第4章 狭い村

第17話 梅雨明け

 ここ数日は晴れの日が続いている。天気予報では近いうちに梅雨明け宣言がされるかもしれない。

 6月の中旬に入り、ヒグラシとニイニイゼミの鳴き声が山から響いてきている。セミの中でも比較的早めに顔を出す種類のようだ。


 この日、宍戸はデスクトップパソコンの配送と設置を頼まれていた。ナカジマ電気店の軽トラックを借りて村の道を走らせていると、路肩を自転車で走る百合子の姿が視界に入った。


 彼はルームミラーで後続車がないことを確認すると、プッと軽くクラクションを鳴らす。スピードを緩めてドアウインドウを降ろした。



「百合子ちゃん、こんにちは。今から学校かい?」


「こんにちはー、宍戸さん! そうですよ! そっちは今から配達ですか?」


 トラックのスピードを自転車に合わせ、彼は新しいパソコンを設置にいく旨を説明した。すると、百合子は突然大きな声を上げる。



「あー! それお母さんが言ってた! 武田さんとこのパソコンでしょ! かれこれ10年くらい使ってるから買い替えるんだって」



 狭い村だとこんな些細なことまで知られているのか。宍戸は外を出歩くときは周囲の目に気を付けないと、と思った。


「ねぇねぇ、宍戸さん! 軽トラの荷台空いてますよね? 自転車も積めるじゃないですか?」


 彼女の言いたいことを宍戸は察した。今向かっている武田の家は村から一番近い駅を通過する。百合子は助手席に乗せてくれと言っているのだ。

 彼は当然仕事中の身ゆえに、どうしたものかと考えた。結果、彼女を乗せたところで特に支障はないだろうという結論に至る。



「わかったよ。車止めるからちょっと待ってて」



 彼は道路の端に軽トラックを止めると、百合子の真っ赤なママチャリを抱えて荷台に積み、ワイヤーで簡単に固定した。そして助手席に彼女を乗せて再び走り出す。



「ありがとうございますー! 毎日、駅に着くときにはもう汗だくなんですよ」



 百合子はエアコンの風を心地よさそうに浴びながらそう言った。助手席から甘い香りが流れて、宍戸の鼻孔をくすぐる。彼は少し値段の張るシャンプーの香りを頭に思い浮かべていた。


 隣りに目をやると、肩にかかるくらいの今時珍しい純粋な「黒」の髪が揺れている。透き通るような肌は毎日日に当てられている割にはまるで日焼けしていなかった。日焼け止めを入念に塗っているのかもしれない。


 こうして彼女を車に乗せて走っているのも、どこかで見られていてたちまち噂として広がるかもしれない。宍戸はそんなことを思い浮かべ、妙な誤解を招かないか少しばかり心配していた。



「――宍戸さん、ちょっとお聞きしていいですか?」



 宍戸は百合子の顔を一瞥し、その視線を進行方向へと戻してから返事をした。


「年頃の女の子が聞いて楽しい話をできる自信はないけど……、なにを聞きたいのかな?」


「えっと、別に他意はないんですけど――、どうしてこの村に引っ越してきたのかなーって? 私が言うのなんですけどホントになにもないとこですから」


 百合子の質問に宍戸は前を見つめたまま淡々と答える。


「うーんと、ここに住んでる人には逆に理解してもらえないかもしれないけど、『なにもない』のが魅力的に映る人だっているのさ。こんなこと言うと村長さんに怒られそうだけどね」



 彼は都会での生活や当時の仕事の話を簡単に話して聞かせた。宍戸からすれば、「なにもない」鹿ヶ峰村に対して、なにもかもが「あり過ぎる」のが都会だ。必要以上に満たされすぎている環境に彼は嫌気がさしたようだ。


「私は今すぐにでも村を出て都会で暮らしたいけどなー。大学卒業までは絶対ダメって親に言われてるけど……」


「ないものねだりかもしれないし、単なる合う合わないの問題かもしれない。でも僕は今のここの生活が気に入っている。引っ越してきてよかったと思ってるさ。だからって百合子ちゃんが都会に憧れるのも否定しないよ?」


「あーあ……、私の親も宍戸さんくらい理解があったらよかったのになー」


「ははっ、それは僕が他人だから言えるのさ。こう言っちゃなんだけど言葉に責任がないからね?」


 宍戸は百合子と言葉を交わしながら、自分がいつもより饒舌になっているのを感じていた。歳はずいぶんと離れているとはいえ、若い女性と話をするのは少なからず高揚するものがあるのだろう。

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