29. 塔に紛れる


(誰だろう)


 挨拶をされたので同じようにおはようございますと返して起き上がる。パッと見た印象ではキサラと同じくらいか少し下の年齢に見えた。中性的な顔立ちだが、同じ牢に入れられた以上性別は男なのだろう。

見た目だけで言えば集められている年齢の範囲に一致しないが、それはテイザやキサラも同じだ。きっと事情があるのだろうと一人納得していれば、テイザが歩み寄って来て額や首などに手が置かれる。


「熱はなし、怪我も見られない」


 腕や掌が念入りに確認され、もしやガヴェラと対峙しているときに怪我を疑われることでもあったのだろうか、とやや緊張する。


「あれから二日、いや、夜が明けたから三日だ」

「三日!?」

「静かに、体に障る」

「キサラくん、調子はどうですか」

「えっファリオンさん」


 どうしてここに、と言いかけてハッとする。“声”との意識交代は兄との秘密であるから、ファリオンや新たに牢へ加わった人物は事情を知らない。下手なことは言わない方が良いと慌てて口を噤んだ。


 それにしても何故腕が燃え出したのか。キサラと目が合うなり左手が発火したにも関わらず、ファリオンは平然と佇んでいる。服に引火でもしたらどうするつもりなのか。そしてどうしてキサラ以外の誰も驚いていないのか。

熱さが不意に増した気がして、キサラは慌てて顔の前に腕をやった。


「ファリオンさん、熱いです」


 熱気に負けて叫ぶとやっと火が消えた。本人は熱くないだろうかと窺えば、どうやら汗一つ掻いていないようだ。すみません、熱かったでしょうなどと謝罪が上がるが、キサラには何が何やらわからなかった。


「具合は大丈夫ですかー?」

「あ、はい勿論」


 口では問題ないと返したものの、多少の違和感はある。今までは言葉を多く交わさない状態でも、“声”の表面上の考えを理解出来たし、相手の感情に触れられた。それなのに、今は“声”の気配が遠ざかっているような、不確かな繋がりに思える。


(解呪が進んでいる?)

〔ま、そうだろうな。ちなみにそいつはジェリエという。さっきそう名乗ってたぜ〕

(ジェリエさんだね、わかった)

〔にしても慣れねぇ感覚だ。紫瞳の野郎が言ってた『呪いの一部が溶けた』ってのは本当のことらしい〕


 長時間表に出張ったことで体力の消耗はあったが、をしたから問題なく会話出来ているらしい。確かに、疑似空間で見た時計の様子からして、譲渡された魔力は残っていた。しかし補給とは一体。


〔感情の共有部分が特に鈍くなってんな。まぁ俺たちにとっちゃ喜ばしいことだ〕


 つまり互いの繋がりが希薄になり、やがて完全に途絶えるのが解呪完了の証明になる。多少の不便こそあるが、進捗としては望ましいと言えた。


「ええと、まだ寝惚けているみたいで。ジェリエさん、ですよね」

「気にしなくて大丈夫ですー。さっきみたいにジェリエくん、って呼んでくれて良いんですよー」

「え、と。ジェリエくん?」

〔オイ引っ掛かってんじゃねぇ。俺は一度もコイツの名前なんざ呼んじゃいねぇよ〕


 騙された。顔立ちはふんわりと柔らかで穏やかな天使のようなのに、このしてやったりの顔はどうだ。テイザは「この詐欺師」とジェリエを罵り、顔を片手で覆ってしまった。


〔外見に惑わされるな、コイツはそこらの悪魔よりよほど性質が悪いぞ〕

(そういうことは先に言ってもらえるとありがたいんだけど)

〔俺たちも探りを入れちゃいたが何も掴めなかったぜ〕

(やられてる)


 テイザにはジェリエとファリオンに「勘付かれた」ことを悟ったが、最早逃亡を企てるに値する状況なので誤魔化す必要もない。


「さっきの人とは違うんですねー」

「まぁ何となくわかってはいましたが」

「それよりも状況を忘れていないか? そろそろ俺たちをここから出して欲しいんだが」

「出来ませんね」

「解放の意思はないってことか。それで? 自由でも見せびらかしに来たのか?」

「最初は皆さんを逃すつもりでしたよ。ただ、牢の鍵がどこにも見当たりません」

「騎士が持ったまま巡回しているんじゃないのか」

「そう簡単な話ではないようです。目につく場所ならすべて見て回ったのですが、どこにも」

「だったら一体誰がどこで管理している?」

「それがわかっていれば今頃ここは開いていましたよ」


 巡回経路、見張り交代の隙を狙って鍵の所在を探ったが、ファリオンにはついに発見出来なかった。なので情報共有だけでもとテイザとキサラの前に現れたのである。


「不定期で収容する人員が増えていることを考えれば、塔内にあるのは間違いないでしょう。見張りでも巡回でもない誰かが持っていることは確実ですが、お偉方の部屋や常駐する騎士たちの住まいにもありませんでした。こうなると、後はどこを探せば良いのやらわかりませんね」


 思っていたよりも広範囲で捜索が行われている。テイザとしてもここなら、と思う場所にすら無い。

一方ジェリエとキサラはそんな二人を横目に見つつ、少しぎこちなく言葉を交わしていた。


「これも何かの縁ですしー、堅苦しいのは抜きにしましょうー」

「でも、ジェリエくんも敬語じゃないですか?」

「厳しく教育されていたのでー、自然とこうなってしまうんですよねー」


 ジェリエの言う「厳しい教育」では間延びした喋りが許容されていたのだろうか。キサラが首を傾げると、興味深そうに眼が細められる。


「そんな風に歪みが出てしまうとー、体への負担が大きいと思うんですよー」

「歪み、ですか?」

「ごくたまに居るんですよねー、形が少し変わっている人ってー。でもキサラくんの場合規格外ですよねー、魂が二つもあったら納める器が壊れちゃいますよー」


 キサラはその瞬間呼吸が止まった。テイザとファリオンの会話はいつの間にか止まり、視線が集中している。

ジェリエはゆっくりと近付いてキサラの胸に手を置いた。ちょうど心臓の上、魂の収まる位置だ。


「何の、ことですか」

「あー、肥大化や分裂にしては繋ぎ目がおかしいと思ったんですよー。試しに断面を弾いてみたら君が出てきて驚きましたー」


 ジェリエには一体何が見えているのか。胸から離れた人差し指が曲がり、縦に真っ直ぐ下ろされる。同時に胸の奥が酷く痛んで、キサラは反射的にその腕を払いのけていた。


 目に見えない場所、心臓を直に抉られるような不快感。同じ感覚が“声”にもあったようで、呻きのような唸り声が耳の奥にこだまする。


「妙に引っ掛かっていた部分は解いておきましたー、痛みがあったのなら謝りますねー」

「それは確かに痛かったですけど。あの、ジェリエくんには何が見えているんですか」

「鍵、見つかると良いですねー」

「え?」


 急に話題が変わった、と思ったらジェリエは目元を抑えていた。キサラはナキアから事情を聞いていなければ「変な人だ」という感想で終わらせただろうが、彼の言葉は的確かつ詳細である。


 キサラだけではなく、ファリオンやテイザの目つきも変わった。彼の発言を「頭がおかしい」と流す人間はこの場には居ない。


 テイザはさり気なさを装ってキサラの傍に寄る。また何かをする素振りがあれば盾になるつもりだ。


「兄さん。ジェリエくんがここに加わったってことは、僕らの疑いは晴れたのかな」

「いや、それならとっくにここから出されているはずだ。大方ガヴェラが俺たちを逃がしたくないんだろう」

「騎士が魔族と通じてるってこと?」

「わからないが、ガヴェラは俺たちがお目当ての魔物ではないと知っている」


 騎士と魔族が手を取り合う共通目的とは一体。


「それから、赤目のことだが」

「赤目?」

「ああ。キサラはわからないだろうが、奴が表に出てくるときは毎回目の色が赤く変化している。だから赤目だ。──とにかく、その赤目が『体の中からキサラが居なくなった』と言っていた。もしかしてあのときガヴェラから何かされたのか?」

「入れ替わり以外には無かったと思う。そっちでは何かあったの?」

「わからないが、赤目が突然苦しみ出した。何らかの異常が出ていたのは間違いないが……キサラの体調はどうだ」

「普段と変わりないよ。どこかが特別不調って感じでもない」


 ぐっぐっと掌を開いて閉じて、足を動かしてみるが特に痛みはない。呼吸も正常で、強いて言うならジェリエが「何か」したときが一番苦しかったぐらいだ。


「それから、お前の不在時に赤目は火を食べていた」

「火。ひ? ヒ……ひって?」

「炎だ。ジェリエと言ったな、アイツが必要だと言うからその要求に応じて、あの魔術師が腕を燃やした。キサラ……じゃなくてまぁ赤目だが、こうやって腕を掴んで顔からガッと」

「死ぬ」

「生きてたな。見たところ火傷もない」

「溶けてない?! 燃えてない!?」

「大丈夫、大丈夫だ、焦げてもいない。落ち着け落ち着け、無事だ無事」


 わぁわぁ慌てるキサラを抑えつけ、騒いだら兵が来るからとなだめる。確かに、あれだけ遠くで熱いと言っていた炎に、「顔面から突っ込んだ」と聞かされたのだ。正気でいられる人間はそう居ないだろう。


(何てことを)

〔異常が起きてたのも消耗が激しかったのもマァ事実だ。魔力は限界まですり減ってたわけじゃねぇが、お前が離れていたことで器の方が限界だったんだろ〕

(魔力があったなら火は何のために)

〔その辺りは俺にもわからねぇさ、何せ俺自身炎なんざ考えもしなかったからな。コイツはどういう理屈でそれを知り得た? 不気味な野郎だぜ〕


 緊急時の処置として「炎を食べさせる」なんて発想、普通あるだろうか。結果として的確だったが、「ジェリエ」という人物はガヴェラという魔族よりも異質である。こんなにも判断力、決断力、観察力、考察力が備わっていて連行・拘束・投獄に甘んじる理由とは何なのか。


(まさか、わざと捕まった?)

〔だろうな〕


 助けてもらっておいてという罪悪感はあるものの、キサラにとってジェリエは「警戒対象」になった。まず目的も正体もわからない。奇妙な能力も相まって今は彼が一番「怖い」のだ。


(あ。今更だけど口の周り火傷とかしてないよね。あれ結構熱かったんだけど)

〔熱い? ぬるいくらいだったろ〕


 距離があっても汗を掻くほどの熱だった。あれを直に浴びるなんて考えるだけでも恐ろしいのに、悪魔はぬるいと言う。同じ肉体を動かしているというのに、キサラと悪魔の感覚には大きな差があるようだ。


〔コイツとはこの場限りだと割り切って接しろ、隙は見せるなよ〕

(忠告ありがとう)

〔後のことは上手くやれ〕

(そっちは?)

〔所詮その場しのぎの処置だ。俺は寝る〕


 ふっと“声”の意識が遠退いた。聞きそびれたが、精神体を休ませた場合魔力は回復するのだろうか。もしも新たに補給が必要なのだとして、魔力ではなく炎での代用は可能なのか。


 キサラの視線はこうしている間にも抜かりなくジェリエに向いている。その発言は知識から導き出されるようなものではなく、直感や経験に寄っていると感じた。


「素性はわかっているの?」

「全く。この辺りに住んでいる人間でもなさそうだ」

「旅人かな」

「何にしろ積極的に関わる必要はない。適切な距離は取れ」


 ジェリエは目を閉じて寝台に座り、壁にもたれ掛かっている。寝ているのか、起きているのか。この距離であれば全て筒抜けだが気にする素振りはない。

キサラは迷いながらも頷き、首や肩や足首を回して体をほぐす。何といっても三日ぶりの肉体なので慣れておきたかった。


「では私はこの辺りで失礼します。そろそろ縛り上げて置いた見張りも発見される頃でしょうし」

「どうしてそんなことをしたんだ」

「見つかったので」

「見つからないように立ち回れよ」


 にこっとファリオンは微笑むと、そのまま外套を翻し颯爽と去って行った。侵入者の肩書に似合わぬ堂々とした歩き姿である。今後塔の警備は強化されるだろう。


「何しに来たんだアイツは」

「結果として事態は悪化したけど、一応助けに来てくれただけだから」

「もう誰も何もするな」


 項垂れたテイザの背中をさすってやりながら、キサラもうんうんと頷いた。いつの間にか目を開いていたジェリエは、立ち上がって呑気に壁をなぞっている。


「この塔ってちょっと綺麗過ぎませんかー?」

「は? よく見てみろ、床が剥がれて地面も剥き出しだ。新築の家ならまず家主が暴れ出すぞ」

「そういうことじゃなくてですねー。ほらここ見てくださいよー、この鉄格子なんか錆びてませんよー」

「今回の件で、本来牢じゃない空間も拡張したんじゃないですか?」

「でも考えてみてくださいー。普段使っていないってことはつまり放置されていたってことになりませんかー?」

「確かに」


 歴史を感じる古びた場所という印象ではあったが、よくよく考えれば長い年月を重ね今に至る建造物だ。受ける印象が何十年程度の荒廃感ならば、異常な程綺麗と言える。何せ床の一部が剥がれている程度で、壁は組み上がったまま。鉄格子さえ取り換えれば牢としてそのまま使用出来るのだから。


 堕天使が討たれたのは遥か遠い昔。この中央塔は潰されもせず風化もせず、何故これほどまで綺麗なまま健在なのか。


「本当にこの塔、使われていなかったんですかねー」


 何らかの意図があって、使用され続けていたのではないか。ジェリエの瞳はまるで問いかけるように二人へ向けられた。



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