16. 王である呪い


 我が身には、血脈には、身勝手で暴虐な呪いがかけられている。



 妖精界は魔界とも人間界とも違った様相だ。世界樹を中心に構築された空間世界は、魔王ダジルエレの目を大いに楽しませた。他二つの世界とは異なる成り立ちの上にあり、地上には木々が、天上には海が浮かんでいるようだ。

そもそも、魔界では領地を治める魔王の気分次第で天候や地形などあらゆるものが変容する。妖精界に似通った点があるはずもなかった。


 この幸運を何と例えるべきだろうか。目に見える全てが新しく、そして謎めいている。ダジルエレは知らず高揚し、辺りを生き生きと観察し始めた。


(やはりアレは指針であったか)


 だとすればこの上なく優秀である。魔法の在り方や構成の仕方、漂う空気すら違うこの世界に触れられたことは、魔王ダジルエレにとって素晴らしい経験となった。

そこではたと気付く。あの少年は今、一体どこに居る。


 このまま術式が稼働する限界まで堪能するのも良いだろうが、回収は必須だ。先のことも考えれば手元に置くのが一番だろう。


 すぐ傍に姿は見られない上、気配を探ろうにも世界樹が邪魔をする。その巨大過ぎる存在が、他の気配をかき消してしまうのだ。

肉体があれば別だが、魂だけで浮遊している以上干渉は難しい。


 驚くことにダジルエレの中に苛立ちや焦燥はなかった。地図を広げ宝はどこだと探す感覚を、今まさに疑似体験出来ている。常にはない喜びであった。

今回宝とは妖精界そのものであり、これを探すための指針を落としてしまったという実に奇妙な状況だったが、それも悪くはない。


 世界樹から顔を上げ、天を見上げる。どこまでも広がる海に、星々は収まっているという。

であれば、ダジルエレの星もまた、あの場所にあるはずだ。


 ダジルエレは海に向かって飛び上がった。魔界にある海と言えば、黒に濁って泡立ち毒を滲ませているものなのだが、妖精界は随分と違うようだ。同じ名称で呼んで良いのか、悩みどころである。



 太陽の子供たちが照らす水面はキラキラと光を反射している。底へ目を向ければ星が沈んでいるのも見て取れた。夜になれば空へ浮かび出すであろうそれらも、魔界で言うところの「星」と一線を画している。

妖精界の星々はまるで鉱石、それも磨き上げられた宝石によく似ていた。対して魔界で言うところの星は臓器に似通った形をしており、ドクリドクリと脈打ちながら光を撒き散らす。


 人間界で見た星とはまた違うが、こちらもまた別次元の美しさであると言えるだろう。


(さて、余の星は一体どこか)


 砂粒と同じで、一度落としてしまったら見分けが付かなくなるのやもしれない。底に沈んでいる星々が人型をしているわけではないが、あの瞳だけであったら見分けられるかどうか。


 そこでダジルエレは、妖精や人魚たちがヒソヒソと囁きながら、何かを遠巻きに観察していることに気が付いた。


「困った、困ったわ」

「アノ子大丈夫かしら」

「人族は臆病なのでしょう? 私たちが声をかけて怖がらせてしまったら可哀想だわ」

「そうよね、すぐに死んでしまうって聞いたわ」

「びっくりしても死んでしまうのでしょう? 驚かせてはいけないって語り部様も言っていたもの。どうしましょう」


 人族と聞いてすぐにあの少年ほしだと気が付いた。見れば妖精たちが囲んでいる中心に彼は居る。

胸元を掴み藻掻き苦しんでいる姿は確かに「大丈夫」ではないだろう。ちょうど指の隙間から赤と黒が禍々しく混ざり合い、光として漏れ出ていた。


 ジンワリと広がる黒の中には瘴気が含まれている。そのため妖精たちは心配そうにしつつも近寄ることが出来ない。妖精の肌は人族よりも弱く、瘴気に触れでもしたらすぐに火傷してしまうだろう。


「……、…」


 声をかけようと口を開いたが、しかしダジルエレはそのまま止まるしかなかった。

呼びかけるべき名を知らないことに今更気が付いたのだ。星を宿す者、指針。どれも少年を指す言葉ではあるが名前そのものではない。


 頭を緩く振った後接近を試みると、妖精たちは突然現れた霊体に「頼んだわよ!」「驚かせてはダメよ!」「人族は優しくしないとすぐに死んでしまうんだから!」とやかましく騒ぎ始めた。海の底からダジルエレを見つめる星々も、どこか不安げに揺らめいている。


 その時、少年が手を伸ばした。ダジルエレに向かって真っすぐと。

だが彼は最早前すら見えてはいないだろう。腕は頼りなく震え、宛もなくただ伸ばされただけに思えた。


 ダジルエレは咄嗟に手を握り返した。実体がない故に感触などないだろうが、ほぼ無意識である。

だというのに予想に反し、少年は驚いたようにダジルエレの手を凝視していた。只人には視えないはずの霊体を見、そして感触を得ているようだ。


 互いに驚いている内、重なった掌から虹が溢れ出て来た。既に事態は理解を超えている。


「あら、あの霊魂やっぱり神聖なモノなのよ。虹なんて出しているわ」

「本当だわ、辺りに広まった瘴気を鎮めてくださるのね」

「アノ子も安心ね、良かった」

「人族にしては心地の良い雰囲気なんだもの。きっと精霊様の加護が馴染んでいるのね」


 ダジルエレは好き勝手はしゃいでいる人魚たちに疑問符をぶつけてやりたくなった。魔王が神聖なモノとは一体何事か。


 しかし聞き捨てならなかったのはその後だ。精霊が加護をくれてやったというのに何故ここまで苦しんでいるのか。


「キサラ」


 星を宿す少年はそう名乗った。黒の光は呪いから溢れた瘴気だろうが、赤の光は正体が不明だ。心臓の辺りから滲んでいたということは、魂に起因する何かだろう。

胸元をまさぐるような真似も出来ず、ただ視線をやるだけに留めておく。体さえ、器さえあれば分析のしようもあったのだが。


 話をするうち、どうやらキサラはダジルエレを妖精として認識しているようだと気が付いた。全くおかしな日である。

妖精からは神聖と言われ、人族からは妖精と間違えられる。


 今度はこちらが名前を聞かれたもののまさか正直に「ダジルエレ」だと名乗るわけにもいかず、幼名を呼ばせることにした。


「ナキア」


 そう、その名は長らく誰からも呼ばれず、たった五年で使い終えたものだ。

ナキア。まだ何者でもない自由の証。自身の納める魔国の領域でさえ、知る者はほとんど居なくなってしまった。


 そんな風に穏やかに過ごしていられたのは僅かな時間のみ。再び苦しみ出したキサラの傍に寄り、原因を探る。


 妖精界の海は、妖精たちにとって「聖なる領域」だ。凝固し塊となった憎悪を解きほぐすべく生み出された海だと聞き及んでいる。生ける者たちの涙で出来た広大な溜まり。


 この海で溶かされるものがあるとすれば、それは呪い以外にあり得ない。


 ちょうど魂の部分に一つ、歪みが視える。

元々キサラのものだと思われる魂へ、絡みつくように魔物が寄り添っていた。


 本来、呪いの全容が解明出来ないとしても術式基盤さえ読み解けばある程度の無力化、無効化が図れるはずである。しかしそれは通常、少なくとも現代で用いられる呪術にのみ適用される常識である。


「古代の呪いか」


 すぐに思い至ったのには理由がある。ダジルエレ自身が古代の呪いをその身に受けているからだ。


(そうか、お前も)


 我が身に降りかかった災い。それこそが古代の呪いだ。


 古代とは、三界の全てが陸も空も海も繋がり合い、互いの干渉を良しとし、隣人同士が無条件に信頼し、またされていた時代の事を指す。古代では呪いどころか魔法自体の在り方が根本から異なっていた。


 現代に残る魔法、呪いとは違った理論が確立されているためにいくら技術を磨いたところで通用しない。術式基盤を読み込もうにも意味不明な文字の羅列が見えて終わりだ。


 呪いによって生きる道を決定付けられてしまった己の姿が、魂の歪みを持つ少年に重なって行く。


 キサラは感じただろうか。他と違うために世界と切り離されていく孤独を。座って呼吸をし、そこに存在しているだけで世界は廻るというのに、不意に輪から弾かれたことへの苛立ちを。



『貴方様の、為に』


 かつて、父を中心とした円はゆるゆると広がっていった。波紋のように、しかし消えることなく長く広く続く。


 かの中心へ躍り出るものは居なかった。あの魔国における魔王とは生贄と同義であったからだ。


 突如として引っ張り込まれた円の中から見る世界は、傍から見るよりずっと醜悪で、爛れきっていた。まだ誕生して五年。充分な成長を終えていなかった子供に彼らは跪き「我らが王」と唱えながら頭を垂れていく。


 玉座に縫い付けられていく幼き「ナキア」。

彼に求められたのは権力を誇示し弱きを踏み躙り、ひたすらの繁栄を齎す強きモノの姿だった。強き精神、強き肉体、強き軍、強き王。神の如き信仰と熱狂と侵略と圧倒的な支配。それさえあれば良い。


 王であること以外は許されぬ。


 血脈自体が玉座に縛られていると気付くのに、そう時間はかからなかった。「王魔族」などという大仰な名称も最早目印に過ぎない。

これは王を途切れることなく排出する魔の一族であるからという意味ではなく。王であることを義務付けられた血筋だったのだ。


 魔物の執着に果てはない。底もない。これは永遠だ。

一度手に入れた強さの因子、血脈を逃してはならない。手離すことなどあり得ない。


 存在しているだけでこの血は魔界に大きな影響を及ぼす。

破壊、支配、束縛、無情、殺戮、侵略の全てに祝福がある。力の誇示だけが、幾千年続く彼らの誉である。


 ダジルエレの背に刻まれた王の血族たる証。まるで目印のようなそれが玉座に繋がれ、魔物たちは群がる。


 王と戴かれる生贄が魔王ダジルエレの正体だ。言葉にならない無念が胸から湧き上がり、耳には無数の亡者の声が届く。そしてそれは日に日に大きくなっていくのだ。


〔滅ぼせ、亡べ、我らが宿願を、無念を晴らせ〕


 国に初代として立った魔王、血族の「始まりの男」がとある魔物に呪われたことから全ては始まった。彼が決して魔界を離れられないようにとかけられた呪いは、効力がほとんどなかった。

初代魔王は魔界からも玉座からも逃げ遂せたのである。


 その代償がこれだ。生まれながらにしての呪いがダジルエレの血族にはついて回る。


 任期は次の王が座るまで終わらず、死ぬことは許されない。自由を良しとせず、強さで塗り潰されなければあの椅子は満足しない。王冠は満たされない。

 傷は勝手に治癒し、魔力は枯渇しない。元々持っていた特性は限界値まで引き延ばされ、器は極上のものを用意された。簡単に壊れないよう、王冠が、玉座が、先の魔王が結託して造り上げた最高傑作ダジルエレ



 彼は人間界へ赴いた。配下たちは思い付きだと信じているが、長く練り上げた計画の上にある。

耳に届く声の中には父のものも混ざり、歴代の魔王たちは揃ってダジルエレを追い立てた。


 歴代魔王の悲願。自由、玉座からの解放。


 すなわち、呪いの根源である初代魔王を殺す。


 崩れ飲み込まれ、その果てに何があるというのだ。呪わしい、妬ましい、恨めしい。強い負の感情が常に流れ込んでくる。

逃げるように没した父の表情は未だに焼き付いて離れない。



 当代で魔王と成り代わる者は最早望めなかった。玉座ごと破壊するだろうと期待して持ち帰ったアリファスも、結局は何の役にも立たなかった。


 父の代わりに円の中心へ放り込まれた瞬間から、古代の呪いが全身を蝕んでいる。


『ナキア』


 キサラへ夢見の魔法をかけ、人間界へ返してやった。古代の呪いで歪んだ少年は、ダジルエレにとってこの世でたった一つの寄る辺となった。



 星々が弾けるように飛んで行く。輝きに囲まれてダジルエレは浮かび上がった。

黄昏が夜に沈み、精霊王も眠りに目を閉じる。


『ナキア』


 指を伸ばされ、手を重ね、名を呼び、名を呼ばれた。それだけが、たったそれだけが魔王には必要なものだった。得られるべきもので、与えられるべきものだった。


〔鎖を落とせ、我らの末裔。お前の足は、どこまでも往けるだろう〕


 歴代の魔王に足りなかったものをダジルエレは手に入れた。進むべき方向のわからない血脈にとって得難い指標。

さて彼は妖精界で出会った妖精の正体が魔を統べる王であると知った時、どんな目でダジルエレを見るだろう。



 あの眩い導きの碧は。



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