シーン4 [アオシマ]

 あくまで一般論の話として。

 手がけた本が売れるのは、担当編集としてとても嬉しいことだ。

 内容が伴っていない本のヒットは落ち着かないと言う編集者も一部だが、いる。逆に、本の内容に自信があれば、売れていなくてもまったく問題ないとさえ言う編集者もいる。

「いいか。アオシマ。勝利条件を考えろ。編集者としての勝利条件はなんだ?」

 ぼくが新人だった頃、黒木先輩から問いかけられたことがある。

 後世に残る本を作る?

 売れる本を作る?

 どちらも正しそうだが、この場合どちらが正解だろう?

 いや、その二つはどちらも同じことか。結局は、本を作ることで世界を変えたい、という欲望を満たしたいだけなのかも知れない。

 いや違う、黒木先輩の質問は、職業人としてのことを聞かれているのに過ぎない。

 えっと、だからつまり、売れる本を作りたいと答えるべきか?

 ぼくはその時、迷ってうまく答えられなかった。

「俺は『会社のカネで俺の好きな本を作って売る』ことだと思ってる。おっと、これは編集長には言うなよ」

 ぼくの答えを待たずに、黒木先輩はそう言って笑った。この人はなにをするにしても、どのくらい本気かわからないところがあった。前職は証券会社でトレーダーをやっていたという噂を聞いたこともあるが、直接確かめたことはない。

「考えてもみろ、メガヒットなんか出しちまって、ずっと同じ作家と付き合うようになったら大変だぞ。作家はどんどん暮らしぶりが変わって傲慢になっていく。俺たちは売れたってボーナスくらいしか変わらないのにな。でも逆に、特定の作家にとらわれない企画本のヒットなんかも最低だ。一度当てたら、似たような企画をずっと編集部から求められる。続けるうちに興味と情熱が失われていく。そうなっちまわないように、俺はそこそこの売上になるようにキープしてるんだ。『俺が今好きな本を会社のカネで作る』これができるようになってこそ、一人前の編集者よ」

 そう言って黒木先輩はタバコを吸った。付き合いで吸う内にヘビースモーカーになってしまったのだと言っていた。

「まぁでもよ。『自分が好きな本を会社のカネで作ったら、大ヒットになった』なんて場合はどうすりゃあいいか俺も知らん。でも、そうなったら編集者として本望だろ? いつか、そんな日が来るといいよな」

 黒木先輩はそう笑ってぼくの肩を叩いたのだった。

 過ぎ去りし日の思い出だ。あれからぼくも経験を積み、「そんな日」を目指して本を作ってきた。

 そしてまさしく「そんな日」がぼくに訪れたわけだ。最悪の形で。


 『ファントム・オーダー』は凄まじいヒットを飛ばした。

 最初から予定していたプロモーションなどは、中止が間に合わなかったためやむを得ず、そのまま実施した。ぼくはそれでおしまいにしたかったが、そうはならなかった。実際に本を手に取った人たちからの評判がすこぶるよく、売り場主導で様々なプロモーションが行われてしまったのもある。現場の熱気が様々なところから伝わり、普段は本の話題などしないような芸能人までもが、SNSなどで本の感想を述べていたりする。

 おかげさまで何度目かの重版の連絡を受けたが、ぼくの心は憂鬱になる一方だった。ぼくが作って予算の都合上見送りとなっていたプロモーションプランは見直されて採用となり、さまざまな人がブラッシュアップした上で、ぼくにプランの監修を求めてくる。

 この本について社内で一番詳しいのはぼくだからだ。

 ――落ち着け。ぼくは盗作の事実を知らない。その事実を知る前、ぼくはみんなになんて言っていた?

「この物語はエンターテイメントとして最高のものでありながら、ぼくたちの倫理感をアップデートしてくれるような素晴らしい物語でもあります。新しいことを知る喜び、葛藤の悩ましさや、気高い選択。それらすべてがこの物語には描かれています」

 自分が企画会議で言ったセリフが頭に浮かぶ。

 今だってそれは変わっていない。盗作であること以外は完璧な作品なのだ。ぼくは盗作の事実を知らないことになっている。だから今やることは予想を越えるヒットに喜びつつ、続刊の作業を進めることだった。

 幸い、物語の続きは我那覇さんから受け取ってある。物語の最後の一話、文庫本にして一冊程度の量だけが、未だ描かれていないだけなのだ。だから当面の間、ぼくは我那覇さんと会わずに続刊の作業を続けることができる。

 ……できるのだが、全く手が動かなかった。周囲からはプレッシャーで緊張しているだけに見えるだろうか。

 ため息をつくと、ひとまず締め切りが近い作業から手をつける。

 まずは先日行った読書家の俳優と我那覇さんとの対談記事だ。対談内容の文字起こしに目を通しながら、対談の録音を再生する。

「『ファントム・オーダー』の裏話を聴かせていただけませんか。もちろん、ネタバレにならない範囲で(笑)」

 一通りの会話が終わったところで、俳優の剣崎さんがそう切り出していた。対談でうっかり喋りすぎてしまった場合には、ぼくたち編集者はうまく誤魔化して記事を仕上げなければならない。そのほかに間延びした受け答えなども、自然に見えるように切り詰めて記事に仕上げるのがぼくたちの仕事だ。

「ネタバレについては、わたしは独自の基準を持っています。作品について作者が語る内容はネタバレではなく、すべて演出です。逆に作者以外から出る情報はすべてネタバレです。とは言え、広報の方がネタバレをしていただけるから本を手に取っていただけるのですし、多くの方は実はそれほどネタバレを嫌がっていないのだとわたしは思っていますけれど」

 我那覇さんが平然と冗談を返す。ぼくは文字起こしを前に、改めて胃の中に鉛の塊が詰め込まれたような苦しさを覚えた。対談の時も近くにいたのだが、その時の気持ちが蘇ってくる。

 一体どんな心臓をしていたら、こんな冗談が言えるのだろう。この人は究極のネタバレである盗作をやっているのに!

 我那覇さんの冗談で二人は笑う。

「とは言え、直接的なネタバレは演出上避けますね。うーん、そうですね。では、『マクガフィン』についてどう思っているか語ってもよろしいですか?」

 我那覇さんの提案に、剣崎さんはどうぞと答える。

「古今、マクガフィンは映画や小説など様々な物語で活躍してきました。その前に、マクガフィンとは何かを、簡単に例を出して説明します。たとえば、国家機密の流出を避けるためにスパイが命をかける映画などで、この国家機密にあたるものがマクガフィンです。マクガフィンは物語の重要な位置を占めながら、物語の中でその正体は描かれません。マクガフィンは物語の動機を手早く語る発明として非常に有効に機能しました。……しかし!」

「しかし、ですか!」

 剣崎さんが嬉しそうに応じる。この時の剣崎さんの表情をレイアウトしたほうがよいだろう。文字起こし資料に剣崎さんの表情、とメモを取る。

「不誠実なマクガフィンの使われ方が多くみられるのも事実です。作り手側が『あれはマクガフィンだから……』と言ってはばからず、内容さえ決めていないような作品もあると聞きます。それは不誠実な態度だと私は考えます。必ずしも作中で明らかにする必要はありませんが、マクガフィンの内容は詳細まで決めておくべきだと考えます」

「では、我那覇先生の作品ではマクガフィンはすべて決めてあるということですか?」

「そうなります。いえ、むしろマクガフィンが実在するゆえに、物語の状況が発生しているのです。すべての書き手はそのように書くべきだとわたしは思います」

「なんだか憑依みたいですね。何かに取り憑かれて、別の現実を生きているような……

「あるいは作家とはそういう生き物なのかも知れません」

「うーむなるほど」

 剣崎さんの返事のあとに、スタッフからの声かけがあり、予定時間になったことが伝えられる。

「本日は、貴重なお話をありがとうございました」

 笑顔で握手をする二人の写真も撮っていたはずだ。

 二人の対談内容と写真、それと対談した両者の最新作についての紹介もレイアウトすることで、記事になる。

 ぼくは写真素材を選び終えると、仕上げ行程を別チームに依頼した。

 対談内容の文章については、剣崎さんのマネージャさんにメールを送り確認をとってもらう。我那覇さんにも同じ内容を送る必要はあるのだが、メールの入力画面で手が止まり、ぼくは問題を先送りしたがっている自分を感じて、ため息がでた。

 気を取り直して、メールには事務的な内容のみ書いて送る。

 今はこれでいい。何事もなかったフリをし続けるのが、最善なのだ。

 心の中でぼくは自分にそう言い聞かせた。

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