17. 禁忌の鍵


 テイザは村に居た頃、何度か商人に雇われ傭兵紛いの仕事をしたことがある。そこで培った技術は体力の温存の仕方、素早い移動方法、長時間の移動でも疲労が蓄積しない歩法など多岐に渡る。

傭兵の仕事だというのに得られる知識経験は商人寄りのものだったが、今はそれが大いに役立っていた。


 見知らぬ土地での情報収集の仕方、目的地の正確な位置把握などは特にテイザの助けになった。


 民家から遠く離れ、傾斜を登る。草木をかき分ければ現れる木の階段を踏みしめ、邪魔な枝を屈んで避けた。


(どれだけ厳重に隠しているんだ)


 しかしなるほど、偶然迷い込むなどあり得ない立地であるらしい。そうして進んで行けば人目を避けるようにして建てられた小屋にようやく辿り着いた。


 パッと見る限り怪しいところはない。魔女の紹介だからと身構えていたが、貴族のような派手さや呪術の仕掛け、罠も特に無さそうだ。

玄関に取り付けられた小さな鈴を鳴らせば中から「どうぞ」と声がかかる。扉を押し開ければ椅子に腰かけ、本を読んでいる男が居た。


「待っていましたよ。しかし随分と遅かったですね」


 男は愛想よく笑った。ただ、微笑んでいるというのに何故か「冷たい」印象を受ける。無表情であろうが笑おうが、彼の纏う重たい存在感は和らがなかった。


「手紙を預かっている」

「読まなくても大体のことはわかります。お急ぎなのでしょう?」


 パタリと本を閉じ男は立ち上がった。敬語に、取り繕ったような笑顔。身だしなみには清潔感があり、部屋は簡素でしっかり片付いている。椅子の横には小さな鞄が置いてあり、本を仕舞えば準備が整ったようだ。


 服装もやはり派手なものではないのだが、やたらと目を引くのが耳飾りだ。透明で、何故か蕾の形をしている。

開花していない状態をわざわざ装飾具として作る経緯も、身に着ける意図もわからない。テイザにとって男は「まるで掴みどころのない」人間だった。


「話が早くて助かる。お前なら探し出せると魔女は言った」


 鞄を拾い上げ、置いてあった帽子を被ると男は行きましょうかと声をかけた。


「すぐに探せないのか」

「面識のない相手を探すのは難しいですね。何か強い繋がりでもあれば話は別なのですが」

「だったらこれはどうだ」


 テイザは首から下げていた小さな縦笛を取り出して男へ見せた。


「そちらは?」

「さぁ。キサラ…、いや、弟が大事そうに持っていた縦笛だ」

「どうして今貴方が持っているんですか」

「いや、それがどうしてだったのか記憶が曖昧だ」

「……ひとまず経緯は置いておくとして、本人の持ち物であれば可能でしょう。何といってもご兄弟ですし」


 縦笛を受け取った男は目を閉じて何事か呟き始めた。その途端室内の、扉も窓も閉め切られた空間で風が巻き上がる。

まるで空気そのものが男へ吸い寄せられているかのようだ。


 浮き上がりそうになる足を何とかその場で堪えていると、やがて風が止み男が溜息を吐いた。


「見つかりましたよ、弟さんは案外近くに居るようですね」


 雑に放り投げられた縦笛を辛うじて掴むと、テイザは慌てて男の後に続いた。


 実を言うと縦笛へ吸い寄せられた中にはテイザの記憶も入っている。両親が居なくなった後、弟は突然植物を育てることに没頭し出し、それに困惑する兄の姿があった。

食べられる物は時折食卓に並び、「加工品などの材料として売買出来る品種」は商人に売り出しているようだ。しかし安堵出来たのも束の間、薬草も多く栽培していることに気が付いた。


 それは誰に売り出すでもなくキサラ自身が使っている。


 間もなく弟の中に悪魔が巣食っていることを知った。身を切られるような苦痛と悪魔への激しい嫌悪感。隠しきれない敵意を感じたのか、キサラはテイザによそよそしく、そしてぎこちなく接するようになっていく。

男はそれらの記憶を振り切って階段を駆け下りた。



 小屋の近くには小さな川が流れている。男はその場を示してやるだけで良かった。

岸辺に倒れている少年を目にした途端テイザは叫びながら駆け寄り、男はそれを見ながら辺りを警戒する。


「キサラ!」


 抱き起して顔を見れば、唇は紫色に変色し酷い顔色だった。体も小刻みに震えている。


「呼吸はありますね。大丈夫、気絶しているだけです。小屋に一度戻って体を温めた方が良いでしょう」


 水を飲みこんでいる様子はなく、呼吸も自発的に出来ている。全身が濡れているため誤って川へ落ち、這い上がったもののそこで気絶した、と推測出来なくもない。詳しいことは本人に直接聞くのが早いだろう。


 男は袋を広げて脱がせた衣類を入れてやり、布を渡して体を覆わせる。テイザはキサラを抱え上げ、再び小屋へ戻った。


「暖炉に火を点けましたからその内室内も温まるでしょう。服はここで乾かしておきますね」

「ああ、助かる」


 渡された布で軽く体を拭いてやり、自分の羽織っていた上着を丸めてキサラの頭の下に置く。


「弟さんと逸れたのはいつですか」

「もう三日になる」

「三日。彼はその間一体何をしていたのでしょうね。見る限り食料を携帯している様子もなく、野営用の備えを持っていたようにも見えません」


 この場所から魔女の所有する馬車へ向かうのであれば一日もかからない。わざわざ待ち合わせた場所からも離れ、川へ向かう理由はないはずだ。仮に兄や魔女を撒く計画を立てていたとして、半成二人を置いて行くとも思えなかった。

また、前日に雨も降っていないので増水した川に足を取られたということもなさそうである。


「モンドレフト伯のご令嬢から何か聞いていませんか?」

「モンド……? ああ、あの魔女のことか」

「弟さんには魔術や魔法による探索を妨害する術式が施されていました。貴方が予めご令嬢に指示していたのでは?」

「妨害? 俺が? 何のためにそんなことをする必要がある。魔女が勝手にやったんじゃないのか」

「それこそ理由がありません。私はこの能力があるため同行を求められました。だというのに妨害の術式を組み込んでは頼る意味がないでしょう」

「確かにそれはそうだな。あー、最初に断っておくが俺には全く魔法なんてものは使えない。ついでに言うと知識もない上、魔術とも無縁だ。妨害術式とやらを頼む相手すら思いつかない」

「変ですね。かのご令嬢であれば術式をかけることも、放置しておくこともしないでしょう。……だとすると、弟さんは何者かと接触したことになります」


 そこでテイザはようやく気が付いた。魔女がキサラにかけていた魔法が切れている。

姿を隠す魔法は魔女が解かない限りかかりきりだと聞いていた。つまりそれを誰かが解いた、ということだ。


「アンタが使ったのは魔法か?」

「いいえ、私が使えるのは魔術だけです。魔導具を持っていますので」

「“魔の産物”か」

「そういった呼ばれ方もしますね。“悪魔の遺産”と呼称するのが我々にとっては一般的なのですが」


 男の耳飾りが意味ありげに揺れた。テイザにとって、魔導具をこれほど近くで見るのは初めてである。


「ある魔族の魔力が込められています。魔力の持ち主が使える魔法であれば、この魔導具を介して“魔術”として展開可能、なんていう代物なのですが、規格外の特殊な逸品なんですよ」

「魔法と魔術の違いがわからん」

「おや、そんなことよりも弟さん、お目覚めのようですよ」

「う……」

「キサラ、気が付いたか!」

「こういう場合安静が鉄則でしょう、揺さぶってはいけません」

「いてぇ!」


 キサラは熱があるのかぼんやりとして、再び目を閉じてしまった。寝息は穏やかで顔色も回復している。ただ眠っているだけだろう。


「貴方がここに来る前に読んでいた本の話なのですが」

「なんだ急に」

「いえ単なる暇つぶしですよ。天使や悪魔、人間が元々一つの種族だった、なんて説をご存知ですか。それぞれが独自の進化を遂げた、なんていう荒唐無稽の夢物語を」

「回りくどい話は嫌いだ。何が言いたい」

「人間にも天使族や魔族と同じで不思議な力がある、ということらしいです」


 コン、男の中指が唐突に机を鳴らす。


「不思議な力ね、そんなもの感じたことはない」

「では先の大戦はご存知ですか。魔物と天使族たちが他種族をも巻き込んで行った壮絶な戦いを」

「聞いたことはある。吟遊詩人が唄っているアレだろ」

「そう、それです。かの戦いでは人間界すら戦場として使われたのだとか。しかし知っての通り、降りかかる厄災に抵抗する力を人は持たない。そこで人間界を守護する者が、身を守る術を与えた。この話を聞いたことは?」

「さぁな。まるで聞き覚えがない」

「この話、どうやら神話を基に書かれているんですよ」


 コン、今度は薬指が机を弾く。


「神話、ね。それも吟遊詩人の題材だろう」

「ええ、ええ。少々脚色はあるようですが、神々は実在しています」


 コン。人差し指が置かれた。


「話が大きくなって来たな」

「古代において、天空は天界へ、大地は魔界へ通じると信じられていました」


 コン。小指が躍る。


「人間は天空や大地を体に宿し、加護を受けることが出来た、という伝説も存在しています。加護とは現代において、『精霊や妖精族から与えられる力』だけを指す言葉になりましたが、妖精族とは、自然に宿る力の化身。不思議に思ったことはありませんか?」


 コン。親指が沈んだ。


「悪魔、魔族、魔獣を使役し、精霊に加護を受け、妖精族に手を借りることが出来る。しかしそれらに並ぶはずの天使族の力だけは、人間が手にすることは出来ないんです」


 天使の力を授かる、預かるといった話を聞いたことは確かに一度もなかった。召喚士や魔女たちは魔物の力を借り受け、お伽噺には妖精たちが力を貸している。


「三界の住民が不思議な力を扱えるのに、人間が使えないわけがないと言った者が居ました。当人は天使族の力を欲していたのです。天使になりたかったのでしょう」


 天使族の力を得ることは、人間界において禁忌と呼ばれた。


「当然なりたいからといってなれるものではありません。生み出されたのは不完全な天使のみ」


 そうしてただ失敗を繰り返すかに思われていた。しかし予想に反して力に対する執念は凄まじく、三界の何者も介さず人智を超える力を得たのだという。


「許されざる行為を前に三界の神々、精霊王が動きました。禁忌を犯した者は屠られ、死後の世界に縛られて二度と還ることはない。けれど、そこで終わらなかった。許されざる存在となった亡霊を、取り戻そうという者が現れたからです。その者は、今もさ迷いあるモノを探し続けている」


 テイザの全身から汗が噴き出た。冷汗だ。凄まじい悪寒に体が震える。

支離滅裂な話を続ける男は、瞬きも少なくただジッと「キサラ」だけを見ていた。


「何を探している」

「取り戻す方法を。鍵と言えば良いでしょうか。閉じるため、或いは開くために用いられるものです。死後の世界には扉か門があり、いずれにしても


 コン。全ての指が机を叩いた。


「さて、死後の世界に縛られた“亡霊”は“さ迷う者”に言いました。鍵を探せと。そうすれば死後の世界から解放されますからね。そしてさ迷う者は鍵をこう呼びます」


 亡霊が名付けるまで、その鍵に名前は無かった。正確には、人が知る名は無かった。

亡霊が発した名は魔力の練られた言葉だったようで、音の響きが所々反響を起こし、さ迷う者には全てを聞き取ることが出来なかった。それでも耳で拾い上げることの出来た部分だけ繋げると、よく知った音になる。



「キシアラ、と」



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