝心なところは伏せられているので、長年謎の多い組織である。


 体質として差別を嫌うため、多くの騎士団と対立し衝突が絶えないのだとか。これは現代に至っても未だに半成を中心とした不当な捕縛・拘束が多いためである。


 労働時間が終わり、牢に戻っても話は続いた。


「一番確実なのはこの事態を知ってもらうことですよねー」

「告発をしろって?」

「変に探りを入れるよりは早く解決すると思いますよー? 騎士関連は王様の管轄ですしー」

「でも、監獄塔内の問題が誰の指示で起きたのかわからないし、下手に動いたら騎士たちじゃなく僕らの方が排除されるかも」

「王様が不当な拘束を認めるとは思えないんですけどねー?」


 そこで見回りが来たので会話を止めジッと息を殺す。ファリオンの侵入が響いたのか、巡回時間の間隔が短くなり、人数も増えてしまった。更に会話をしていると睨まれるため、誰もが黙り込む。


「行ったか?」

「私語も厳禁だなんてー、まるで本物の囚人みたいな扱いですよねー」

「やめろ、空気が重くなる」


 あちこちから重いため息が聞こえて来た。「早く帰りたい」なんていう嘆きも混ざる。

同じ壁、匂い。監視され隔離され抑圧された自由の無い生活に、終わりはまだ見えない。皆一様に疲弊していた。


「なぁ、何だか様子がおかしくないか」

「また見回りが来たね。こんなに早く来ることあったっけ」

「落ち着きもまるでないな。バタバタして慌ただしい」

「相変わらず騎士様は一人もお見えになりませんねー」


 他の牢からもヒソヒソと声が聞こえる。

オルデルを含め、男たちは情報収集を始めたが、全員が動いているわけではない。


 傍観を決め込んでいる者や、とばっちりが来るのはごめんだと反発している者も居る。動向が筒抜けにならないよう警戒する相手は、兵士や騎士に留まらないということだ。いつ取引材料として差し出されるかわからない。


「ファリオンさんなら衛兵や自警団に連絡を取ったり出来そうだけど」

「外部からの侵入はこの通り、厳重な警備になったからな。証拠集めも出来るかどうか」

「じゃあ手紙を出すとか。嘆願書を量産したらさすがに無視は出来ないはずだよね」

「キサラくんは文字が書けるんですかー?」

「一応、簡単な読み書きなら。でも畏まった文章は苦手で」

「もしかして高貴な方だったりしますかー?」

「いやいや、普通の村人だよ。父が文字の読み書きを教えてくれただけで」


 文字を扱う人物はごく限られていて、貴族や商人など、中流層から上流階級に集中している。それ以外は読めて数字程度だ。

教養を得るための学校は、王都など限られた都市にしか建てられない。教わる機会も場所も、地方ではほとんどないのだ。


「キサラくんのお父さんが訳アリさんですかー」


 ジェリエはごろりと寝台に転がり、何事かを呟いた。


「僕らの村には一応図書館があったけど、皆本は読んでなかったな」

「それって読めないってだけなんじゃないですかー」

「確かにそうかも」


 読めもしないのにわざわざ手に取ろうという人間は居ない。大した労働力にならないキサラが商会に雇われたのは、文字の読み書きが出来たおかげでもあった。

それで疎ましく思われていたのだと、今では何となく察している。


「そういえばファリオンさんも本を持っていたけど、お貴族様だったりするのかな」

「さぁな。俺もお前も本来なら文字とは無縁、奴も同じかもしれない」


 預言者と、その弟子であるファリオンは古代の手記を読み解いた。「各地の伝承が」と言っていたことも考えれば、扱う言語は一つや二つではないのかもしれない。


「農夫は数字くらいしかわからないと言っていたな。見回りは傭兵ばかり、騎士が現れない今なら書簡の一つや二つ、堂々と持ち歩いても大丈夫じゃないか?」


 例えば、何か文章を宛てても内容を把握出来ない可能性がある。騎士の多くは貴族籍の人間で文字も読めるが、居ないのであれば確認も取れない。


「わざと取り上げさせて嘘の情報を掴ませることだって出来る」

「キサラくんが文字を書けばー、勝手に貴族様だと勘違いしてくれるかもしれませんねー」



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