第6章 村の変革

第25話 釣り

 セミの大合唱が夏の本格化を知らせていた。午前10時前、宍戸は村の畦道を汗を拭いながら歩いていた。

 都会の夏と比べるとアスファルトの照り返しがない分、暑さはまだマシのようだ。時折吹き抜ける風もかすかだが涼しさを帯びている。


 田畑で働く人を見かけると元気に声をかけて挨拶を交わしながら、彼はナカジマ電気店へと向かっていく。


「おはよう、宍戸さん! おや、どうしたんだい、その自転車?」


「おはようございます! それが……、パンクしてしまいまして。おかげでお店の開店時間に遅れそうですよ」



 今朝、彼が家を出ていつも通り自転車に跨ると違和感を覚えた。妙に車輪が重く、ガタガタと揺れるのだ。おかしいと思ってよくよく観察してみると、後輪のタイヤがペチャンコになっていた。


 単に空気が減っただけでこうはならない。タイヤのどこかに穴が開いているのだろう。それが事故によってのものか人為的なものか、彼はあまり気にしていないようだ。


 ナカジマ電気店の近くに自転車屋があったのを思い出した彼は、店長に出勤が遅れる旨を連絡し、とりあえず自転車を押して店に向かっている。




 10時を20分程度回った時間に宍戸は電気屋に到着した。中嶋は特に遅刻を咎めることもなく、ただただ彼の苦労を労っていた。


「お疲れさん。いやいや朝から災難だったねえ。自転車はオレが修理のとこに運んどいてあげるからさ。お客さんの応対をよろしく」


 その言葉に瞬きを繰り返す宍戸。そして、店のカウンターを見て意味を理解した。どうやら開店直後からパソコン関係の相談客が来店していたようだ。


 彼は店長の言葉に甘え、カウンターに回り込む。そこに座っていたのは50を過ぎたくらいの婦人で「香川」といった。衣服から所作に至るまで、育ちの良さを感じさせる女性だ。

 ノートパソコンをすでに広げており、なにやらメールの画面を開いている。宍戸がどういった相談かと尋ねると女性客はこう返した。



「ここのメールにある『ポイント申請』をしたいんですけど、うまくいかないんです。やり方を教えてもらえるかしら?」



 話を聞いて宍戸は一言断ってからパソコンの画面を覗き込む。そこには、何年か前から良くも悪くも世間の話題になっている公的証明書のカード申請と、それに付随したポイント贈呈の画面が表示されていた。


 だが、これを見て宍戸はすぐに状況を理解する。


「香川さんは――、この画面から手続きをされたのですか?」


「ええ。前に一度申請してポイントももらっていたのですが、メールをよく読むとすでにポイントをもらった人でも権利があると書いてありまして……。でも、必要項目をいくら入力しても次の画面に進まないんですよ?」


 話を聞きながら宍戸は額に手をやり、考える仕草をする。伝えることとやるべきことはわかっているのだが、その順番をどうすべきか迷っているようだ。


 ――そして、彼は「焦っても仕方がない」という結論に達したらしい。


「香川さん、まずは結論から申し上げます。このメールは偽物……、いわゆる『フィッシング』と呼ばれる詐欺の手口です」

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