第37話 決意
「――抱いてくれませんか?」
宍戸はその言葉をなにかと聞き違えたのかと思った。それほど彼にとって予想外の言葉だったようだ。
百合子が自分に好意を抱いている気配をわずかながら感じていた。ただ、それが自分の思い違いならあまりに格好悪い。それに歳は10近くも離れている。彼はそこまで自分に自惚れてはいなかった。
それに突然家に押し掛けて「抱いてくれ」は、年頃の女の子の挙動とは思えない。ましてや普段の百合子にそういった気配はまるでなく、いくらなんでも性急過ぎると――。
「百合子ちゃん、一体どうしたんだ? 今日の君はちょっと様子がおかしい」
宍戸は言葉を選ぶのも忘れ、直球で思ったことを口にしていた。それほどに彼女の言葉は冷静さを欠くものだったようだ。
「――おかしいですよね? 自分でもそう思います。でも、おかしくなるだけの理由があるんです」
百合子はここで一度言葉を区切った。次にどうつなげるか思案するかのように少し上を向いている。
「理由を話したら、私を抱いてくれますか?」
「百合子ちゃん、一旦落ち着こう。君になにがあったのかわからないけど……、僕らはそんな関係ではないはずだろ?」
「私は……、宍戸さんならいいと思ったから今日ここに来たんです」
決意のこもった目で見つめられ、わずかにたじろぐ宍戸。
彼はこれまで、百合子を「女性」として意識してはいなかった。ただ、実際にこう迫られると意識せざる負えない。
毎日、陽の光に当てられているとは思えない白く透き通った肌。まさに「どんぐり眼」という形容がそのままの、くりくりとした大きな目。きっと大学の男子学生たちにも人気なのだろうと、その容姿から容易に想像できる。
彼はとりあえず彼女の口からここに来るに至った理由を聞かないことには話が進まないと思った。
「わかった。まずはその理由を聞かせてほしい」
宍戸はこう口にしながらも、本当にこれを聞いていいのか、とも思っていた。百合子が突然、体を捧げるようなことを言い出したのだ。
女性をそんなことに踏み切らせるなんて、よほど異常なことが起こったとしか考えられない。それを彼女の口から言わせていいものなのか、と。
「先日、『奉納演舞』の話をしましたよね? お祭りの――」
宍戸は彼女の話を黙って聞いていた。ここで「奉納演舞」などという異質と思える単語が飛び出しても、そこに疑問を挟むつもりはないらしい。
「ああ、うん。お祭りの演舞ね。百合子ちゃんが舞うんだよね? 僕も――、村の人も楽しみにしているよ」
「――演舞に選ばれた巫女はもう1つ、鹿神に捧げる儀式を行うしきたりがあるんです」
百合子は視線をやや下に向け、一度宍戸から視線を逸らしてそう言った。
「もう1つ? それは……?」
「先日、神社を訪れた際に、鎮守の森の奥に小さな滝があるってお話しましたよね? そこで行衣を着て水浴びをして身を清めます。そして、本殿にてそのままの格好で、『生贄の儀』を演じるのが巫女の役割です」
「――生贄の儀? ずいぶんと不気味な名前だな?」
「儀式自体はそれほど大層なものではありません。でも、村長や神主様をはじめ、村で名のある方や、周辺の町の有力者がその『生贄の儀』を眺めるんですけど……」
そこまで聞いて宍戸はなんとなく想像ができてきた。行衣で水浴びをして、そのままの恰好なのだとしたら、女性としてとても耐えられるものではないだろう。
「――はっきり言って視姦です、あんなの! でも、この村ではそれを含めての『奉納祭』が当たり前になっているんです。
百合子の家、山中家は村の名家と聞いている。きっとそうした文化に染まりきって疑うことを知らないのだろう。
もっとも、他所から来た宍戸からしたらなんと悍ましい文化だろうか、くらいに思うはずだ。
百合子の話では、昔から村の伝承を再現する意味合いでこの行事は続いているようだ。
ただ、鑑賞するのが「鹿神」ではなく、村内外の有力者に変わっている以上、権力者が理由をつけて若い娘に手を出す口実を得るために始めたこととさえ思えた。
「私は――、初めて肌を晒すのが村のじじい共だなんて耐えられない。でも、山中家の人間である以上、奉納祭からは逃れられないの。だから!」
だから……、せめて先に自分が好意を寄せる男性に――、というのが百合子の言い分なのだろう。
それを宍戸は黙って、なにか考え事をするように時折上を向いたりしながら聞いていた。
その彼に百合子は、改めて決意のこもった眼差しを向けにじり寄っていた。そして、手が触れあう距離に近付いたとき、宍戸の手が彼女の肩に触れた。
「百合子ちゃん……、君は本当にそれで――、後悔しないんだね?」
宍戸の問い掛けに、彼女はかすかに潤んだ目で小さく頷く。心なしか、頬も少し紅潮しているようだ。
百合子に視線を合わせた宍戸は、肩に置いた手に力を込め彼女を抱き寄せた。そして、彼女もまたそれに身を任せるように引き寄せられるのだった。
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