5. 兄、弟、それと
兄・テイザは体の大きさや顔立ちが父親にそっくりだった。一方弟であるキサラは母親に似ているため、血の繋がった兄弟であるにも関わらずその見た目から共通点を探すのは難しい。
また、性格も似ているとは言い難く、一目見て二人を兄弟だと言い当てられる者はこれまで居なかった。
引っ込み思案な弟に対して、兄は人当たりも良く奔放で、仲間や友人が多い。
同じ家に住んではいるものの、会話はほとんどなく最近は二、三言葉を交わす程度だった。ここ数年は特に距離のある生活だったとキサラは振り返る。
性格の違いなどはもちろんあるが、そもそも職種が違うため起きる時間や寝る時間も合わず、食事も共に取ることはない。
だからこそ、村を旅立つと打ち明けるのは緊張を伴う一大事だった。
何度も同じ引き出しを開けては閉め、立ったり座ったりを繰り返す。家の中から持ち出す物はもう決まっていて、他は買い出しに行くばかり。現状することはもうなくなってしまった。
こうして迷っていても仕方がない。よし、と一つ気合を入れて扉を開く。すると兄はちょうど小脇に抱えていた袋を置き、外套を脱いでいるところだった。
「兄さん、その、話があるんだけど」
「……珍しいな、半成のことか?」
小屋へ向かう前、兄と話していたのもちょうど二人の話題だった。テイザに促されて席に着けば、向かい合って座るなんて何年ぶりだろうと妙な感慨が湧く。
もちろん兄も魔王の噂は知っているので目的地が城であることは伏せ、簡潔にタスラとシーラを連れて旅に出ると伝えた。
驚いたテイザが口を挟む間もなく荷造りはある程度終えたこと、仕事は当面落ち着いているため急ぎの用事もないと畳みかける。
具体的な話をしたことで冗談や思い付きの類ではないと理解したテイザは、訝し気に眉を寄せた。
「村から一度も出たことはないだろう。わかってるのか、寝床だってタダじゃない」
「うん、わかってる。路銀を稼いで行ける自信だって、その、少しは…いやええと、ちゃんとある」
「そもそも何のためにここを出る」
「それはその、見に行きたくなったんだ。色んなところ」
自信が少し、なんて言ったものだから咎めるようにテイザが目を細めた。それを見て徐々にキサラの目線は下がって行き、最初に比べ声も体も萎むように丸まってしまった。
「その辺りを散歩するでも充分だろう」
「ちが、遠くに行きたいんだ。出来れば、王都の辺りまで」
「王都? はぁ、冗談はよせ。どれだけ距離があると思ってるんだ。隣の村に遣いに行くのとは訳が違うんだぞ」
「そ、そのくらいわかってるよ。地図で見たこともあるし」
「地図なんて縮尺された道だろう。実際に歩くのとはまるで違う。道中に魔物が出るなんてことちゃんと書いてあったか?」
「あ、それは、商会に魔物除けも幾つかもらってるよ」
「何を言うかと思えば。魔物除けなんて小物程度は弾けても下級悪魔ですら破ることが出来ると聞いた。旅程を考えるに護衛は必須だぞ」
計画を立てても予定通りの日程で進むことはまず不可能だろう。天候はもとより魔物、或いは野生の動物との遭遇も考えられる。更に野盗などへの警戒や現地での食料調達など。見通しが甘い点を次々挙げられてついにキサラの額は机にぺたりとくっついた。
食材を買うお金や宿代の工面については一応考え始めていたものの、護衛までは全く考えていなかったのだ。
「さて、こんな大事な話を勝手に決めた薄情者の弟よ」
「う、え、なんで薄情とかいうの」
「半成を拾った時もコソコソこそこそ。俺が全く気付いていないと思ってたみたいだが、お前たちが机代わりにしている木箱を運んでやったのは何を隠そうこの俺だ」
「えっそうだったのありがとう」
「どういたしまして。で、朗報だ。お前たちにタダで着く護衛を紹介してやる」
「本当に!? ありがとうでもどこの誰」
「俺だ」
「えっ」
「俺だ」
「な、なんで」
「『なんで』?」
テイザは立ち上がって素早くキサラとの距離を詰めた。驚いて上げたキサラの右手を掴みそのまま引き寄せ、同時に足を払って床へ倒す。腕を取ったのとは逆の手で頭を庇ったのでキサラが痛いのは背中だけだ。それでも打ち付けられたせいでむせ返った弟を見て、テイザは溜息を隠しもせずに見下ろす。
「こんな少しの力で、それも片手だけで倒せるんだぞ、キサラ」
試しに立ち上がってみろと言われて力いっぱい抵抗するが、腹部に乗り上げたテイザはビクともしない。藻掻いてがむしゃらに動かしていた腕すらそのうち抑え込まれ、キサラは完全に動けなくなった。
「兎でも狩った方がまだ難しいぞ。護身術の一つでも覚えろとあれだけ言って聞かせたのにお前と来たら本に草に花ばかり」
「わかった! わかったよ! 護衛も何とかするっ」
「良いかキサラ、お前が雇えるとしたら普段傭兵として稼いでる連中だ。それも安価で雇えるような最底辺のな。そういうのは野盗と変わりないのがゴロゴロ紛れている。雇い主になるお前はとても金を持っているようには見えないしそれ以上の利益は見込めない。とすればやることはただ一つ」
テイザは脅しかけるように声を低く這わせ、キサラの首へ指を置く。
「殺すか脅すか。金だけ巻き上げられて終わりならまだ良い。半成は珍しいから、あの二人は誘拐されるかもな。それで高値で売り飛ばされる」
ゾッとして顔色を失ったキサラの拘束を解き、テイザはゆっくり体を起こしてやる。打って変わって優し気な声だが目は笑っていない。
「言っちゃ悪いがお前たちは揃いも揃って世間知らずだ。ここを出て上手く行くとは思えない。それにお前は忘れているんだろうが、俺にとってはお前だけが家族だ。キサラ、弟を見殺しにする気なんて俺には最初から無いんだよ」
キサラは小さく息を飲んだ。
村に置いて行くことを、兄がどう思うのかまるでわかっていなかった。二人を優先することがどう取られるのかを、理解していなかったのだ。
長いこと苦労して維持して来た家だって、手離すと言う。もちろん家族で過ごしたからこそ家は大事だ。しかしテイザが大事にしているのは家族であって家そのものではなかった。
怒りに揺れる父親譲りの瞳は、キサラとは全く違う。けれどそれは母親似だからというわけではなく、キサラの瞳は家族の誰とも似ていなかった。
「『お前は頼りない』と言われているようで腹が立つ」
瞬間、唸るような声が上がる。
「だからなんだよ」
テイザは下から急に喉元を殴打され咳き込みながら後ろへよろめいた。そう、兄が弟を放っておけない理由は何も「外へ出てすぐ死にそうだから」というだけではない。
「無駄に兄貴面しやがって、鬱陶しい」
「お前……」
見れば普段は青色の両目が赤く染まっている。炎の揺らめきを思わせる瞳は明らかにキサラのものではない。凶悪な表情に、気だるげな立ち姿。粗暴な口調に吐き捨てるような声の出し方。
「早くキサラから出て行け、悪魔め」
「出て行けるもんならこんな体捨ててやる。おいおい、睨むなよ。居心地は良いんだぜ、とってもな」
ギリ、と歯を鳴らし睨みつけるテイザを見て楽し気に悪魔は笑った。
「知ってるだろ、俺がキサラを助けてやってるんだ。いつもいつも、いつもな。お前が不甲斐ないから。だろう? なら一つくらい感謝があってもいいんじゃないか?」
「お前が守っているのは器だけだ」
「ああよせよ、虫唾が走るぜ」
「俺も同じだ」
「死なれちゃ困るんだよ、俺も死ぬからな。だからこうしてこいつの小さい頃から甲斐甲斐しく世話をしてやってるだろ? 殺られる前に俺がやる。お前なんて要らねぇんだよ」
悪魔は相手が何を嫌がるのか的確に理解している。キサラの顔で要らないと言われれば、本人の言葉ではないとわかっていてもテイザは傷付くのだ。
「早く、キサラから出て行ってくれ」
赤い目。炎の揺らめき。テイザの頭を痛めつける色だ。
二つの丸いそれが弧を描いた。楽し気に、値踏みするように、侮蔑の色を込めて。
「どうかな、コイツは泣くかも知れねぇだろ。俺と離れたくねぇってな」
クシャシャシャ、と笑う姿に頭へ血が昇ったテイザがガン、と机を叩いた。そのまま抑えきれない殺気を向けるが悪魔も平然とそれを見返す。
「お前は勘違いしてるぜ、テイザ。俺は好きでこの体に入ってるんじゃねぇよ。捕まってんだ、抜け出せねぇようにな。どうしても出て行けってんなら器を用意するのが道理だろう。テメェの体だけは御免だがな」
キサラは何を考えて外に出るだなんて言い出したのか。
知らぬ事とはいえ、悪魔に憑かれている事実を周囲が悟ればどうなるのかは明白だ。守らなければならない。兄として、家族として。
悪魔からも、世間からも。
「愛情深いお兄様よ、血に肉を分けた器の中に居るなら俺も“家族”だろうが。慈悲をくれよ。例えばそう、その不愉快な面を二度と見えなくするとかな」
瞳の炎が一層強く輝いて見えた。これを剥がさなくてはならないとテイザは何年も苦心している。
両親が死んだその日から現れた、この悪魔を。
「お前がその体から出たときが楽しみだ」
乱暴に扉を開き、テイザは家を出た。
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