19. 変容


「それにしてもファリオンさんは色々なことを知っていますね。学者さんなんですか?」

「いえいえ、私などせいぜい人より多く本を読んだ程度です」


 キサラの村の図書館には、「嘘つき冒険記」くらいしか妖精界に関する蔵書がない。妖精に関する本も、あって数冊程度。その上絵で描かれた図鑑、もっと言えば絵本のようなものだった。内容は完全に子供向けで、詳細に記されているものではない。


「学校に通ったりとかは」

「していませんね。ただ、師がおりました。そうですね、正確に言えば基礎的な知識を師により賜り、本で補填した、といったところです」

「あの、どういった場所で本を読みましたか」

「師が所有していた本や手記を中心に読んでいましたが、自分で入手したものは大体王都で揃えました。後は王都の図書館ですね。当時は毎日通いましたよ」


 キサラくんは妖精族について知りたいのでしょう? とファリオンは王都の図書館を薦めた。


「王都の中でも名建築として知られていますから、中を歩くだけでも充分楽しめると思いますよ。勿論、蔵書の方も素晴らしいので是非」


 三界に住まう種族たちについて書かれた本も豊富に取り揃えてあると聞き、キサラの目が輝いた。

本の多くは貸出禁止なのだが、近年写しが発行されており複製品であれば閲覧可能で、本物は厳重に保管されている。

 キサラの村の図書館では、農作業や暮らしに密接した内容の本が中心だった。中には珍しい本、貴重な本もあったようだがその全てに目を通せたわけでもない。


「着いたら何冊かご紹介出来ますよ」

「えっ! ぜひお願いします!!」

「司書が居ますから、自由に回って気兼ねなく質問出来ますよ。慣れれば別行動も可能ですね」

「あら、ワタクシも王都の図書館には多少興味があるわ。魔女の本ってあまり出回らないのよね」

「魔女に関する本は禁書指定が多いですから。閲覧禁止区域内になら置いてあると思いますよ」

「ちょっと、読めないじゃない」

「魔術師や召喚士に関するものであればそれこそ山程あるのですが、そうですね……。魔物関連の本で良ければ何冊かおすすめのものがあります。撃退法、罠の仕掛け方、民間で行われる手法について書かれたものがありまして」

「結構よ」


 二人の会話を聞きながら、キサラは馬車の中を覗き込んだ。先程は気にも留めていなかったが、通路なんてあるのはおかしい。

もう一度顔を出して馬車の外観を見る。旅立ちの時に乗せてもらったあの馬車だ。中を覗く。絶対に前よりも広い。


 端から端まで大股で十歩以上の広さがある。これを可能にする心当たりと言えば“魔法”になるが、万能ではないと言う割にとんでもない力だ。


「人数が増えたから少し手を加えてもらったのよ。ワタクシの使い魔も案外役に立つでしょう?」


 だとするとシュヒアルの使い魔は相当高位の魔物ではないだろうか。見た目や大きさはそのままに中の空間だけを広げるなんて魔法、聞いたことがない。

キサラは何とはなしに御者台を見た。御者の姿は相変わらず見えないものの、何か半透明の塊がぼんやりと浮いている。


(なんだろうアレ)


 見つめ続けていると徐々に輪郭が掴めるようになって来た。吸い寄せられるように体が前へ傾いた瞬間、声が響く。


〔あんまり見てっと噛みつかれるぜ〕


 キサラは慌ててファリオンとシュヒアルの会話に戻った。 


「おすすめの本だなんて言うけれど、アナタ専門が違うわよね? 得意分野は天界や魔界関連なのではなくて?」

「ええまぁ。天使族や魔物は対極の位置にありながら共通点が多く存在していて、中々奥深いんですよ」

「なぁさっきから気になってたんだが、アンタの言う師匠は何者なんだ? 随分と手広く研究しているみたいだが」

「何者と聞かれると少々困るのですが。……そうですね、一般的に預言者と呼ばれています」

「預言者? 急に胡散臭くなって来たな」

「星見の人とは違うんですか?」

「師は星の動きを読むことはしてもそこから予測を立てないので、似て非なるもの、とでも言いましょうか」


 星見と言えば星の動きを読んで天気の予測を立てる職業だ。しかしファリオンの言う師はそうではないらしい。

曰く「時間が有り余っていた」ためあらゆる分野をいるようだ。


「あ、でも本で読んだことあります。昔魔術師の中に“預言者”が居たっていう話」


 歴史上で預言者と呼ばれた人々は、異なる職業、場所、時代に現れ何か大きなことを言い当てた、という認識だ。主に大災害、それから歴史的な変遷について「予言」されている。

ただこれまで何人存在して、何が予言として与えられ、的中したのかまでは誰も把握していないだろう。


「神話についてもその師匠から聞いたのか」

「一応三界の成り立ちに関わりますから、基礎知識のようなものです」

「神話上の伝説や逸話は実際にあった出来事だと?」

「少なくとも私はそうである、と認識しています。歴史的事象と照らし合わせても矛盾点はない。なんて、ほとんど師の受け売りですがね」


 歴史書と神話を照らし合わせ、長年検証しているのだとファリオンは語った。勿論元々あった事象へ擦り合わせて逸話が添えられた可能性も織り込み済みである。


「師が特にご執心なのが“大戦”と呼ばれる伝承について、です。呼び方は時代や地域によって異なりますが、指している内容はどれも同じでした。人間だけでなく他種族間でも語り継がれています。何かご存知のことがあればお聞かせ願いたく」

「そうは言うが伝聞で残ったおとぎ話と何が違うんだ? どの地域にだって似たような伝承が残ってたりするだろう。もし吟遊詩人が同じ物語を各地で歌い歩いたなら完全に作り話だ」

「なるほど、根拠の提示が必要なようですね。決め手と呼ぶにはやや弱いですが、師の発見した日記が一つ」


 ファリオンが人差し指を立て一同を見やる。


「中から読み取れる情報は膨大でした。持ち主は自らを『かつて記録係をしていた』と記していましたから、事細かに情報を書き記すのが癖だったのでしょう。特筆すべきはこの書き手が『地上の文字は慣れない』とした点です」

「地上の文字?」

「三界の住民は人間界を地上と呼ぶことが多いので、異界から訪れたのだと思います。とはいえ本当にあの日記が大戦の頃に書かれていた物であれば、解読可能な状態で現存しているのが些か奇妙ではあります。保存状態の良さを不自然と見るか、固有の能力と見るか。三界の住民であれば物の質や保存法、そもそもの法則が人間界と異なっていても不思議ではありませんし、テイザさんの言うように後から書かれた完全な創作物である可能性もあります」


 似た話で言えば「噓つき冒険記」が挙げられる。日記のように書かれた小説であるという説もあったのだが、“妖精界”を実際に垣間見た今のキサラには否定する材料がなかった。

ただ、引っ掛かる点もある。遥か昔の人間が迷い込んだ世界が、現代で寸分違わぬ姿で存在しているのは何故か、ということだ。これも神秘の為せる業なのか、それとも。


「日記が記された年代の特定材料が、まさに大戦についての記述でした。悲しみや嘆きから始まった独白でしたが、古代の世界では悪魔や天使の境界が酷く曖昧で、天界や魔界に分かたれても交流は盛んだったようです」


 今でこそ相反する真逆の存在だが、魔物と天使が愛し合い伴侶として生涯を終えることも珍しくはなかったようである。日記の中には兄が天使、弟が悪魔だという兄弟についても書かれていた。


「世界を二分するほど大きな戦いにも関わらず何故開戦に至ったのか、その経緯や詳細が未だに不明なんです。発端については宝や権力、何かの生き物の卵が原因であったなんて逸話もありますがどれもハッキリとした根拠がありません」

「日記にはどう書かれていたんだ」

「“失ったものを取り戻す”戦いであったと。目的ではなく手段として狙われたのが天界の“神”だったようです」

「まぁ確かに神を差し出せ、なんて馬鹿正直に言えば戦いにもなるか」

「天使族すら神に弓を弾き、その多くが堕天使になったのだと言うのですから驚きです」


 ファリオンの言葉を聞いた瞬間シュヒアルの顔色が変わった。次いで「二人の様子を見て来るわ」と突然立ち上がってその場を後にする。


「……実に興味深い話だな。魔女は何からしい」

「でも、天使族は神様の庇護下にあると聞きました。反旗を翻すなんてこと、あり得るんですか?」

「そこが私にとっても大いなる謎です。“失ったもの”とは忠誠までも無にするほどの威力がある」


 であればそれは一体? 抽象的ではあるが宝だ、権力だと囁かれた理由もわかる。ただ失ったと言う以上既に持っていた、ということだ。天使族を始めどの種族も持ち得る何か。そして神さえも手段の一つに貶める程のものとは。


「ああ、堕天使と言えば」


 ファリオンが徐に地図を広げ、視線を滑らせた。


「やっぱりそうですね。ここ、近いですよ」

「何がだ」

「大戦では堕天使が出たと言ったでしょう? 言うまでもなく天界に居場所はもうありません。魔界はすぐに順応出来るような環境ではなく、妖精界からは一切干渉が出来ないよう阻まれていた、とくれば」

「まさか、人間界に?」

「その通り。堕天使は人間界へ降り立つしかありませんでした。そこでココです」

「監獄塔……?」


 コンコン、とノックするように示された場所は監獄塔だった。多くの重罪人が収容される場だ。


「まさかそこに収容されているなんて言わないだろうな」

「いえ、二度と同じことが起こらないように、当時は堕天使を追って討ち果たす必要がありました。大きな声では言えないのですが」


 ちょいちょいと指で呼ばれたのでテイザとキサラは顔を寄せる。ファリオンは囁くようにその先を告げた。


「監獄塔が建てられた場所こそ、大罪を犯した堕天使が討たれた地である、なんて言われているんです」

「随分派手で悪趣味な墓標だな」


 堕天使たちを追ったのはその家族や友人や、特に親しい間柄の者たちだったという。討つ為だけに降り立った天使たちは自らを“討伐者”であると定め、二度と天界へ戻らないという決意を表明するため羽根すらもその手で切り落とした。


「日記の主こそが“討伐者”なのではないか、というのが師の見解です。人間界の住民として生きることを選んだ天使族は“地上”に順応しなければならなかった」

「で、文字の習得か」

「手紙を出すわけにもいきませんし、多くの事を書き留めるには日記が最適かと。彼らが堕天使を追うにしても、相手が身を隠さないはずもない。堕天使たちも、見逃されるわけがないというのは流石に気付いていたでしょうから」


 目的を遂げるには情報が要る。それを得るには信頼が。

周囲に溶け込まなければという意識もあったのだろう。尤も、その頃の識字率が現代より高かったはずもないのだが。


「それでここからが本題なのですが」

「嘘だろ今までの全部前置きか?」

「いずれ本人から聞くことですが、貴方たちにとっても関係がないとは言えないので予めお伝えしておきます。ただし私が語ったことは内密に、そしてかのご令嬢の前では何も聞かなかったように振舞ってください」


 一度テイザとキサラは顔を見合わせた。ここで聞かないという選択肢もあるが、ファリオンは気にせず語るだろう。テイザは仕方なさげに頷いて、キサラは神妙に「はい」と答えた。


「“討伐者”はその生涯を賭して堕天使を狩りました。けれど問題は天使族の寿命が人間に比べ遥かに長かったことです。天使族には独自の延命の術すらあったと聞き及びますし、勿論この特性は堕天使になろうとも変わりません。対して“討伐者”は神から与えられた羽根を自ら切り落としてしまっています。寿命自体は人間に比べ長かったのですが、堕天した者たちに比べると……」

「優先すべきは命だったってわけだな。“討伐者”が万一堕天使を取り逃せばそのまま逃げ延びる、そういうことだろう」

「まさしく。それ故“討伐者”には目的を果たすための継承者が必要でした。具体的な手段として挙げれば人間と交わり子孫を残すというのが手っ取り早かったようです」

「酷い話だな」

「え、それじゃあシュヒは」

「そう、“討伐者”の一族です。脈々と天使の血を受け継ぎ、堕天使を討つ為だけに存在する系譜」


 あまりの衝撃に、テイザとキサラは揃って口を押えた。

天使の血を引いていながら敵対する魔物と契約を交わして魔女に? どうしてそんなことになったのか。


「でもシュヒは確か養子として引き取られているはずだから、伯爵家は関係ないということですか?」

「いえその辺りは何とも」


 おや、時間切れのようです。と言い置いてファリオンがサッと離れて行った。見ればシュヒアルがタスラとシーラを伴って戻って来ている。




 ガシャン。




 この会話から数日もしないうちに、キサラは監獄塔の檻に放り込まれた。



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