20. 再会の意図


 馬車の中、座席にもたれて毛布に包まった。

座ったまま眠るというのは少しばかり窮屈に感じるが、屋根や壁があるだけありがたい。旅路において雨や風に晒される心配もなく寝られるというのは、恵まれた状況といえるだろう。

 幸いなことに当初懸念していた夜通しでの見張り交代なども、使い魔が請け負うということで皆安心して眠れる。


 それまでウトウトと微睡んでいたキサラだが、目を閉じれば瞼に浮かび上がるのは妖精界の光景だった。本で読んだそのままの世界が、実際に目の前に広がっていた興奮がジワジワと遅れて湧き上がる。


 あのときは必死で実感も何もあったものではなかったが、世界樹に妖精、人魚や星、海に精霊らしきものまで目撃したのだ。人間界の海ですら一度も見たことがないのに、まさか妖精界の海を見れる日がくるなんて。

延々とさ迷い続けていた可能性を考えればゾッとするが、無事に戻れた以上「良い思い出」である。心行くまで堪能出来なかったことにやや落胆する余裕すらあった。


 世界樹があって空があって、海がある。海の中には黒と紫が浮かんでいた。

妖精界特有の種族だったのだろうか? いつの間にかキサラの眠気は萎み、ドキドキとそればかり考えてしまう。


〔お子様はさっさと寝ろよ、全く何がそんなに楽しいんだか〕


 鼻で笑ったような声がしてキサラはきょろきょろと目だけで周りを見る。例の幻聴だ。

キサラにとってはこの「声」が、今最も身近な謎である。


(やっぱり僕にだけ聞こえているってことは妄想の類なのかな)

〔妄想? ハァ、思い出してみろよ、俺は供給があったと言ったんだぜ〕

(その供給っていうのがよくわからないから困っているんじゃないか)

〔なるほど? まぁ“只人”の知識って言やそんなもんか〕


 何かしら納得した様子で、声はキサラを憐れむように「難儀だねぇ」と零した。


〔大前提として俺は魔力が無けりゃ動けねぇ。平たく言やぁ俺を認識した上で手を貸した奴が居るってこった〕

(誰がそんなことを)

〔サァ、俺も細けぇこたぁ知らねぇ。何せこっちもあっちもわざわざ名乗り合う暇なんぞなかったからな。だがマァ間違いなく変わり者だろうぜ、ロクに知りもしねぇ相手に魔力渡そうなんざご苦労なこった〕

(どんな相手か覚えてる?)

〔ア? 覚えてるも何もお前の知り合いじゃねぇのか? あの紫瞳しどうは〕

(紫の目ってことは、ナキアのことかな。全く気付かなった)

〔あー、言っとくが俺が奴に直接強請ったわけじゃねぇ。お前の体さえ使えりゃそれも可能だが〕

(……僕の体が何だって?)

〔何言ってる、借りる時にゃ律儀に合図出してやってるだろ? そうだな、赤い光が見えるはずだ。チカッとな〕

(は?!)


 キサラは確かにこれまで幾度となく赤い光を見る機会があった。言われてみれば、直後意識が遠のいていた記憶がある。

ということは、あれは気絶ではなく体を乗っ取られていたのだ。


(もしかして今まであったおかしなことは全部)

〔おう勿論俺だ〕

(なんてことを! 道理で皆態度が変わるわけだ)

〔労いに今貸してくれても良いんだぜ。最近体が鈍ってんだ〕

(な、鈍ってなんか無い! それにこれは僕の体だぞ)

〔生憎俺の体でもある。マァ気にするこたねぇよ〕

(気にするよ! そ、それに今まではどうやって。あの村に魔石や濃い魔素なんて無かったはず)

〔魔女に供給されりゃぁ望みを叶えてやるしかねぇだろ? 俺たち悪魔は皆、願いの奴隷なんだ〕


 クシャシャシャシャと笑い声が響いたので反射的に耳を抑えるが、すぐに意味がないことを思い出した。それに今なんだ、悪魔と言った気がする。


(悪魔? 悪魔ってあの?)

〔他にどの悪魔が居るのかは知らねぇが、お前が思い描いてるので恐らく間違いはねぇだろう。魔女もお前の兄貴も当然、俺のコトを知ってるぜ。村の連中はお前がキレたらおっかねぇくらいにしか思ってなかったみてぇだがな〕


 村の人たちが知っていたのなら、暴力的な態度がぱったり止まったのもそのせい、いや、おかげだろう。

もしかすると大きな思い違いをしていたのではないか、とキサラは息を飲んだ。兄が睨んでいたのは自分ではなく、中に入っていた悪魔の方、なのでは……?


(考える時間が欲しい)

〔おいおいおいおいそりゃねぇよ、暇なんだぜ? こっちは。勝手に殻に閉じこもるな、オイ〕

(えぇ……うーん、あー、ナキアが魔力を君に渡したってことは、妖精じゃなくて魔女なのかな)

〔アー?? 勘違いしてるみてぇだが、悪魔が使う力だけを指して魔法って呼ぶわけじゃねぇぜ。精霊が使おうが天使が使おうが魔法は魔法だ。つってもマァ他に名付けようがねぇから“魔法”で統一してるだけで本質は全く違う、っつーのもあるにはあるが。妖精や精霊の連中が使う場合“精霊魔法”なんて仰々しく呼ぶが、他に呼び名があるとすれば〕

(加護?)

〔オッ、乗って来たじゃねぇの。それだそれそれ。魔力だって魔物たちの特権ってわけでもねぇからな、天使や妖精にだって魔力譲渡は余裕でこなせる。魔女や魔術師って括りに入りゃぁ人間にも可能だろ?〕

(今まで僕が読んだ本には書いてない知識だ)

〔そりゃあ俺は生粋の悪魔様だからな。が、俺が何者でどうしてお前にくっついてんのか聞かれたら口を噤むしかねぇ。何せ、何一つ覚えちゃいねぇからな〕


 キサラに名前を教えなかったのは「自分の名前を知らない」からだ。はぐらかしていたのは誤魔化しではなく、単に困っていたのかもしれない。


〔ただ妙なことにお前のことは『知っていた』気がするぜ。目覚めてから何年も考えてみたが、結果はどうだ。自分の名前すらわかりゃしねぇ〕


 お前は俺を知っているか? なんて聞かれたがキサラには何も答えられなかった。難しいことを無理に考えようとしたせいか、強烈な眠気に襲われ瞼が下りる。

頭から毛布を被って一つあくびをすると、何故か毛布がなくなった。



「え?」


 座席で丸くなっていたはずが、二本の足で立っている。

この状況は明らかにおかしい。何よりおかしいのは、今目の前にナキアが居ることだ。


「こちらへ」


 手招きをされて取り敢えず歩み寄ってみれば、机と椅子がどこからともなく現れた。ひょっとしたらこれは夢なのかもしれない。


 座るよう促され、大人しく着席すれば机の中心にカップが浮き出て来た。ナキアがそれへ手をかざせば、中が満たされて甘い香りが漂って来る。


「ここは疑似空間と呼ばれている。夢魔の力を借り創り上げた“夢”の世界だ」

「夢魔が使い魔だとすると、貴方は魔女なんですか?」

「悪魔や魔族を従えている点で言えば、似ているやもしれないな。さて、この空間についてまずは説明を」


 夢の世界とは言うが、感覚はしっかり存在している。これは精神体が疑似的に生命活動を行うためなのだが、現実の肉体とは繋がっていない。

例えば疑似空間でお腹を満たしても、夢が覚めた途端なかったことになる。空間内に留まる限りは喉も乾くしお腹も減るそうだ。


「限りなく現実に近付けた空間と言って良い。こうすればわかるだろう」


 ナキアが腕を伸ばし、机に乗っていたキサラの手にその手を重ねた。冷たさに驚いて肩を跳ねさせると、こういうことだと手が離れていく。


「確かに感触がある」

「この疑似空間は夢と呼ぶには現実に近すぎる、いや、ほぼ現実と捉えて構わない。ここでの出来事は互いに記憶として残る故な」


 ナキアは注意事項を幾つか挙げた。

一つキサラに念押ししたのは「万が一ここで怪我をしても目が覚めてしまえば体は無傷だが、痛みの記憶自体はしばらく残る」という点だ。


「これほどの空間を用意した理由が気になる頃だろう。単刀直入に言って、キサラにかかっている呪いは興味深い現象だ。その後の経過を確認するためにこうして赴いている。調子はどうか」

「えっと、今は苦しくもないし、痛くもないです」

「それは何よりだ。して、もう一人の様子はどうなっている」

「え、もう一人って」

「隠し立ては不要だ、あの“悪魔”について知りたい」


 どうやらキサラが幻聴だと思って流していた存在は、勘の良い相手には「悪魔」だとしっかり看破されているようだった。


「あの、僕は呪われているんですか?」

「無自覚か。残念ながら呪いは事実だ」

「それは、どういった」

「魂にかけられた呪いだ。悪魔とキサラはこれにより結び付いている」


 海へ落ちた際、その呪いに綻びが生まれたとナキアは続けた。いくら頑強な呪いと言えど、突き崩していけば解呪も可能であると説く。


「そこで私からは解呪の協力を申し出たいと思う」

「解けるんですか? その、呪いを」

「今すぐにと言われれば不可能だが。それはただの呪いではない故……いや、呪いについての知識はどれほど持っている?」

「いえあの、全く。ただの、ってことはいくつか種類があるんですか?」

「細かい分類や区分については知らないが、それぞれかけ方が違えば解き方も異なる。通常は手順、手法など何らかの形で類似が見られるものだ。キサラのそれは“古代の呪い”故、現代に残る呪術に類するものが存在しない」

「つまり、ナキアは」

「端的に言えば古代の呪いを解く術を手に入れたい」


 ナキアはキサラの呪いをきっかけに「情報」を欲しているようだった。規模の大きい魔法を使ったのも、検証・実験する場を設けるためだろう。

悪魔に魔力を渡したのも、何らかの経過を見るためだとキサラは推察した。


「先ほども言ったように、呪いは魂にかけられている。ただ、対象が“誰”なのかまではわからなかった」


 ナキアがそう言うと机の上に丸いものが二つ転がった。それは中まで見える透明の球体で、中心部に小さな石が入っている。

中の石はそれぞれ違った色をしており、キサラから向かって右側には赤、左側には碧色の石が入っていた。


「この球体が魂だとして、中心部の石は核と呼ぶ。通常この石同士が触れ合うことは決してないが、呪いの影響でかなり近くに寄っていたようだ。妖精界の海、生ける者の涙によってこの球体部分は強化されたが、直前の状況はこうだ」


 球体が合わさり石部分が触れ合う。キィィィィンと高い音を立てて二つは反発し合った。


「球体部分は同じ物だとわかるな。魂の素材に差はないが、核はそうではないと考えれば良い。こうして長く触れていると」


 核に見立てた石に亀裂が入って行き、最終的には粉々になってしまった。

石を覆っていた球体も解け崩れ、液体のように流れ出る。つまりこのまま呪いを抱えていれば、キサラの魂は取り返しがつかない。


「よくわかりました」

「悪魔の魂にはそれを覆う『殻』を構築し被せておいた。呪いによる『魂同士の接触』を回避するためだが、咄嗟に編み上げた魔法故どの程度通用するかは予測すら立たない。念のために魔力を多く悪魔に受け渡しておいたが、痛みもないというのであれば問題はないだろう」

「あの、ありがとうございました。きっとナキアが居なければ人間界にも帰れていなかったと思うし、それに」

「感謝する必要はない、私も目的を果たすためにしていることだ。今後我々は利害関係にあると理解してもらおう」


 ナキアは不意に上を見上げ「そろそろ目覚める頃合いだ」と零した。

それからもう一度キサラへ向き直り、好意的な笑みを浮かべる。


「続きはまた、眠りにつく頃、夢を見る間に。キサラが拒みさえしなければその限り、ここへ集おう」



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