13. 精霊の穴


 星を宿した碧色が瞬く間に燃え上がる。炎の揺らめきと熱気に、妖精たちは勢いよく後退った。

怪我をしたドワーフですら、身動きをして距離を取る。


「よくぞその腐臭の中コレを見つけたもんだ」


 表情、口調、声の出し方、立ち振る舞いの全てがまるで別人だ。悪魔憑きだと理解した妖精たちは少年を警戒し、魔獣のことなど残らず意識の外へ追いやった。


「だがな覚えておけ、コイツは俺のもんだ」


 五本の指が少年の心臓を囲うように置かれる。魔獣はその言葉を理解したのか一斉に唸りを上げ、少年は獰猛な顔付きで嗤った。


「喚くな、擬態も出来ねぇ魔獣もどきが」


 魔獣は今度こそ少年に襲い掛かろうと前に出る。しかし。


 瞳に揺らめく炎を直視してしまった。灼熱の輝きに、ジリジリと爪先が焼けるような心地がする。魔獣たちの尻尾は垂れ下がり、オドオドと後退る。あれ程威嚇していたにも関わらず、今はか細い声を上げて震え上がった。


「ガオ」


 悪魔が戯れに鳴き真似をすれば魔獣たちは一斉に逃げ出した。戦いもせず、命じられもせず、ただ怯えて我先にと駆け抜ける。その異様な光景すら妖精たちは見送ることをしない。

今この場で一番危険なのはこの「悪魔」だ。


〔小僧〕


 光の呼びかけに、悪魔は視線だけを返す。燻る炎は瞳から出ていないにも関わらずまるで周囲を焼き焦がすように熱い。


〔何者だ〕


 ただの悪魔ではない。光には確信があった。何故ただの少年にこんなモノが入っているのか。

悪魔は光の問いかけには答えずどこかへ足を向けた。エルフはそんな悪魔の背後から音もなく駆け寄り、その顔に思い切り粉を撒いた。

…エルフ自身は撒いたという認識だが、傍から見れば粉の塊を顔面に打ち付けた、が正確なところである。


 花から抽出されたその粉は、通常狩りなどで眠り薬として使用されるものだ。主に罠にかかった動物に対して用いられ、暴れ回って体に傷が付いてしまうのを防ぐ。

適量より遥かに多いそれを吸い込み、少年の体がパタリと倒れ込んだ。


「馬鹿、そんなに吸わせたら死ぬだろうが」

〔動きを封じるまでは良かったのだがな〕


 エルフに苦言を呈し、光が傍に寄る。聞こえて来るのは穏やかな寝息だけなので、何とか大丈夫そうだ。


「この人族は一体何なのでしょう」

〔不可視の魔法がかけられていたが、会話のために術式を綻ばせたのが良くなかったようだ。魔物たちに位置を悟らせるには充分な手助けであった〕

「彼が魔法を?」

〔いや、視た限り小僧自身に魔法を使用した痕跡はない。勿論あの悪魔も例外ではないだろう〕


 ふむ、と頷き光はエルフを見た。彼も不可視の魔法をかけていたが、どうやら少年にかかっていた魔法を分析して同じものを使用していたようだ。ただ膜と膜の間に羽根が入り込んだため、少年にもそれが見えていた。


 襲い掛かって来た魔木や魔獣は所謂「小物」で、少年の位置を正確に見抜くまでの能力はなかったようだ。光がドワーフの警戒を解くため目視可能の状態にしたことで、彼は執拗に付け狙われたのだと考えられる。

責任の一端を感じ、光は小さく謝罪した。人族が姿を隠すにはそれなりの理由があるらしい。


〔仕掛け自体はなんて事はないものだったが、あの魔法は水属性を基盤とした上に光属性の魔法が織り込んであった。複雑な術式こそ見られないが、単純な魔法からよくぞ上級魔法に並ぶ効果を引き出したものだ〕


 膜状に張られた水属性の魔法は一応防御壁の役割を果たしているようだが、エルフの撒いた粉はあっさり通った。

本来水属性の魔法で体を覆う場合、防御として用いられるのが一般的と言える。その役割を削って別の効果を生み出すという発想は中々に「面白い」。


〔小僧に魔法をかけた者は只人ではあるまい。魔法を使える身でありながら、その思考は魔法に頼り切ったものではないようだ。姿を消す魔法自体は存在しているがそれを使わないのは術式が気に入らないのか、単に手を出せない領域なのか。いや、見てみたいものだ〕


 使用された魔法の術式基盤を読み込むことは、光にとって容易い作業だ。一見複雑に思えるそれらは一つ一つを分解して捉えれば比較的簡単な仕組みで構成されており、一層術者に興味をそそられる出来栄えだった。


〔これを読み解こうとする者に対し、認識をズラすだけの仕掛けが施してある。うむ素晴らしい。我々はどんな魔法も簡単に扱うが、だからこそこうした単純な掛け合わせの思考はない。新しい学びである〕


 光としては、エルフがこの術式の本質を掴むまでの時間や経過を観察し、これがどれだけの技術かを測りたいところである。

そうも言っていられない状況のため、泣く泣く切り上げた。


〔了解も得られぬまま視るのは本来避けたいのだが、時間もあまり残されてはいまい〕


 先程から小さな火の気配を感じる。指先もやや動きが見られ、あれ程の量を浴びたにも関わらず少年は目覚めかけていた。


 光はゆっくりと人の形を取って行く。透明な風を纏ったそれが端から手を形作って行くと、実体のない指が彼の頭をなぞる様に滑って行った。


〔おや、元々生物の構造自体単純ではないが、ここまで複雑なものを視るのは初めてだ。……これは、人族の街を焼き払った魔力だな。とすると、魔王のものか。小僧は魔王との接触があったらしい。魔物たちはこれに引き寄せられた、というわけだな。この僅かな魔力の痕跡でも、取り込んでしまえば充分力になるだろう。特に、小物などには極上の餌だ。今までは魔女か、上級の魔族が傍に居て気配が隠れていたようだ〕


 光は手を心臓の上に翳した。心臓と脳はより細かく魂を視るのに最適な器官である。


〔魂自体に呪いがかかっているようだ。これ自体は然程珍しくはない、が〕

「なんです」

〔本来であればあり得んな。だが起きている以上仕方がない。少年はただの悪魔憑きではないようだ〕

「確かに瞳の色まで変化していましたね」

〔呪いに加え、小僧の魂そのものに魔物が絡みついている〕


 辺りに衝撃が走った。草木ですら精霊の言葉に耳を傾けて、事態を見守っている。


「人族の魂であれば悪魔に打ち負けて消滅しそうですがな」

〔そう簡単な話ではない。小僧の魂には神の手まで加わっている〕

「神? そんな馬鹿な」

〔いや困ったものだ。存在一つで二界を有するとは〕

「それが困った顔ですか」

〔ああ当人には耐え難い事態ではあるだろう。この器自体は人間界のものだが魂はそれに準ずるモノではない。紛れ込んだのか? 呪いによって魔物と融合しかけている。実に歪で奇妙。いやはや何故この小僧は何でもない顔をして暮らしてこれたのか。うむ、魔王との接触はごく最近だ。コレを持ち帰らなかったのは先程の悪魔が妨害でもしたのだろう〕


 光は分析に没頭し、ブツブツと早口で捲し立てる。こうなればドワーフたちが入り込む隙は無い。それよりも気になるのは、「神の手が加わった」という点だ。


 世界には様々な種族が存在するが、彼らにとって神族、魔神族、精霊たちは一線を画する上位存在である。

それぞれ天界、魔界、妖精界を統括しており、最高位の者たちが各世界を維持している。人間界からすれば別格の世界であるが、行き来自体は可能だ。

ちなみに死後の世界は存在しているが、そこだけは隔絶されているため神や魔神であっても行き来出来ない場所である。


 これらの天界、魔界、妖精界はまとめて“三界”と呼ばれ、人間は異界とも呼んでいた。

天界には神族と、それに準じる天使族が暮らしている。同じように魔界には魔神族、魔族が存在し、妖精界には精霊と妖精が居て、さて人間界は一体何の庇護下であったか。


〔天界と魔界、それも高位の者たちから接触を受けたのであればこの器は長く持たないだろう〕


 余程苦労して数年、といったところか。

光は苦々しい気持ちで加護を授けてやった。この加護が覆いとなって魔物たちから付け狙われることは今後なくなるだろう。


〔少し呪いを溶かす必要がある。綻びさえ出来れば解けることもあるだろう〕

「まさか」

〔“精霊の穴”へ落とす。妖精界であれば延命くらいは出来よう〕


 ドワーフを助けた礼にしては高すぎるくらいだが、少年はこの瞬間、神、精霊、魔王の痕跡を宿した。





「精霊の穴?」

「なんだ、知らないのか」

「いえ、聞いたことはあるの。でも詳しくは知らないわ」


 シュヒアルは聞き取りをしていて耳を疑った。


 精霊の穴。

各地に伝承を残すお伽噺である。


「精霊の住処は異界の地 精霊の穴は妖精たちへの導」


 と、古くは吟遊詩人が唄ったことで知られている。これらの題材は今でも定番で、中には生贄と称して「人が落とされた」という話すらあった。妖精だの精霊だのという言葉が躍るが、自らそこへ飛び込んだ者は居ない。死ぬと決めた者ですら足を運ぼうとは思わない危険な場所だ。


 果物屋の店主が言うには、お伽噺として語り継がれているこの現代においても、精霊の穴が実在しているのだという。

一説では「精霊の住処に繋がる入口」とされていて、時代ごとに数を変え場所を変え人間界に存在し続けているのだとか。

ただ今はどこに存在し、またいくつあるのかはわからない。領地ごとに貴族たちが秘匿し管理しているのだろうと締め括られた。


「ではこの地には妖精が?」

「そうだなぁ、何年かに一度見たって奴が出るねぇ。本当かどうかは怪しいもんだが」

「そうなの」

「そのお連れさんが戻って来ないってんなら、落ちたのかもなぁ」

「まさか」


 冗談っぽく笑った店主が妖精について語る。

現在、エルフやドワーフなど人に近い姿をした種族であれば、普通に生活しているような地域もあるのだとか。ただし動物の姿に近い者や大きさが違う妖精たちはほとんど姿を現さない。


「元々妖精たちは末席の天使だったとかいう話があるけどねぇ、あれも誰かの出まかせなのか物語の一部なのか、わからないなぁ」

「妖精は精霊たちが生んでいるのではないの?」

「さぁねぇ、ある意味中立にまわった種族が妖精になったのかもしれんなぁ」


 聞けばこの店主、若い頃は精霊や妖精に対しかなり興味を持っていたらしい。何年か調べ学び、研究までしたことがあるそうだ。

道理で詳しいわけである。


 妖精は魔女よりも謎に包まれた存在だ。元々人間は妖精に対し少ない知識しか持ち合わせていなかったが、伝聞すら廃れてしまった今、僅かな情報でも貴重だという。

そんな途方もない分野を一度は極めようとしたのだ、彼も相当な苦労があったのだろう。何がきっかけで戻って来たのかは知らないが、今はこうして小さな店で店主をしているのが物悲しく感じる。


 それでも、彼は若い頃に集めた妖精関連の本をたまに読み返すのが楽しいという。過去同じ研究に携わっていた仲間たちは元気だろうかと、店主が遠くへ思いを馳せ始めたのでシュヒアルはそこで引き上げた。邪魔者は居ない方が良い。



 そもそもキサラには姿を隠す魔法がかかっている。多くの目に晒されることはないので目撃情報自体がない。それこそ“精霊の穴”にでも落ちたと考えるのが自然だろうか。


 彼は一体、今どこに居るのだろう。キサラの瞳を思わせる満天の星を見上げ、シュヒアルはため息を零した。



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