第44話 生贄の儀
奉納演舞を終えた百合子は、神社本殿にある一室で服を脱いでいた。本当ならシャワーでも浴びてスッキリしたいところだろうが、残念ながらそうした設備は整っていない。
香り付きの汗拭きシートを片手に、念入りに汗を拭い、一糸纏わぬその恰好のまま自分の鞄からスマートフォンを抜き取る。何人か知り合いの村人から労いのメッセージが届いていた。
しかし、彼女が今見たいのは宍戸からの返信。だが、それはこの時間になっても届いていなかった。
演舞を終えた後、百合子は再び巫女装束を纏い、境内の中を周ってお祈りをし、神社の前で村人や訪れた観光客と挨拶を交わしていた。
中には隣町の町長や、街で見かける選挙ポスターの人間が顔を見せている。彼らとはこの後もう一度顔を合わせるのだろう。「生贄の儀」には周辺の有力者が集うと彼女は知っているから。
挨拶を交わしがてら、知り合いの何人かに宍戸を見かけなかったか彼女は尋ねていた。しかし、誰も心当たりはなく、どうやら午前中から彼は一度も姿を見せていないらしい。
村役場の人間もどうやら宍戸を探しているようで、家まで尋ねて行ったが不在だったようだ。
そうした話も相まって百合子の胸騒ぎは一向に治まらなかった。朝から誰も見かけていないとなると、本格的に事故を疑わないといけないかもしれない、彼女はそんなふうに考え始めていた。
スマートフォンに期待したメッセージがないことを確認すると、彼女はふうっと大きなため息をつく。
そして部屋に用意されたさらしを胸元と腹にしっかりと絞って巻いていき、行衣に袖を通した。
巫女装束のときと同様に、鏡の前で引き締まった表情を見せる百合子。このあとは、鎮守の森にある滝で身を清め、「生贄の儀」に挑む。
神聖な儀式に託けて、汚らわしい目で女体を見つめる男たちの前に姿を見せないといけないのだ。
ただ、「見られるだけ」であっても、女性にとってこれはこの上ない屈辱。
鎮守の森の奥、「滝」といってもそれほど落差があるわけではなく、修行僧が行水をするほどの大きなものではない。
百合子は、裸足になって滝の下のため池にゆっくりと片足ずつ足を入れる。真夏であっても山から降りてきた水はとても冷たく、彼女は一度ぶるっと身震いをした。
そのあと、滝の真下に位置するところまで歩いていく。足元は砂利になっているが、石に藻が茂っているようでぬるぬると滑っていた。うっかり気を抜くと転倒してしまいそうだ。もっとも、このあとどうせ滝の水に打たれるので、ずぶ濡れになっても大して変わらないのだが……。
ため池にいる数匹の鯉が百合子を避けるようにどこかへ泳ぎ去っていく。彼女は膝まで水に浸かったまま歩いて、滝の近くへと辿り着いた。
水面に落下して飛沫を撒き散らし、百合子の行衣は全身すでに水に浸かったように濡れていた。
彼女は一度、滝口を見つめた後、意を決して頭の天辺から落下する水に突っ込む。背中からぞぞっと寒気が上ってくるようだ。
目を瞑って息を止め、約10秒程度の時間を百合子は滝の水に打たれて過ごす。ここまで来るともう引き下がることはできず、彼女の頭にあるのは精々明日風邪をひかないようにしないと……、くらいのものだった。
「清め」を終えた百合子は、神主の手にあった白地のバスタオルで簡単に水滴を拭い、髪が吸った水分を拭き取る。これが許されるならどうして着替えを許されないのかと、彼女は疑問を頭に浮かべていた。
『これできっと心の底から村が嫌いになれるわ。一度出て行ったら二度と戻って来てやらないんだから』
神主に連れられて、ずっしりと重さを増した行衣のまま百合子は、神社の本殿へと向かっていく。薄っすら灯りの灯った部屋の障子を開けた。
部屋のいるのは揃いも揃って年配の男たちが5人ほど。村長に村役場で時々見かける男、隣町の町長に先ほど見かけた選挙ポスターの男。もうひとりは誰なのかすら百合子はわからなかった。
男たちの目が一斉に彼女の方へと集まる。表情こそ澄ましているが、その内に下卑た期待をしているのが透けて見えるように彼女は感じていた。
『ただ、見られるだけ。別に裸になるわけでもない。大きなじゃがいもかカボチャくらいに思えばいいんだわ。顔だってよく似てるじゃない』
百合子は男たちと視線を合わせないようにしながら彼らの前に立つ。見せないその表情に精一杯の侮蔑の念を込めながら……。
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