31. 手紙の宛名


 キサラが疑似空間へ降りると、ナキアが既に寛ぎながら待っていた。砂時計を見上げれば特に妙なものはついておらず、ひとまずホッと息をついてから現状を報告する。


「──炎を食べた、か。呪いに付属した効果か、奴特有の性質なのかまだ判断が付かぬな。一応は経過の一部として記録しておくとしよう」


 ナキアの指が持ち上がり、くるりと回る。すると指の間に大きな羽が一本現れた。反対の手で机の上を撫でれば、今度は植物紙が浮き出て来る。

最初の一文字を書いた後ナキアが指を外すと、そのまま羽はひとりでに動き出した。そうして何事かを書き留めると、ピタリと止まる。


「見たことない字だ」


 外の国のものだろうか。首を傾げるキサラを見てか、ナキアは頼み事があると切り出した。


「この通り、私はキサラから見て異国の者だ。会話であれば問題ないが、この国の言葉を読み書きすることは出来ない。そこで、私に文字を教えて欲しいのだ」

「ええと、僕は地方の田舎出身だから、標準的な言葉遣いとは少し違うかもしれない」

「というと?」

「公的な場で地方特有の言い回しや表現は好まれないことがあって」

「いや構わない。感謝する」


 ナキアは出身を名言しなかった。彼の扱う文字も気になるので、機会があれば教えて欲しいと約束するに留まる。

次にキサラは羽と紙を渡され、まずは数字から書き出していった。ナキアが手元を覗き込んでいるためか、影が手の上に落ちる。


「形がしっかりしているな。指の動きも悪くない。書き慣れている」

「主に代筆をやってたからね。読みやすいってよく褒められたんだよ」

「頼もしいな」

「あ、そういえば僕、言葉が」

「良い。粗野な言葉は時折耳にすることもあるが、大抵畏まったものばかりが聞こえるのだ。新しいものに触れる喜びを私から奪わないでくれ」


 ナキアは一体どんな環境で暮らしているのだろうか。キサラは未だ、「古代の呪いを解く」という目的以外の何も知らない。人間でいうところの貴族のような、高貴な立ち位置であるのかもしれない。そうは思ったが、何故か緊張はしなかった。

 そもそも妖精界の事情は謎に包まれている。何せ現代でも「そんなものはない」とされて来たのだから。


(──待てよ?)


 「妖精界は無い」という認識が一般的であるのに対し、「精霊の穴」について誰も疑問を抱かないのは何故なのか。キサラが深く考え込む前に、ナキアの声が現実に引き戻す。


「それで、これは何を書いているのだ?」

「僕らの国では、どんな身分の人でも数字だけは読めるから。取り敢えず一通り書いてみたよ」

「文字は何故学ばない?」

「口頭で済むから、かな。平民の間だと細かいやり取りってあまりしないんだ。あ、でも数字は値札に使われるでしょう? 買い物は皆自分でやるから読めるんだ」

「先ほどキサラは代筆と言っていたが」

「貴族様や商人、役場の人たちは普通に文字を扱うから、そこからお仕事が来たりするんだ。本の写しとかでね。王都に住んでいる人たちは手紙のやり取りが普通にあるって話も聞いたから、もしかしたら学校のある地域では身分とか関係ないのかも」

「ではキサラの村には学校がないのか」

「うん、そう。教える人も、教わりたい人も居なかったからね」


 キサラの暮らしていた村では主に林業が盛んだった。木々を倒して薪を得るのに文字は要らない。だから仕事と言えば力仕事がほとんどで、あまり体が成長しなかったキサラは煙たがられたのだ。

特に平民は技術を指で覚え、体で知る。文字に頼る必要がほとんどない。


「学ぶことは尊いことだけれど、今日を生きるために必要でなければ意味がない。そういうところだったんだ」


 数字の下に名前を書き込んでいく。キサラ、そしてナキア。


「この列が数字。こっちがナキアで、こっちがキサラ」


 キサラが様々な言葉を書き出していくと、ナキアはたちまちそれを吸収していった。初めて目にするというのに、形まで完璧だ。更に教えていない単語にまで目を通し、何が書いてあるか予想を立てて行く。その予想は大きく外れることもなく、一度教えれば間違えもしない。


「なんだかすごいね。僕が今手紙を出してもすぐに読めちゃいそうだ」

「ああ、確かに読めるだろうな」

「学校に通っていたことでもあるの?」

「いや?」

「あんまり上手くは言えないんだけど、何だか勉強に慣れてる気がする。ねぇナキア、本当に魔女じゃないの? それともエルフで、この紙とかは精霊魔法で出来ていたりする?」

「さてな」


 面白がるように口角を上げ、ナキアは何事かを書き留めた。


『 キサラ 今日 とても 楽しい 言葉 感謝。 ありがとう。 ナキア 』


 切り貼りで拙いものではあるが、それは確かに手紙だった。きっと流暢な言葉で認められるのにそう時間はかからないだろう。

 キサラは、この手紙を現実世界に持ち帰れないことが惜しいと思った。どこかに保管しておければ良いのにと、文字をなぞる。


「うわ、何」


 突然キサラの目の前に箱が現れた。「その箱をどうするのだ」とナキアから声がかかり、魔法が反応したのだと悟る。

納得しながら頷き、手紙を入れて蓋をした。


「何故仕舞った?」

「大事にするね。何せ記念すべき一枚目の手紙だから」

「ふむ」


 すると今度はナキアの前に箱が現れた。キサラが書き出した単語や文字の用紙を束ねて仕舞い込む。そして満足気に蓋をすると、「これは必要だからな」と念を押した。


「先ほど勉強に慣れているのではないかと言われたが、私はずっと、学者になりたかったのだ。私にとって学ぶことは何よりも得難い喜びである。故に広く、深く、多くを知りたい」


 果てにあるのが何であろうとも構わない。自らの目で見、耳で聞き、頬に風を感じて、そうしてどこまでも行きたいという願望がある。


「目指す在り様は旅人のようでもある。だからキサラ、お前を塔から出してやりたいのだ」

「どうして?」

「我が身には今、キサラこそが窓である。見える景色は全て、そなたの目を通しているのだ」


 自分の足では歩けない。少なくとも今はまだ。言外に含まれる意味を何となく拾い上げ、そして胸が熱くなった。

キサラはかつて、村の中に居た。木々で覆われた小さな領域。あそこでは商人だけが「外」を繋ぐ存在だったのだ。


 そして今、子供だったキサラが商人にせがんで「外」を聞くように。ナキアはキサラを通してしか「外」に触れることが出来ない。


「悪魔をここへは呼べないかな。直接調べれば何かわかるかも」

「出来ないことはないが、体に魂は残さなければならぬ。今、キサラの精神体は器より離れた状態でここに在る故」

「でも、ナキアだってここに居るのに」

「私の場合は体を手厚く保護してあるので問題は起きない。しかしキサラの体から両方の精神体を呼ぶとなれば話は別だ。肉体うつわは立ち所に死へ至る」


 キサラが体を離れるためには魔力の循環が重要なのだが、魔法陣によって術式に阻害が見られた場合に「炎」で何故か解決出来る。然程構える必要はないというのがナキアの見解だった。


「しかし悪魔という呼称はどうにかならないだろうか」

「彼はその……自分の名前がわからないって」

「そうか。記憶の欠乏が呪いの作用であれば些か厄介だ。少なくとも自然に回復することはない」


 そこでナキアはこんな提案をした。次の眠りではキサラではなく悪魔の方を呼ぶと。


「何とか出来るの?」

「忘れたのか? ここでは私が物事を決めるのだ」


 ナキアが不敵に笑うと、不思議なことに圧を感じる。そして上機嫌のままキサラの砂時計を指すと、目覚めの時を告げた。



 ナキアはキサラと話をしていると、どんなことも為せるのではないかという錯覚に陥る。牢の中に居た頃には考えられなかったことだ。


 頭上の砂時計を目線一つでくるりと回せば、現実の世界にたちまち戻る。まだぷうぷうと鼻を鳴らして寝ている黒猫……サーヴェアスが勝手にネムと名付けた使い魔を、指で二、三度撫でてやった。


「ここで待っていろ」


 どちらにしろ行き先は、使い魔の入れない場所なのだが。

ダジルエレは即座に転移を行うと、地下へ続く長い階段を降り始めた。目的地は直接転移先に指定出来ないよう古代の魔法で結界が張られているため、靴底を鳴らすより他ない。


 そして階段の途中、何の変哲もない壁の前でその足は止まった。城すらも魔王に従順なので、ただ指を滑らせて一言「開け」と命じれば良い。壁は自ずとそれを受け入れ、石造りの壁が口を開いた。ダジルエレが中へ足を進めれば、また何事もないように閉じる。


 歴代の魔王を振り返ってみても、この隠し通路を認識出来たものはごく僅かだったという。実際に足を踏み入れた者は特に限られるなどと、聞いてもいないというのに城は饒舌だった。


 隠された通路から扉を潜り、部屋に入る。薄ぼんやりとした光は感じるものの、室内はまるで黒い塗料を浴びせたように真っ暗だ。魔法で光を灯してもそれは変わらない。


「これか」


 中央に鎮座したものが黒い光を放っている。いや、闇を滲ませているとでも言うべきか。


 それは王魔族と呼ばれたダジルエレの、一族に伝わる秘宝だった。歴代の魔王のみがその存在を知り、代々こう言い伝えられている。「黒の宝玉は王へ還る」と。


 古い文献を読み解いたダジルエレは、その正体を知っていた。宝玉とはかつて初代魔王が最愛の相手を失った際に流した涙だという。当時は魔物が泣くものかと思ったものだが、現存しているのであれば信じる他ない。


 そもそも魔物は、涙を流した瞬間魔核がその機能を失い一気に魔力が流れ出てしまう。魔界に居たのならば魔素と瘴気に呑まれて死ぬだろう。少なくとも魔物ではなくなるのだから当然だ。

だから「魔物」は涙を流さない。そのはずなのだが。


 初代魔王の魔力は、こうして実体を得る程強力であった。であれば何故、魔核の機能を止めたのか。回避方法はいくらでもあったはずだ。そして更に言えば、初代魔王に伴侶が居たなどという記録は存在しない。


 かつては涙であったとして、今や魔導具として成立する代物である。ダジルエレが回収しようと手を伸ばせば、拒むようにして黒い電撃が走った。恐らくは守りの結界である。


 ダジルエレは怯むことなく強引に腕を押し込んだ。たかだか涙の塊だろうが、それにしては禍々しく、魔物から生まれた割には美しい。

結界に阻まれながらも、ダジルエレの指先が宝玉に触れた。すると一際大きな風と稲妻が辺りを破壊していったが、それすら意に介さず魔力を押し流す。


「この場に貴様の主は戻らぬ」


 宝玉には生意気にも自我があるようだ。多少不満げに毒を散らすと、巡る血の流れに観念し、最終的には了承した。やがて宝玉は完全に沈黙する。仮ではあるが、ダジルエレは主として認められたようだった。


「手のかかることだな」


 片手で掌の火傷を撫でれば、煙を上げながら皮膚が再生していった。宝玉の抵抗は痕すら残らない。部屋の惨状すら指の一振りで元通りだ。僅かに傷付いた服も、彼が無造作に立っているだけで修復されていく。


 宝玉は思案した。目の色、髪の色、そして血の巡りを辿って行けば己の系譜であることは明白だ。表情こそ乏しいが、顔までそっくり同じである。

いつか本物の主……といっても元の自分だが、彼が帰還するまでの付き合いならば良いだろうとの判断だった。歴代魔王たちの悲願が初代魔王じぶんを殺すことであるなどもちろん知らない。


 ダジルエレはそのまま宝玉を従えて自室へと戻った。興味深そうに辺りを観察するのを止め、わざわざ出向いた意図を告げる。

するとただ台座に置かれている時間が余程退屈だったのか、宝玉は張り切り始めた。何ともやかましい魔導具である。


「術式基盤は余が編む。貴様は構築時の情報整理に回れ」


 こうして長い長い一日が始まった。ちょっかいをかけてくる黒猫ネムをサーヴェアスに任せ、黙々と魔法陣を創っていく。新たな術式を確立しては試し、積み上げ、一つの魔法を構築していった。

疑似空間は夢魔の魔法を基盤にしているため手はかからなかったが、こちらは完全な創造魔法に一から挑むのだ。一体の魔物で向かうには到底不可能であるそれに、もう一つの頭脳と膨大な魔力が必要だった。


 本来であれば時間をかけじっくり練り上げたいところだったが、それではキサラの脱出がいつになるとも知れない。思考速度を極限まで上げ、で魔力を揮った。


 その間にも、ダジルエレの頭には大きな謎が居座っている。

魔物とは、本来泣かない生き物だ。もし涙を流せば魔界という怪物に力を奪われ殺される。そのように魔神が定めたのだから、それが世界の理なのだ。

 死体は食い破られるか風化するか、骨の一本であってもその存在を許されない。弱い生き物を魔神は許容しないのだ。


 だとしたらどうして初代魔王は生き残ることが出来たのか。全ての魔力がこうして流れ出たのなら、何故歴代の魔王は彼を殺せなかったのか。魔力を失った魔族など、人族と同じではないのか。


 手を進めながら時折横目で宝玉を見た。これが存在していること自体が、初代魔王が今もなお生きているということの証明である。


「ひとまずはこれで充分か」


 ダジルエレは寝台に横たわり、疑似空間へと降りて行った。通常であれば対面するのはキサラだが、代わりに悪魔を呼び寄せる。


 悪魔は、キサラとかけ離れた姿をしていた。悪魔自身もそれに気が付いているらしく、興味深そうに自分の指や腕を見ている。身長はダジルエレとそう変わらないが、体つきはハッキリ違った。筋肉質で、声もキサラに比べかなりの低音である。


「ひとまず其方の名を引き出しキサラの体から追い出す。良いな」

「ア?」

「其方に器を創ると言っているのだ。手を貸せ」


 本来であれば魂を入れる器なぞ簡単に作り出せるものではない。が、宝玉にダジルエレの体を分析させておいた。今では肉体の構造、機構、魔核まで細かく再現が可能である。後は機能さえ備われば充分なのだが、一体で造るには時間が足りない。なので分担を行った。


 ダジルエレが主に形成したのは体の内部だ。臓器や神経、血管などである。宝玉にはそれを正確な位置に当てはめさせ、外部の造形を任せた。それをまとめて織り込み構築、実体のあるものに変換する。

 無から有を生み出すのはかなり高度な技術が求められるため、血や肉になるものは現実世界で集めた。主に植物やら無機物だが、大した問題ではないだろう。

そうなれば後は分析した結果を転写するだけなのだが、それでも大変な術式だった。


 宝玉は初代魔王の魔力そのもの。性能は本物に限りなく近いと言える。なのでその手際の良さを目の当たりにすればなるほど、初代魔王が魔界から逃げ切ったわけだと納得した。豊富な知識と経験を積んだ者だったのだろう。


 顔の造りや体、容姿に当たる部分は悪魔本来のものを読み込んで再現するよう指示をしていた。特に繊細な作業が求められる脳や心臓部分を構築していたダジルエレは、宝玉が余計な機能を次々と追加していたことに気が付かなかった。


 後は赤目と呼ばれた悪魔から真の名を引き出せば良い。ダジルエレは宝玉から魔力を補充し術式を展開した。これは創造魔法と同等か、それ以上の技術を要する。既に魔法として構築し、魔法陣へ落とし込んだ。しかしそれでも完全に行き渡るまでに一晩はかかる。


 やがて悪魔に実体が構築され、名前きおくが蘇った。


「己が何であるか理解したか」


 悪魔はダジルエレの顔を見た。そして小さく「ナジェス」と呟く。

さてこれは記憶が混濁しているのだろうか。ダジルエレはナジェスという名前を知らない。


「どうしてお前なんだ」


 悪魔の絞り出すような声を最後に、夢は終わりを告げた。



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