4. 城
少年が抱えていた黒猫が気を失ったのと同時刻、目を開いた男が居た。
「あれは」
空のような海のような、不思議な色合いと目が合った。深く濃い色になったかと思えば、今度は澄み切った透明に変わる。見る角度で変化するその不思議な色彩と、複雑に入り組んだ気配。
少年が猫の体を抱え上げたことでその瞳が間近に見えた。
瞳の奥に星の煌めきとよく似た輝きが宿っている。といっても男にとって慣れ親しんだ、魔界に輝く悍ましいものではない。人間界に降り立って初めて見た、夜空に浮かぶ眩い星々のことである。恐らくは人族の感覚で「美しい」モノなのだろうと理解した。
怪我をしているのかと問われ首を横に振れば、そこでちょうど
(碧の目)
何故あんなものが人間界に落ちているのか。深い闇色の髪を掻き上げ男は喉を鳴らした。
それこそ人間界へ無理矢理介入したことも報われるというものだ。やはり無償の奉仕など柄ではない。アレを報酬としてもらい受けよう。
あの星は何かを纏っている。単なる魔法か、或いはもっと別の何かを。
それにしても少年に絡みついていたあの禍々しい魔力はどうだ。解析する時間が無かったのが実に惜しい。ほんの少し、瞬きをするほどの時間さえ残っていれば、片鱗くらいは窺えただろうに。
「失礼します、陛下」
無粋な男の声で、碧の澄み渡るような気配が引いていく。色彩も煌めきも蹴散らすように自室へ滑り込んで来た側近を、魔王は一瞥することもなく席を立った。
今代魔王の側近選出は困難を極めたと聞き及んでいる。歴代最強の名を冠する魔王の傍に侍りたい者は掃いて捨てる程居たというが、城内に張り巡らせた結界のおかげで自身の周りは静かなものだった。慣例に則り形式上、必要最低限の側近二名を置いているが、それ以上は不要だと固辞した。だがこれもいつまで保たれるのかはわからない。
誰も彼もが忠誠を誓ってはいるが、主君である魔王の意に添えたことはない。それは側近として名を連ねる者達も例外ではなく、意向を汲める者はしかし役職も持たず呑気に放浪している有様だ。
「所望のモノをお持ちいたしました」
こうして命令だけ聞いていれば良いものを。部屋に現れた側近の男・アリファスは静かに魔王を見つめている。それがまた不快だった。
アリファスは魔王の黒の髪、紫の瞳、動かない眉や、思い出したように瞬きする瞼を一瞬一瞬目に焼き付けようと常に務めている。
作り物めいた顔、いや、実際美を司る存在が手ずから生み出したであろう美丈夫は、胸元を見れば呼吸をしているとわかり、喉元を見れば脈を打っていると確認出来る。
頭から爪先、細部に至るまで整えられ創り上げられた造形だとアリファスは信じて疑わない。主君の視界に自分が入らぬことなど些細な問題である。
「なるほど」
アリファスが持ち込んだ所望品を見やり、魔王が長い指をクルリと回せば深い紅が床に広がって行った。錆びた鉄のような匂いが粘つくそれを追うように走る。目の前に立っていた人型の首が飛ぶと、次の瞬間まるで幻だったかのように四散し、靄のような紫が立ち込めた。
濁りわだかまったそれに向かいアリファスが大きく口を開けると、さして美味くもない瘴気は残さず喰われた。
「人族の今代の王は無能か」
だからこそこうして、わざわざ魔界から出張らなければならなかったのだが。
魔王は床に転がった種を魔力で弾くと掌の上に転がした。先程の靄と同じく色に濁りが見られる。不純物を多く含んだ金色で刻まれた模様。
一見すれば単なる種だが、纏っている瘴気は触れるものを朽ち果てさせんとする獰猛さが見られた。恐らくは製作者の性格がそのまま滲み出ている。
軽く指先に力を込めればバキュ、と音を立てて種が潰れた。中から溶け出したドロリとした黒は、液体であるにも関わらず心臓のように脈を打っていた。次第に脈の音が辺りへ響き渡り、反響すら巻き込んで大きくなっていく。
しかし魔王は何の感慨もなくそれを蒼い炎で燃やしてしまった。瘴気ごと焼き焦がし、予定通り城の広間へ向かう。
道中差し出された指に恭しく触れ、アリファスが魔王の汚れた指を拭った。そうしているとどこからかもう一人の側近である女・ディジラウが現れその背後に付き従う。
後は広間が見渡せるバルコニーに立ち、そこに集った魔物たちに声を放てば良い。
「『敗北を許すな。弱者を許すな。強者を踏み躙れ』――我が一族の血を汚したあの男を、引きずり出せ」
無数の魔物たちの雄叫びが天高く轟き、影の塊が四方へ散って行った。
「ディジラウ」
魔王は空中に何事か綴り出した。宙に浮いた文字を掌に集め紙へ擦りつけると、ジュウ、と音を立て焼き付いていく。煙が消え紐でくるりと巻かれたそれをディジラウへ与えた。
「人間界における指揮権をお前に」
アリファスが息を飲み魔王の手元を見る。恐らく、命令書や任命書の類だ。飛んで来た書状を恭しく受け取ると、ディジラウは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
それを承認と取って、その瞬間ディジラウの名が書状に焼き込まれたのが見て取れる。
「お任せください。必ずや、かの者を魔王様の御前に」
バキバキとディジラウの骨が鳴る。剥がれた背骨が両側に開き、布のように翅が広がった。鮮やかでありながらもどこか毒々しいまるで蝶のようなそれは、女性らしい柔らかな線をくっきりと浮き上がらせている。
優雅に一礼した彼女は、魔王の前へ躍り出ると翅を閉じて飛び出した。
「アレで、いいのですか。あのような大役を」
「影へ潜むのに最も適しているのは奴だ」
ギリ、と歯を軋ませるとアリファスは跪いた。そうして悔し気に顔を歪める男の姿を見ることもなく、魔王は広間を後にした。
「これは侵略ではない。情報の共有は任せる」
「はっ」
「種が見つかった。我々の探す物とは別件だが、放置すれば浸食が魔界にも及ぶだろう。見つけ次第駆除せよ」
城内に留まった臣下に命令を下す。黒金の種は既に広範囲に撒かれているだろう。
守りの力を持ちながらそれを許した人族の王は無能と断じるより他になく、魔王の仕事が明らかに増えた。
「無粋な真似をする」
魔王が壁に向かって一つ指を出し真横へ切ると、隠されていた物が露わになった。人族の間で偵察用に用いられる魔導具。ドワーフの手によって改良されたそれは魔力の気配こそ上手く隠しているが、魔石が組み込まれている以上魔王にとって無意味な細工だった。
到底届くような距離ではないそれへ右腕を伸ばし、手首を捻るようにしながら握り潰す。魔導具自体は無傷のまま回収し、魔王は自室へ戻った。
魔王には、探しているものがある。
◇◇◆◆◆◇◇
「動力源の魔石だけ的確に砕くとは、男性体の魔族の割によくやるものだ」
今目にしたばかりの“魔王”を見て、彼は眩暈を覚えた。人間界へ城ごと現れるなど、どんな常識知らずの化け物が現れたかと思えば、その魔物はよく知った顔をしていた。
具体的に言えば、自分と瓜二つ。生き別れの双子…は言い過ぎかもしれないが兄弟と言っても誰も疑わないだろう。
「魔王、魔王か。参った、完全に吾を探しているな、あれは」
演説の内容もしっかり耳にして、該当する対象が自分しかいないことは瞬時に思い至った。まさか地上に魔族が現れるなど思いもよらなかったが、冷静になれば渡り合うことも出来る。
男は目を閉じ思案し始めた。耳奥で聞こえるのは怒号と轟音。思い返される光景は白い羽根に、異端の集い。散った同胞たちと、佇む女。
目を開いて大きくため息を吐く。この規模の相手と対立・衝突するとなれば無傷では済まないだろう。
最近は弟子を一人取ってこき使って来た。此度も存分に使ってやろうではないか。
[はい、師匠。ご用件は]
「たった今確認した。魔王は桁外れの魔力を有している」
[……例の噂は本当でしたか]
通信用の魔導具越しに弟子へ指示を出すと、男は手元にあった黒金の種を砕き中身を瓶へ入れた。
「この国の王は一体何をしている」
ブツブツと文句を言いながら封印を施す。既に侵攻が始まっているというのに、この様子では何もしていないのだろう。
まさか魔王と同じ不満を抱いているなどとは露程も思わず、彼はサッとその場から自分の痕跡を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます