21. 真実の言葉
サーヴェアスは人間界を「魔界に一番近しい在り方」であると評した。国として領土が区切られ、王が複数立っているのは勿論のこと、王より上位の存在が生き物たちへ直接干渉しない点などが挙げられる。
一方天界には神がおり、妖精界には精霊王が居る。どちらの世界も国を分けて王が立つ必要はなく、妖精界ではせいぜい種族の代表を「王」と呼ぶ程度で、権限などは特にない。格別の力があるのみだ。
魔界や人間界における「王」は、存在自体が重要な意味を持っていた。それこそ天界や妖精界で神や世界樹が行っている役割を担っている。
まず魔界における魔王たちだが、国に魔力を行き渡らせ不毛の大地に実りを齎している。次に人間界における王は、魔王たちに匹敵する魔力がないため「貴族」を擁立させる必要があった。各地に配置した貴族は王の力を補うことで世界に働きかける。
ただ、人間界は魔界と違い世界全面が不毛の地というわけではない。この働きかけにより「何」の均衡を保っているのかは不明だが、ともかく魔界が複数の王だけで済むところを人間界では大勢の貴族が必要である。
魔界においても爵位は存在するが、こちらはあくまで力に付随する称号や勲章のようなものだ。人間界のように貴族たちが政務を行っているわけではない。
人間界における国の王とは、世界にとってこれ以上なく重要な位置付けである。だというのに。
「今代の王様は国を沈めるつもりなのかしらね」
黒金の種が蔓延っている以上職務怠慢と言って良い。サーヴェアスは拾って来たそれをゆっくりと舌の上に転がし、噛み砕いて中の瘴気を飲み込んだ。
「やっだぁ、ひっどい味。人間界の瘴気ってどこもこんなに不味いのかしら」
人間界は三界に比べ魔素が薄いため、魔力を補給する目的で種を拾った。種に含まれている瘴気は不純物が混ざり過ぎて
「これなら持て余しちゃうのもちょっとわかるわ〜。いえ本当にちょっとよ」
「にゃーう」
「あらもう、少しは心配してくれてもいいのよ?」
魔王ダジルエレの使い魔となった黒猫の顎をちょいちょいと擽る。空は青く草木や花が色とりどりの鮮やかさを見せるこの地は、風景だけ見れば妖精界に近いのかもしれない。
「こんな素敵な場所なのにもうすぐ無くなってしまうなんて残念ね」
七つあるうちの一つが崩れ落ちたところで人間界が滅びることはない。ただ、この国の王が治めている領域は間違いなく消失するだろう。ダジルエレが無能と断じるわけである。
荒野の上、呼吸をすれば肺を侵す瘴気。黒く焼け爛れた木の亡骸が数本聳える不毛の地。赤く広がる空を粘膜の張った黒の雲が流れて行き、星々が毒々しく脈打つ。頬を撫でる酸の雨が地面を揺らし、魔物から流れ出た血が混ざり川になる。サーヴェアスが永く身を置いて来た魔界はそんな場所だったが、こちらもそう悪くない。
「あら、ご主人様がオマエを探しているようね」
黒猫の頭をするりと撫でてサーヴェアスは立ち上がった。
「……本当、焼け焦げてしまいそう」
サーヴェアスと黒猫が居るのは城の中庭だ。階上の窓から熱心に向けられる視線はアリファスのものである。
見知らぬ女性体の魔物を見るアリファスの顔は酷く歪んでいた。窓から何とはなしに中庭を見やれば、魔王ダジルエレの使い魔となった忌々しい猫が居たからだ。
(あの女はなんだ、獣の世話係か?)
ぐる、と喉が鳴るのを懸命に抑える。使い魔を探していたらしい魔王が彼女の隣に並び立った。
流れるような金色の髪に、魔王と並んでも見劣りしない美貌。見事に遮断の結界が二人を覆い、中には気安い間柄を思わせる和やかな空気が漂っていた。
女の真っ赤な唇が何を紡いだのか、魔王の口端が僅かに持ち上がる。ダジルエレは不快に眉を顰めるし笑うこともあるが、冷笑と呼ぶにふさわしい冷ややかさが常にあった。
だというのに、女に見せた笑みは血が通っている。
あまりの出来事にアリファスは衝撃を受けた。その場に足が縫い付けられたように動けない。しばらくそうしていると、今度はガヴェラという魔物が結界の中に入って行く。
三体の魔物は猫を構いながらしばらく言葉を交わし、女だけが結界から出た。アリファスの足は自然、彼女を追って動き出す。
『選定により二人目の側近を、アリファスへ任じる』
かつてアリファスはその身を震わす程の歓喜の中に居た。通達を持った宰相の後ろ、控えていた使い魔が差し出した書状を何度も何度も読み返した。
式典が開かれるような大規模な就任ではなく、ささやかな披露目だけで終わったがアリファスに不満はなかった。
女性体ならば後々婚約者になることも踏まえ盛大に執り行われるだろうが、アリファスは男性体。明らかにその存在を軽視されていることが随所に表れていたが、一度たりとも表情を曇らせるには至らなかった。
形ばかりの承認式よりも「魔王ダジルエレの傍に仕えることを名実共に許された」という事実だけが重要だったのだ。
優れた忠誠に与えられる称号、周囲がそうと認めた証。
側近として召し上げられたことが生きて来た中で最も価値のある出来事だった。「そのとき」が来るまでは。
「一体何の用かしら」
女はアリファスの訪れを予見していたのか堂々と待ち構えていた。立ち姿一つではその実力は計り知れない。正確なことはわからないが、アリファスなどより遥かに強いだろうと予想した。
「ガヴェラ」に並ぶか、それ以上か。
探知型でないアリファスにはそこまでしか測れない。神経を尖らせていると、女から花の芳香が漂って来た。
「アナタは何者ですか」
「母、のようなものかしら。勿論血は繋がっていないけれどええ、成長を見守り手助けするのが『そう』であるのなら同じことね」
アリファスは安堵に膝を付きそうになった。この魔物を三人目の側近として迎えるのであればまず敵わない。いずれは「婚約者」となり、ダジルエレの妃になっていただろう。
「他には?」
「ガヴェラを、陛下はどうするおつもりなのでしょう。実際に戦ったことこそないですが、彼は将軍よりも数段強い。しかし彼は配下に加わって以降、何の爵位も役職も与えられていません」
「あの子も側近候補だと?」
「子……ええ、そう考えていました」
魔王が「ガヴェラ」という魔物を重宝していることは誰もが気付いていた。配下でありながら城に顔を出す時間も回数も極端に少ない。
何らかの命があり各地を回っているのだろうと噂されているが、その役割を終えればどこぞの役職に就くのは想像に難くない。
もしそれが同じ地位であるならば、アリファスは任を解かれる可能性がある。
「ふふ、おかしな子。そんなことを任じて今更何になるというの?
称号や爵位など無意味だとサーヴェアスは断じた。縛り付けず居てもそれで成り立つ関係なのだと。アリファスにしてみればこれ以上ない地位が「そんなこと」と切り捨てられたも同然だった。
かつて魔王が興味を抱いたのはアリファスただ一つ。魔王自らが赴き、手懐け持ち帰った。
その興味も、長くは続かなかったが。
自分だけが、唯一「そう」ではなかったのか?
足元が崩れ落ちる心地がしてアリファスは額に手をやった。
結界を潜り寝室へ入ればいつでも心臓を撫でられる距離に行ける。眼球が抉れるほどの近くに。
それだけ傍に寄っても魔王の瞳には怒りも憂いも浮かばない。空虚な色が、眼差しが、無感動に自分を見るばかりだった。
「どうして」
ここへ引っ張って来たのはアナタだ。使い物にならない頭ではそれ以上の言葉が出てこなかった。はくはくと口を動かし息が詰まる。
せめて不快に顔を歪めてくれたのなら、驚きや罵りや叱責があったのなら。
信頼などない。中庭の結界には入れない。知らずに生きていられたのに。魔王にとってアリファスなど「居ても居なくても変わりない」のだと。この女さえ居なければ。この女さえ。
いつぞや魔王の部屋から追い出されたのは魔法展開術式の最中距離を詰めたからだと悟った。それ以上でもそれ以下でもない。魔法を展開する直前でなければわざわざアリファスに気を向けることもなかっただろう。
身震いをして腕を掴む。爪を立てて必死で歯を食いしばり、その場になんとか立っていた。
双眸に映り込む我が身の姿に何度歓喜したことか。それだけでいいと思っていた頃が蘇り更に震えが大きくなっていく。
逃げ水のようだと思っていた。魔王ダジルエレの存在を。
もっと近くへと足を進め手を伸ばすが、渇きを潤すことなく遠退いていく。だからこそ必死に考えた「最初に求められたのはなんだったのだろうか」と。
禍々しく気高い「圧倒的な存在」。それを盲目的に慕ったために、アリファスは気が付かなかった。全てが過不足なく揃っているのだと信じて疑いもしなかった。
神秘すら思わせる高貴の紫瞳。魔でありながら神秘という矛盾は歪であって正しい。対極の存在ですら巻き込み、従え、凌駕する黒の魔物を、どうして無垢だと思えようか。
髪も目も唇も耳も鼻も首も指も、皮膚の覆う全てをアリファスは欲していた。目線仕草振る舞い口調吐息声足音、どれをとっても特別なのだから。
魔とは常に魅入られる存在、求めた夢を見せる者。
もう二度と魔王はアリファスに疑問を投げかけたりしないだろう。望むものがアリファスの掌に乗っていないことを知っている。
握り込んでいたものを開いて見せてしまったのはアリファス自身だ。
自ら欲さないものは等しく無価値。これこそ魔界の本質。納得に身を置いて、全身から強張りが溶けていく。
「なんてことをしたのだ。私は恋に落ちてしまった」
ぐにゃりとアリファスの視界が歪み、足から力が抜けてその場に座り込んだ。
「永遠に愛を抱かず恋を知らなければ良い。それが私でないならば」
俄かに揺れが走って行った。ビシビシと音を立てて床が軋み、ひび割れて行く。魔力が体から溢れ辺りを破壊し、感情の高ぶりに応えるように瘴気が震える。
目には涙も浮かばない。魔物とはそういう生き物だ。
「愛などと」
サーヴェアスはそんなアリファスを嘲笑った。知らぬ癖にと真っ赤な唇が動くが最早届かない。
「ほうら魔王陛下のお出ましだよ、獣ちゃん。オマエが死の山を築いたのはそうね、本能が強すぎたのかしら?」
「一体何の騒ぎだ」
「嘘吐きめ」
地に両手を付き目を血走らせたアリファスが魔王ダジルエレを見上げる。
脈略のない言葉に瞬きすらしない魔王へ、吐き捨てるように怒鳴った。
「
しかし我らはそういう生き物だ。サーヴェアスはダジルエレを見た。この場合、悪魔であれば是と頷いただろう。魔の者は凡て願いの奴隷なのだから。
「答えは知っているだろう」
アリファスは魔王がその瞬間自分を見ている事実に心を震わせグル、と喉を鳴らす。
「余はお前など愛していない」
魔王が、陛下が初めて心からのお言葉をくださった。笑み崩れるアリファスを紫瞳が捉えることはなく、威嚇する黒猫を拾い上げて自室に引き上げた。
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