監獄塔編

22. 逃走


〔ヨォ、そろそろ起きた方が身のためだぜ〕


 ガタン! という大きな揺れでキサラが跳ね起きると、何やら馬車が物凄い速さで走っている。空を見ればまだ太陽も登っていない夜明け前で、出発時刻にはまだ早い。

何が起きているのかと混乱していると、テイザとシュヒアルの怒鳴り声が聞こえた来た。


「このままじゃ追いつかれるぞ」

「生憎と整備されていない道に入ってこれが限界の速さよ!」

「後方を塞がれています。開けた場所に出た途端囲まれますね」

「仕方ないわ、ここは散り散りに逃げましょう。この先にパドギリアという子爵のお屋敷があるから、その人に助けを求めるのよ。ワタクシの名前を出せば悪いようにはならないでしょうから、それで良いかしら」


 時々馬車が跳ね、体が上下する。下から聞こえて来る車輪の音は異常な程甲高く響いていた。

馬車内の前方、座席前の空間にはテイザとシュヒアルが居り、そのすぐ後ろの通路にはファリオンが陣取っている。タスラとシーラは両隣の窓に張り付いて外を窺っているようだ。


「この状況一体どうなってるの!?」

「おはようございますキサラさん」

「随分寝てたな」

「まだ体も本調子ではないでしょう。それでかしら」

「あのね、馬車が追いかけられてるの」

「外見てキサラ、後ろの方」


 座席の上に手を置いたまま、身を乗り出して窓から後方を見る。ほんの少しだけ距離を開けて複数の馬が走っているのがわかった。恐らくは反対側も同じように馬が駆けているのだろう。なんて無茶な走り方だ。


「制服にあの馬具とくれば騎馬隊だとは思うのだけれど。一体どこの所属かしらね」

「騎士がどうしてこんなことを?」

「何の口上も無しにいきなりこれだ。だが動きを見れば目的は明らかだろう? 俺たちを捕まえたいらしい」


 一目見て貴族の所有とわかる馬車を囲んでいるのだ、余程の事情が無ければ許されないだろう。しかしこちらも全く心当たりがないため、安全圏を目指し馬車を走らせている。


 蹄が地面を叩く音や馬の嘶きが徐々に大きくなって来ている。次第に「止まれ」という叫び声も耳に届くようになった。


〔良いこと教えてやろうか、近くに魔族が居るぜ。飛び切りの大物がな〕


 魔力の気配から察するに、森で遭遇した魔獣たちの比にもならない強さだろうと「声」が笑った。数こそ一体だが、魔木や魔獣が一斉に攻撃しても無傷だろうと歌うように告げる。


「車輪が限界ね、これ以上速度を上げたら外れてしまいそう」

「補強は出来ないのか」

「車輪は回転してるのよ? 走り出す前ならまだしも魔法の難易度が格段に上がる上、こんな速度じゃ正確な位置で固定出来ないわ」

「あー、それならキサラを隠した魔法はどうだ」

「無理ね。対象がこれだけの速さで移動しているならどうしたって残像が出来るもの」

「あ、じゃあこの場の全員にかけるのは?」

「数が多いからどうしても正確性を欠くわ。そうね、三人までならワタクシでもどうにか出来るけれど」

「複合的な魔法を一つかけるだけでも大したものなのですがね」

「役に立たないのなら出来ないのと一緒よ」


 シュヒアルが魔法で振り切っても良いのだが、そんなことをすれば騎士から追われる正式な口実を与えてしまう。今は「口上が無い」ことを理由に逃げていられるが、足を止められれば順序など些細なことだ。


 この先も同じ馬車で移動することを考えれば、手配情報に載せるような状況は避けたい。


 御者、つまりはシュヒアルの使い魔だが、馬を操る技術は高く、今のところ危うい場面はない。ただ騎馬を振り切るには至っておらず、馬の接近を避ける形で「上手く誘導されている」と警告があったようだ。恐らく任意の場所へ向け追い立てられている、とのこと。


 今はまだ横や後ろに付けられているが、待ち伏せされていたのなら終わりだ。


「タスラとシーラに魔法を」

「確かにこの状況だとそれが一番でしょうね」

「術者自身も姿を隠した方が良いでしょう。気絶でもさせられて魔法が解けないとも限りません」

「これで三人。それで、貴方たちはどうなさるの」

「私は手持ちの魔導具でどうとでも。一人で隠れる分には問題ありません」


 テイザとキサラは首を振り、身を守る術は無いことを示した。シュヒアルのように魔法が使えるわけでも、ファリオンのように魔術を操るわけでもない。所詮只人などこんなものだ。


「そう。全員降りたら馬車を転移させるわ。これだけ大きな物体が一瞬で消えたら多少は怯むでしょうから、その隙に二人は思い切り走って」

「でも、でも、それじゃあキサラたちは」

「大丈夫だよ。シーラ、大丈夫。泣かないで」


 タスラもシーラもその容姿から半成であることは一目でわかる。動物種だと間違えられるのならまだ良いが、妖精種だと知られればどうなるかわからない。

今は妖精に対する目が昔と違う。ファリオンによれば、妖精を売り買いする人間も居て、酷いときには研究や実験と称して体を切り刻まれることすらあるという。


 単純に消去法だ。捕まるのが確定である場合誰がよりなのかという選択。騎士たちの目的はわからないが、わからないこそシュヒアルたちを逃がし、子爵経由で直接抗議するのが良いだろう。


「タスラ、シーラの傍に居てね」

「勿論」

「シーラ、タスラの手を離さないように」

「うん、うん……」

「ぬいぐるみは持ってる?」

「あるよ」

「ほら」

「安全なところに行けたらそれを握っていてね。目印にするから」


 タスラとシーラが持っている「ぬいぐるみ」はキサラが二人に贈ったものだ。タスラはシーラの、シーラはタスラの姿を模したものを持っている。


 本に齧り付き、キサラが自身の手で作り上げたぬいぐるみには「特殊な糸」が使われ、「気持ちを落ち着かせる」効果のある「おまじない」がかかっている。古くは夜泣きが酷い子供に与えていたと本にはあった。

以降二人が夜魘されることがなくなったのは、既に確認済みである。


「一体どこへ向かっているのかは知らないけれど、目的地まで付き合う必要はないわ。始めましょう」


 その頃には馬車の揺れも激しくなっていた。時折小石が車体の底に当たりコツコツと音が鳴る。


 そんな揺れの中でも姿勢の良いシュヒアルが閉じた扇子を振ると、たちまちその姿が見えなくなった。次いでシーラ、タスラと続く。キサラは自分にかけられていた魔法はこれだったのか、と興味深く辺りを見回したが、三人がどこに居るのか最早わからない。


 ただ、防音の効果まではないようだ。声を発したら大体こっちか、と方向くらいはわかる。三人はどちらへ走るか打ち合わせ、テイザとキサラは「影すら出来ない」と床を見た。


 はて、どうしてあのエルフはキサラの存在に気が付いたのか。キサラはやや首を傾げた。


「なあ、今飛び出したら後ろから来る馬に蹴り殺されるんじゃないか?」

「あら簡単じゃない、足を止めれば良いのよ。皆座席に掴まって!!」


 全員が弾かれたように座席へしがみ付く。ちょうどそれを見計らって馬車が止まった。

外からは走っていた蹄の音が止み、嘶きに混ざって困惑の声や怒声が上がっている。


「今のでぶつからないなんて、さすが腐っても訓練された騎士ね。さぁ行くわよ、人生最速の走りを見せていらして」


 バン、と両側の扉が開いた。真っ先にテイザとキサラが外へ飛び出す。シュヒアルとタスラ、シーラは逆方向へ走り抜けた。


「な!?」


 どよめきが聞こえる辺り、馬車が騎士たちの眼前で見事消え失せたようだ。狙い通り警戒して、すぐには追って来ない。

キサラとテイザは正しく自分たちを「囮」であると理解していた。目立つようわざと大きな音を立てながら逃げる。そうした行動もまた、足を鈍らせているようだ。


「怯むな、追え───!」


 直後鋭い号令がかかり騎馬隊が一気に動き出す。当然だが、馬の脚に人間が敵うはずもない。あっという間にテイザとキサラは囲まれ、その足を止めた。


 何と馬の数はこの場に五頭も居る。丸腰の庶民相手に随分と力の入った追走劇だ。

騎馬たちがやや距離を取る中、一際大きい馬が前へ出た。


「ようやく観念したか。お前たちを拘束する」

「理由がわからない」

「怪しい馬車が止めてあると情報が入った。我々はその調査へ訪れたが、お前たちは逃げ出した」

「なるほどその口ぶりは憲兵隊だな。生憎、俺たちは何の罪もない旅人だ。数日も経てばこの辺りでお見掛けすることもない」

「我々が逃がすとでも?」

「突然追いかけ回した挙句解放するつもりもないと来た。俺たちは一体どんな罪状なんだ?」

「情報によれば馬車内に『悪魔』が居たとか。憲兵隊として見過ごすことは出来ない」

「悪魔? へぇ、俺たちが悪魔に見えてるってことか。憲兵隊の騎士様方は目がかすむ程お忙しいらしい」

「そうでなければ何故馬車が消えた」

「知らないな、アンタたちが消したんじゃないのか」

「我々が魔法や魔術の類を使ったとでも? そんなことはあり得ない」


 鼻の頭に皺をよせ、男が唸った。心底「魔法」や「魔術」を嫌っているらしい。


「逃走こそ何よりの証拠だろう。後ろ暗いことでもない限り、騎士からは逃げまい」

「突然名乗りもせず追いかけ回されたんだ、盗賊を疑うだろう? 普通ならな。アンタたちはどうやら違うらしいが」

「盗賊だと? 見ればわかるだろう、我々は騎士だ」

「自分たちがいつ訪ねたのか思い出してもらいたいな。辺りは今よりずっと暗かった。灯り一つ灯さないで制服を見分けろ? それが出来る奴はそれこそ悪魔だろうな。更に言えば馬ぐらい俺にだって乗りこなせる。今の所アンタたちが騎士だという証拠はない」


 テイザは時間を稼ぐため強気に応じた。不機嫌さを隠しもせず、まるで巻き込まれたとでも言わんばかりの表情と態度を示す。悪魔や魔法、魔術とは無関係であると主張し、横暴だと捲し立てた。実際その通りである。


〔なぁオイ、コイツらが追ってる悪魔っつーのは俺が感知した魔族のことじゃねぇか? 奴ら悪魔と魔族の違いなんざ判別出来なそうな面してるぜ。見ろよ、現にお前の兄貴の言葉で『確かに』って反応してやがる〕

(それかアナタが追われている悪魔かも)

〔よう僕ちゃん、前にも言ったがなァ、俺が表に出たところで『怒ったら厄介』程度のもんなんだよ。それで一体誰が悪魔だなんだと吹かしやがる。それともなんだ、今ここで試してみるか?〕

(絶対にやめて)


 キサラがこうして悪魔と揉めている以上情報は「事実」なのだが、これだけやり合っていても顔すら向かない。感知されていないのだろう。


「情報を提供した人間に確認したらどうなんだ」


 テイザの言葉を聞くと、騎士の男がふむと言いながら考えるようにして顎の髭を擦る。


「ではご要望にお応えするとしよう。連行しろ!」

「は? おい、何の真似だ」

「調書くらいは取らせてもらおうか、善良な一般市民だと言うのならな」


 ピ、と騎士が右手で合図を出すと、途端に拘束され二人は地面に転がった。


「すぐに間違いだとわかるぞ」

「その虚勢もどこまで張っていられるか見物だな」


 その後は大した取り調べが行われることもなく、テイザとキサラは揃って同じ牢へ押し込まれた。

例の騎士はニヤニヤと笑みを浮かべながらその様子を見ている。


「こんな横暴、許されるわけがない」

「悪魔について何か話をする気になったらいつでも呼べ」

「悪魔なんて知らないと何度も言っているだろう」

「では馬車が消えた理由を説明してみろ。お前たちが飛び出した後には何も残らなかった。悪魔でないという証明もなされておらず、人間だという根拠がない」


 牢は足で乱暴に閉じられた。ガシャンと音が反響する中、騎士が高らかに笑いながら去って行く。


「あんなのが憲兵隊の騎士だと? ロクに調べもせずに投獄までするか」


 テイザはそう吐き捨てると、備え付けの寝台へ腰を下ろした。今のところ脅しの意味合いが強いのか、入れられた牢屋に他の囚人の姿はない。


「断言しているし、あの辺りに悪魔が居たっていう事実はあったのかもね。僕らが知っている魔物といえば、シュヒの使い魔くらいだけど」

「その点については上手く隠蔽されていた。見抜けるような連中には思えない」

「じゃあどうして僕らだったんだろう。貴族の馬車を追い立てるなんて、その後の面倒を考えたらあり得ないと思うんだけど」

「案外報告者が俺たちを身代わりに立てたのかもしれないな。ただ、この先あの女が魔女だと知られたところで拘束される理由としてはだいぶ弱いはずだ。いくら魔女が差別されるなんて言っても、使い魔を連れているのが『普通』だからな」

「もしも狙いが“魔女”の方だとしたら?」

「貴族の養子だ、伯爵家が切り捨てない限り不当な拘束にあたるだろう。はぁ、変なことに巻き込まれたのは間違いない」


 テイザが溜息を吐いて壁に背中を預けると、ガタガタと隣の牢で音がした。

控えめな男の声が二人の耳に届く。


「もしかしてアンタらも突然捕まったのか?」



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