6. 黒猫


 闇夜に紛れて軽快に歩いていた黒猫が、気分を害したように低く唸った。


(結界が張られている)


 少年に纏わりついていたあの禍々しい魔力が原因であることはすぐに知れた。魔王相手に渡り合えるような魔物が、一体何故このような片田舎の少年に憑いているのかまではわからない。


 さて、この黒猫に化けた魔王ことダジルエレ・ナト・ラデルス・ビ・ラドディエク。長々とした名称ではあるが紐解いていけば何ということはない造りになっている。

頭から順に自身の名、母の名、父の名、“悪魔の子”という意味を持つ古代の言語を結び、最後に国の名を冠した「ラドディエクの子、ラデルス(父)、ナト(母)の血を引くダジルエレ」という意味である。


 形骸化した慣習や掟に忠実なのは単に魔王・ダジルエレが歴史に対し敬意を払っているからに他ならない。ただ魔王でありながら彼、或いは彼女の気質は知的好奇心を満たしたいという欲求に溢れ、王座よりも外の世界やそれらが持つ歴史に深い興味があった。


 彼が今使用している「飛魂」と呼ばれる上級魔法も、かつて好奇心の赴くままに習得した魔法である。通常使用する魔法に比べ、魔力の消費量は桁違いだった。


 というのも、「魂を扱う」という分野はそもそもが魔物の領分ではない。せいぜいが生ける者の死に際に掠め取る程度で、趣向として食すことがあるかないか、といった具合だ。


(だからこその不具合か)


 高度な魔法の成功ではあったが、専門外の分野だ。具体的な詠唱を知らぬまま独自に術式を考案し展開している。魔王の称号を持つ者たちは皆例外なく魔法の才を宿しているが、確立した理論もないままの行使である。

第一初めて抜け出た時より異変は起きていた。





 碧の目を持つ少年との邂逅前、魔王・ダジルエレは一人自室にて術式を展開していた。

不具合を見たり微調整をするためだったのだが、本来こういった試験的な魔法行使は下級の悪魔や魔物にさせるべきものである。

しかしこのとき、彼の魔法に対する自信の強さがこの状況を後押ししていた。


 異変が起きたのは、体から魂が抜け出た直後。ぐ、と何かに引き寄せられるような感覚があった。

危険だと忌避するのは簡単だが、抗えようか、この「欲求」に。


 ダジルエレは迷いなく飛び立ち、引き寄せられた先の木々を見下ろした。森だとしたら妖精か獣の領域だろうが特にその姿は見られない。とすれば要因は歴史的遺物や魔法陣の類か。

高度を下げつつ上空を滑空していくと、不自然に空間が開けていた。見れば小規模な村である。


 低級の魔獣にまでは通用するであろう魔除けの気配はあるが、中から魔物の存在を感じるという矛盾。特段栄えている様子もないこの村をダジルエレは一目で気に入った。人族たちにとってしても然程重要とは思えないこの場所に、途方もない「謎」がある。



 ぐるりと辺りを見回したが魔法や魔術の術式、および痕跡は見られない。

魔除けの影響で広範囲に引力が分散し、どこに引き寄せられているのか明確な一点が絞れなかった。


 霊体のままでは何かと不都合が起きやすいのだろうと瞬時に判断し、何かに“憑く”ことを決める。しかし寂れた村だ、誰かが通りかかる気配はない。


(仕様のない)


 小鳥にネズミ、蛇に虫。比べてしまえば黒猫は極上の器に思えた。まず人族に見つかっても攻撃されることはないだろう。

知能は高ければ高い程良く、出来れば人型の生物が良かったのだがここで贅沢も言っていられまい。手頃な肉体だと開き直って猫へ寄って行った。


「ニャァゴ」


 さて見えているのかいないのか。霊魂のまま黒猫の頭を撫でやると、感触はないにも関わらず気持ちよさそうにダジルエレの手を受け入れすり寄って来た。


(しばし体を借りるぞ)


 一つ鳴き声がした後、ダジルエレは猫の体へ招かれた。


 黒猫の思念体はそのままジッとダジルエレを見つめているようだ。害はないので尻尾を揺らしそのまま道を行く。


(何もないではないか)


 低い目線が仇となったのか、それとも木に登ろうと同じことか。

この土地自体に魔を寄せ付ける何かがあるとして、視認も感知も出来ないのであれば今後脅威になることはないだろう。


 と、ここでようやく猫のヒゲが動く。人族の気配だ。


「ん?」


 その人族こそ、碧の目を持つ少年だった。魔王・ダジルエレを引き寄せたのはコレだったのだ。





 などと確信を持って再び訪れたのだが。忌々しいことに少年に取り憑いた魔物が力を揮っているらしい。

黒猫の尻尾が不満げにタシン、と地面を叩いた。結界に使用されている魔力こそそう多くはないが構造が複雑で罠が幾つも見られる。技術の高さと術式の美しさは目を瞠るが、こうも厳重に隠されて暴かないという選択肢はない。


 しかしダジルエレの体は今猫なのだ。器の形が違えば得意とするものも変わるというのが魔物たちの常識である。


 本来、魔族の階級は魔力の強さにより決まる。本質は異なるが上級の者たちは天使に構造が近い。

つまりダジルエレも例外ではなく、身体構造が天使に似通っていた。


 魔界に巣食う上級の魔族たちは男性体の姿と女性体の姿を持つ両性である。各々好きなように性別を選び、儀式や術式によって永続的にその姿を固定する。天使は厳密にいえば両性ではなく無性なのだが、性別を儀式や術式によって固定するという機構が同じだ。


 魔族たちの性別選択はその性質を鑑みて行われてきた。

肉体、魔力の攻撃性は男性体が特化しており、女性体は肉体的な力や魔力は多少劣るもののより繊細な魔法・術式に特化する。

よって戦闘を好む者は男性性を、繊細な技術を求める者は女性性を選ぶ傾向にあった。


 性別の固定は両性のままいるより能力値が底上げされるため、魔族たちの中で両性と言えば生まれたての命を指す。

最も、ダジルエレは未だ性別の選択をしていないためこの限りではない。


(女性体になれば解析も出来ようが、猫ではな)


 ぐにぃ、と鼻に皺が寄る。肉体を伴っていれば突破も容易いが、実体のまま移動すれば行動が補足されるため好ましくはない。一度引くしかなかった。


「ナァゴ」


 また来ると言わなくても察しただろうが、儀礼として宣言をする。…猫の言葉が通じるかは別として。


 パチ、と目を開けばそこは既に自室だ。

早速魔法陣に術式展開用の様々な魔法を編み込んでいると、背後に音もなく女性体の魔物が現れた。


「あらあら何をしているかと思えばダジルエレ、また妙なものを創っているわね」


 ダジルエレの納める国に暮らす魔物は皆、魔王に膝を折った。しかしごく少数だが彼に対し恐縮もしなければ媚びもせず、更には図々しく意見を述べる者も居る。


 美しい顔をした魔物、サーヴェアスもその内の一人だった。

どの魔国にも属さず、勿論どの魔王の配下でもない。自由気ままな女は頬杖をつきながら興味深そうにダジルエレの手元を覗き込んでいた。

 まさか人間界まで自由に行き来できるとは思っていなかったが、まぁそれくらいはするだろうと特に気に留めず術式を書き連ねていった。


「それでわざわざ何の用だ、サヴァ」

「嫌だ白々しい。禁術に二度も手を出したからお説教に来たのよ」

「案ずるな。あの術式は封印する」

「そういう問題じゃないのよ全く、魂と肉体を切り離す方法は本来禁書に記してあるのよ。何勝手に自分で編み出してんのよ、禁じている意味がないじゃない」


 魔物たちの間にも最低限暗黙の了解というものがある。飛魂と呼ばれるそれも禁術として数えられる魔法の一つだった。


「ここで貴方を止めておかないと天使が出張って来るわ。だってほら、“魂”って奴らの領分だし。嫌なのよね、私ばかり怒られちゃうの」


 禁書に記された飛魂は、必要とする魔力が膨大な上そもそもの効率が非常に悪い。

魂という誰一人として同じものを持たない対象に行使するため、どうしても変質的な魔法になる。対象者に合わせ術式を常に書き換えるために成功率は低く、上級魔族が五人居ても使用する魔力量や頭脳が足りるかわからないのだ。


 分離した後だって体に戻す過程でまた別の術式が要る。言ってしまえば余程そちらの方が難しい。

でなければ死霊などは霊魂のまま浮かんだりせず新たな肉体を得ているはずだ。


 それだけ大規模で高度な技術が求められるというのに何の利点もない魔法だ。好んで使う者も居ないだろうと概念自体は出回っていたのだが、まさか簡略化と効率化を図った上で二度も行使する者が現れるとは予想外だった。


「にゃむにゃむ」

「やだ猫ちゃんだわ。いつの間にこんな可愛い子飼い始めたのよ」

「にゃぐにゃぐ」


 余談だが、村に居た黒猫は勝手にダジルエレの使い魔になっていた。



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