第23話 内緒話

「ずいぶんと長かったですね? なにをお願いしてたんですか?」


 百合子は興味本位で宍戸の願い事を尋ねていた。彼は何度か首を捻ったあと、思い付いたようにこう口にする。


「うーん……、『世界平和』かな?」


「嘘! ぜーったい嘘! そんな熱心に『世界平和』の願掛けする人なんていないって!」


「ははっ、世界平和を熱心に願って『嘘』と言われるなんて世も末だな」


 宍戸は百合子の問い掛けを適当にはぐらかしていた。どうやら本当のことを答えるつもりはないらしい。彼女もそれを察したのか、改めて神社の案内に気持ちを切り替え歩き出すのだった。



「奥には本殿があって――、周囲は鎮守の森になっています。ずっとずっと奥に進むと小さな滝もあるんですよ。言い伝えでは、生贄になった村の娘はそこで身を清めたんだとか」


 百合子は村の伝承を簡単に説明しながら、神社の境内を通り抜けていく。


「山道はさっき通って来た道以外にもいくつかあるんですけど、整備もあまりされてませんし、見通しも悪くて迷いやすいんですよ? 宍戸さん、間違っても変な道に入ったりしないようにして下さいね?」


「ははっ、脇からいつ猪が飛び出してもおかしくなさそうだもんな」


「猪はもちろん、猿に鹿、熊だっているらしいですから。笑ってますけど、ホントに危ないんですよ?」


 宍戸はここに来るまでの道を思い返しながら、たしかに途中でいくつかの分かれ道があったのを思い出す。――とはいえ、そんな危ないところをあえて進むことなんてないだろうと思った。



「――私がまだっこい頃ですけど、山で遭難しちゃった人もいるらしいです。お祭りの日だったみたいだから、きっと他所から来た人で道がわからなかったんでしょうね……」


「その人はどうなったんだろう? ひょっとして熊に襲われでもした?」


 宍戸は笑い飛ばすような口調で言うが、百合子の表情に笑顔はなかった。彼が思っている以上に真剣な話をしているようだ。


「私もちゃんとは知らないけど……、たしか後日山の中で遺体が見つかったとか。だから、山に入るときは必ず誰かと一緒に行くようにしないとね」


 宍戸は「そうだね」とだけ答え、この話を一旦畳もうとした。空気が重くなったと感じたようだ。



 百合子は拝殿を横切り、本殿から離れた方向へと歩いて行く。その先には木造の展望台らしきものがあった。


「あそこから村を一望できるんです。私はもう見飽きてますけど……、宍戸さんは初めてですよね?」


 宍戸はこくんと頷いて、木製の柵に手を置きその景色を見下ろした。青空の下に広がる緑の絨毯。民家はいくつかの区画にまとまってポツポツとあるだけ。この村の住民が如何に少ないかを物語っているかのようだ。


 見飽きた、と言いながらも百合子は風を感じながら一時の間、その景色を見つめる。そして、宍戸の方を見やると彼は感傷に浸るような表情で景色を眺めていた。



「――写真でも撮っていきます?」



 百合子がそう問いかけると、彼はわずかに思案してポケットからスマートフォンを取り出した。しかし、画面を見つめたまま、写真を撮るでもなくまたそれを仕舞ったのだ。


「――いや、大丈夫。十分この目に焼き付けたから」




 ふたりは境内にあるベンチで休憩をとった後、山道を下って行った。お互い――、というより宍戸の方に疲れが出たのか、帰りの方が口数は少なくなっている。


 ただ、彼はこうして人の目を気にせず歩く機会はあまりないだろうと思い、気になっていたことを口にした。



「――この前、熊谷さんのこと『嫌い』っていったよね?」



 百合子は「熊谷」の名を聞いて、眉をひそめた。


「話したくなかったらいいんだけど……、どうして嫌いなのか気になって。他所から来た僕にも気兼ねなく接してくれるいい人、って感じだからさ?」


 彼女はすぐには答えず、足取りを早め宍戸と少し距離をとった。宍戸が気を悪くさせてしまったかと思ったとき、百合子は立ち止まり、後ろを振り返って口を開いた。



「村の人には話せない。他にもな人いるし、すぐに噂になっちゃうから。でも、宍戸さんになら話してもいいかな?」



 そう言うと、今度は逆に百合子から手が触れる距離まで近寄ってきた。息がかかり、体温を感じるほどの距離まで近付いて来た彼女は、人差し指を自身の唇に立ててこう言った。


「――絶対に内緒ですよ? それに、私のことをって思わないで下さいね?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る