第41話 前日

 7月も終わりに近付いていた。今日は鹿神の奉納祭前日。村人たちは仕事を早々に引き上げてお祭りの準備を始めていた。


 遠方からやってくる人用に開放している駐車場には数こそ少ないが、すでに何台かの車が止められている。その中には機材を運ぶ業者のものだろうか、大きめのワゴン車も止まっていた。

 当日道が混みあうことを想定し、前乗りして村の民宿に泊まっているお客もいるようだ。


 宍戸の勤めるナカジマ電気店も今日はいつもより1時間早く、夕方の6時にはお店を閉めるつもりのようだ。


「今日は店にいてもお客なんてきっと来ないよ? お祭りの準備に大忙しだろうからさ」


 店主の中嶋はそう言いながら、店の外に出て神社のある山の方角を眺めていた。



「村を挙げてのお祭りなんて初めての経験なんです。僕も明日は楽しみにしてるんですよ」


 店の扉から顔を出した宍戸は、店主の様子を見ながらそう言った。


「宍戸さんはたしか当日、役場の人たちとお祭りの様子を撮影するんだっけ?」


「はい、写真や動画を撮って配信してみてはどうか? という話になりまして。――とは言っても、いきなり生配信ではやりません。撮影したものを編集して後日、投稿する予定ですね」


「やっぱりあれだねえ。都会育ちの人は、発想が現代的というか、未来に生きてる感じがするよ。こっちは機械ばっかり入って来ても頭がついていかないんだ」


「何事も毛嫌いせず、まずは触れてみるのがいいと思います。この村の時間は決して止まってはいませんから。役場の人たちを見てそれを感じました」


 宍戸も店の外に出てきて、店主と同じように神社の方角を見つめている。よく晴れ渡った夏の日。予報では明日の天気も晴れ、気温は30℃を超える夏日となりそうだった。




◇◇◇




 中嶋の言う通りで、午前中はまったくと言っていいほどお客は姿を見せなかった。宍戸は、祭りの準備なら逆に電池やら電球やらが急遽必要になったりするのでは? と思っていたのだが、どうやらそういうものでもないらしい。


 お昼を過ぎ、気温はやはり30℃を超えてきた。――とはいえ、地面がアスファルトでないだけでもその暑さは幾分かマシなように思える。店内は冷房が効きすぎているため、宍戸は時折店の外に顔を出しながらそんなことを考えていた。


 そこに真っ白の小奇麗なポロシャツを着た白髪の老人が声をかけてきた。宍戸はその男性に一礼した後、手に抱えている鞄に目をやる。


 ナカジマ電気店に勤めて、村の人たちがノートパソコンをどのように持ってくるかは大体理解していた。バスタオルだったり、風呂敷だったり、新聞紙だったり……、緩衝材の代わりなのか、皆なにかしらに包んでから鞄に入れて持ってくるのだ。そして、目の前の老人の手にもそれらしきものがある。



「パソコンのご相談ですか? 暑いですからとりあえず中に入りましょうか?」



 宍戸は人懐っこい笑顔で老人を店内に招き入れる。彼の名は安藤といった。店主の中嶋は彼の顔を見るなり大きな声で挨拶をする。15年ほど前の話になるが、隣町で町長を務めたこともある人で、今でも村の中で強い影響力をもっている人のようだ。


「……宍戸さん、私のパソコンを少し見てほしいんだがよろしいですかな?」


 安藤は要件を話す前にカウンターにノートパソコンを広げ始めた。まだ買ってそれほど経っていないのか、まったくくすんでいないのない真っ白な筐体の新しいパソコンだ。


 彼のパソコンは非常に動作が速く、メーカーロゴの表示から一瞬でログイン画面に切り替わる。安藤はどうやら起動時のパスワードを省略しているらしく、少しするとデスクトップ画面へと変わった。


 それと同時に奇妙な表示が画面に表示される。どうやら彼が見てほしいのはこの表示についてのようだ。



『あなたのパソコンのデータを暗号化しました。解除するには、下記URLよりビットコインにて入金手続きを完了すること。なお、24時間以内に入金が確認できない場合、データは永久に失われる』



 この表示を見た宍戸は一瞬、表情を強張らせた。そして、ぽつりと一言洩らす。



「ランサムウェアか……? 本物ではないといいのですが――」



 宍戸は「失礼します」と添えて、安藤のパソコンを自分の方へ向けて触り始めた。――と同時に、今口にした「ランサムウェア」についての語り出す。


 ランサムウェアとは数年前から世を騒がせている通称「身代金ウイルス」と呼ばれるものだ。その名の通り、パソコンのデータを人質にとり金銭を要求してくるウイルス。

 きわめて感染力が強く、ネットワークを通じて様々なパソコンに侵入する特性をもっており、加えて一度感染すると、データの暗号化を解除する方法がないと言われている。


 実際に指示通り、指定された先へ入金することで暗号化が解除されたといった報告もあるが、これも約束されたものではない。


 宍戸は持ち込まれたパソコンが店内のネットワークに繋がっていないことを確認すると、慎重に操作を進めていった。

 中嶋も名前こそ聞いたことあったが、実際にランサムウェアを見たことあるわけではない。「これがそうなのか……?」と呟きながら、宍戸の操作を見守っていた。


 息を呑んで宍戸を見つめる安藤と中嶋……、10分程度の時間が経っただろうか、大きく息を吐き出して宍戸はこう言った。


「ご安心ください。ランサムウェアを装った単なる不正ソフトの表示です。削除すればパソコンはなんともありませんよ。データも無事です」


 彼の言葉に安藤と中嶋は同じタイミングで安堵の息を洩らした。



 宍戸は簡単な操作で該当のソフトを消去した後、念のためウイルスチェックをして中身が安全であることを確認する。


「僕も一瞬肝を冷やしましたが大丈夫です。なんの問題もありませんので、このまま持って帰ってください」


 一時は大事かと思われた安藤のパソコンだが、終わってみればものの数十分でトラブルは解決。宍戸の手腕に安藤は何度もお礼を言って労い、暑い陽射しの待ち受ける外へ出て行った。


「よかったねえ、宍戸さん。今さっきの安藤さんはここいらでは力のある人だから。あの人に恩を売っておいて絶対損はないよ?」


「――そうなんですね。僕はただひとりの『お客様』として対応したまでですよ」


 宍戸はいつも通り、涼しい表情で答えるのだった。

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