第42話 準備
夕方6時過ぎ、中嶋は電気屋のシャッターを下ろしていた。その背中に宍戸が声をかける。
「お疲れ様でした。明日はお祭り会場でお会いしそうですね?」
「ああ、お疲れ様……。そっか――、宍戸さんの自転車まだ見つかってないんだな。こう言っちゃなんだが、もう諦めて新しいの買った方がいいかもしれないよ?」
「そうですね。考えておきます」
宍戸は深くお辞儀をしてナカジマ電気店の前を立ち去った。6時といえど、この時期の空はまだまだ明るく、いつもより1時間早く帰路に就いているだけだが、彼はなにかすごく得をしたような高揚した気分になっていた。
――とはいえ、ここから自宅までの道のりを歩くのはそれなりに大変で、暑さも相まってそれなりに彼を苦しめるのだった。
「宍戸さーん! お疲れ様でーす!」
畦道を汗を拭いながら歩いていると、自転車のベルとともに聞き慣れた高い声が響いてくる。学校帰りの百合子が追い付いてきて宍戸の横で自転車を降りた。宍戸は念のため、周囲に人がいないか確認した後、小さな声で彼女に問い掛ける。
「百合子ちゃん、お疲れ様。まさかと思うけど……、僕を待ってたわけじゃないよね?」
彼女はそれに表情を綻ばせて答えた。
「まさかまさか。そこまで自惚れないでください。あと、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ? これまでだって一緒に自転車で帰ったりしてたじゃないですか?」
そう言われてみればそうだと宍戸は思った。先日、「これまで通りに」と話したばかりなのに、妙にそわそわしてしまっている自分がいることに彼は気が付いた。
「その――、お祭りは明日だろう? 演舞の練習とかは大丈夫なのかい?」
「うん。ギリギリまで根詰めたって仕方ないですから。今まできっちりやってきた分、前日はしっかり休ませてもらうんです」
宍戸はこう尋ねながらも果たして奉納祭を話題にしていいものかと迷っていた。百合子から聞いた「生贄の儀」……、彼女はこれをどう受け止めているのだろう、と。
「他所から来た僕が口出しできることじゃないかもしれないけど……、例の儀式は断ったりできないのかな? いくら村の習わしと言ってもやっぱり異常だと思うけど――」
百合子は宍戸の顔を見つめながら薄い笑みを浮かべていた。夕日に照らされた彼女の横顔はそれこそ神々しさすら感じさせ、村の一部の男たちが特別視するのも理解できないでもなかった。
「――いいんです。嫌なのは嫌ですけど、おかげで宍戸さんへの気持ちに踏ん切りがついたのもあります。イヤらしい目で見られるのはある意味慣れていますし、間違ってもそれ以上はありませんから」
「……それ以上はない、か」
宍戸は隣りを歩く百合子にも聞こえないくらいの声で小さく呟いた。
逃れられない不幸に対して、回りまわって前向きに捉えようとする百合子。彼女のこうした性格もまた人を惹きつける魅力の1つなのかもしれない。
「それより宍戸さん! お祭りが終わって落ち着いたら、村の外に連れて行ってくださいよ? 先に楽しみがある方ががんばれると思うんです!」
キラキラと輝く目で見つめてくる百合子。その眩しさは直視するのを躊躇するほどだったのか、宍戸は彼女の視線から目を逸らしてから答える。
「ああ、わかった。みっちりとプランを練っておくから楽しみにしておいてくれ」
◇◇◇
駐在所の熊谷『本日は絶好のお祭り日和! みんなで張り切って怪我をしないよう気を付けてお祭りを盛り上げていきましょう!』 07:23
村人共通のトークルームに朝一で、熊谷からのメッセージが飛んでいた。彼は宍戸にSNSの設定をしてもらってから、特に意味もなく、独り言をここに投稿しているようだ。
朝8時、鹿ヶ峰神社にはセミの騒がし過ぎる大合唱に迎えられて、大勢の村人が集まっていた。
真夏とはいえ、この時間の――、それも山の中となれば多少の涼しさもあるようで、日が高く昇る前に、テントの設営とといった力仕事を終わらせてしまう算段のようだ。
「――本殿の方もですか? 今年はずいぶんと細かく見てまわられるんですね、熊谷さん?」
駐在所の熊谷は、神主に連れられて神社の本殿を細かく点検していた。神主の口ぶりから察するに、例年はそれほど細かく神社の中を見てまわることがなかったのだろう。
「いやー、こんな小さな村には関係ないと自分も思うんですけどね? 一定以上人が集まるイベント事には、決められた点検項目がいくつもあるんですわ。AEDの位置だったり台数だったりとかですね……。これが本官の勤めなモンで、どうかお付き合いください」
熊谷は申し訳なさそうに何度も頭を下げながら、神主と本殿の中を歩いていた。
「ああ、この大広間が最後ですね! 神主様はお忙しいでしょうから、終わったら自分が声をかけますよ。中のモンには無闇に触れませんのでご安心ください」
熊谷の言葉に、神主は首を捻りながらも彼を広間に残して、神社の外へと出て行った。
お祭りで使うものの大半は神社の倉庫に閉まってあるのだが、その行方を正確に把握している人間はほとんどいない。毎年、神主は「あれはどこだ? これはどこだ?」の応酬に答えねばならないのだった。
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