シーン13 [アオシマ]

 殺人事件など、自分には無縁だと思っていた。

 しかし、Y先生に関する調査を進めるうちに、もしかしたらという疑念が湧いてきたのも確かなのだ。

 きっかけは我那覇さんの同級生、サイトウさんへの取材だった。

 サイトウさんには、ベストセラー作家の素顔に迫るという取材名目で協力してもらった。

 学生時代の我那覇さんのエピソードを聞かせていただいたが、当人にとっては特別でも、客観的に見ればありふれたエピソードが並ぶこととなった。(我那覇さんの下宿が友人たちのたまり場になっていたこと、夜通し友人と麻雀を打っていた話、などなど)

 サイトウさんはあまり学業に熱心な学生ではなかったようだ。我那覇さんが仲良くしていた教員はいないのかを確認したところ、Y先生の話になった。

 我那覇さんはY先生と仲が良かった。それだけでなく、ほかのY先生と仲良くする生徒とは少し距離をおいていて、一人でY先生と話していることが多かったらしい。

 そういえば卒業旅行で我那覇さんはY先生と一緒だったと聞きました、とぼくがサイトウさんに言った時、予想外の反応が返ってきた。

「あれ? その時、我那覇はY先生に会えなかったんじゃないかな」と。

 旅行の日程を詳しく聞くと、以下の通りとなる。

 サイトウさんもY先生も我那覇さんも、それぞれ別々にヨーロッパに向かった。それぞれ旅行に目的があるため、現地で合流できたら合流するという、緩い集団行動としたそうだ。

 計画ではまずサイトウさんがポーランドのアウシュヴィッツを見に行く際、Y先生と合流する。その後、二人は別行動で、サイトウさんはクラクフを見てからローマを目指す。Y先生はイタリアのベネツィアに滞在し、その後シエナのカンポ広場で我那覇さんと合流する。我那覇さんとY先生は三日間一緒に行動し、Y先生はローマの空港から一足先に日本に帰る。我那覇さんはその次の日、ローマに来たサイトウさんと合流する、という流れだったらしい。

 しかし、計画とは異なり、サイトウさんはY先生とは合流できなかった。元々緩い集団行動という話だったため、サイトウさんは一人で旅行を続けた。そしてローマの空港に向かう前日、ホテルを訪ねて来た我那覇さんと合流した。我那覇さんはサイトウさんが使っているガイドブックに載っているホテルを一件一件訪れ、チェックインの台帳を見せてもらい、サイトウさんを見つけたようだ。

「その時、俺がY先生と合流できなかったことを伝えたら、我那覇も、自分もそうだと言ったんです」

 サイトウさんはそう言ったのだった。

 では、あの我那覇さんが語った駅前のホテルでの食事のエピソードはすべてウソになるのか?

 我那覇さんとサイトウさんの卒業年次で、Y先生も大学の非常勤講師を辞めている。

 だから、我那覇さんの卒業旅行は、Y先生の卒業旅行でもあったわけだ。

 さらに大学に電話して尋ねたところ、Y先生はその次の年も継続して非常勤講師をやるはずだったのだが、次年度の手続きに現れず、大学から連絡しても繋がらなかったため、やむをえず契約を終了としたことがわかった。

 安易な想像だが、旅行中にY先生の身に何かがあり、そのまま連絡がつかなくなっている、という可能性がありそうだ。もしかしたら海外でそのまま殺されている?

 海外で行方不明になった人がどうなるのかをネットで調べてみたが、家族などがすぐに警察に依頼したり、死体が見つかったりしない場合、事件化しないこともそれなりにあるようだ。

 え? これはどういうことだ?

 ありえそうなのは、我那覇さんが、このサイトウさんを容疑者として疑っていて、それで何年も経ってしまったが、事件化するために、この騒動を起こしている?

 しかしこの推理は、ぼくが催促するまで我那覇さんがサイトウさんの連絡先を教えなかったことを考えると、違うような気がする。

 それにサイトウさんが殺人を犯していたとして、こうも無防備にこのことを話すだろうか。

 もう事件化されることはないと高を括っている?

 次にありえそうなのは、我那覇さんがY先生をこの旅行の時に殺していた場合だ。しかしそれだったらなおさら、こんな騒動を起こして、ぼくを巻き込むだろうか? Y先生が死んでいた場合、我那覇さんが口をつぐめば、盗作の事実だって明るみに出ないのに。良心の重みに耐えられなくなった? 我那覇さんの性格を考えるとちょっと考えられない。

 では自分でY先生を殺したことを忘れてしまった? それは……我那覇さんなら無いとも言い切れないが、ちょっと考えづらいだろう。

 ダメだ。ぼくには探偵の資質がない。

 考えてもまったくわからないので、いっそ我那覇さんに尋ねてみることにした。

 普通の探偵だったらできない手だ。我那覇さんがウソで誤魔化すとしても、その時の反応が新たなヒントになるかも知れない。

 場所は安全を考えて人目のあるお店を選んだ。

 我那覇さんが殺人を犯しているなら、これ以上Y先生の捜索をしなくてもいいわけだし。

 我那覇さんを自首させる方法については、当人と相談しながら進めればよいと思ったのだ。

 ぼくが自分の推理を語ると、我那覇さんはこともなげに言った。

「それはわたしがサイトウくんに、先生に会えなかったとうそを言っただけのことです。自分だけ卒業旅行で合流できなかったと思ったらすごく寂しいでしょう? わたしがサイトウくんを探すためにかなり骨を折ったのも、サイトウくんに寂しい思いをさせないためです」

「ううーーん。なるほど。しかし過去のことなのでどうとでも言えてしまいますし、もはや物証なんて残っていないですしね……」

「事実だからそうとしか言えません。旅行中に撮影した先生との写真もあります。それにその旅行よりあとでY先生が生きている証拠もあります。こちらの家庭教師の事務所に尋ねれば履歴が残っているはずです」

「写真はY先生を殺す前に撮れますし、家庭教師で働いている人はY先生になりすました誰かかもしれません」

 ぼくはなおも食い下がった。我那覇さんはコーヒーをゆっくりと飲んでから答える。

「ありえません。家庭教師の事務所へは旅行以前から所属していたはずですし、事務所にも一カ月に一回は出社するシステムになっていたはずです。生徒に対してなりすましができたとしても、事務所でなりすましがバレます」

 ……うん。その通りだ。

 ぼくは卒業旅行でY先生が殺されている、という推理を放棄した。

 ふぅ、と安堵のため息が漏れる。

 終わってみてわかったが、ぼくは我那覇さんが殺人を犯していたら嫌だなと思っていたようだ。

 ぼくの今回の調査は空振りに終わったが、ぼく自身の心は軽くなった。

 我那覇さんにとっては進展が無い上に殺人まで疑われて残念だったろうなと思ったが、思いのほか機嫌が良さそうだ。

「今体験して思いましたが、自分が過去についた些細なうそや、事実の誤認、見落としなどが繋がってストーリーになっていくのは面白いですね。まさに人が調査することの意義を感じました。アオシマくんありがとうございます」

 皮肉を言っているような調子ではなく、純粋に楽しんでいる様子だ。

 上機嫌な我那覇さんの様子にぼくもなぜか気分がよくなる。

「あ、でも、この旅行とは別の機会にわたしがY先生を殺した、なんてことはありえますね。でも、そんなことしたら、アオシマくんに捜索を頼む動機はなんでしょう。ちょっと想像はつかないですね……なにか思いつきます?」

 我那覇さんの悪趣味な冗談に苦笑を返しながら、ぼくは安堵と共に襲ってきた空腹に気づいた。

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