第16話 自動化
翌日――、雨は上がったが、湿気のあるうだるような暑さの日となった。
岩見はナカジマ電気店の開店早々に姿を見せ、パソコンの状態を尋ねてきた。
「ご安心ください。やはりウイルスは入っておりませんでした」
宍戸はカウンターでパソコンを立ち上げ、なにも問題がなかった趣旨を説明しながら、改めてインターネットのサイトをいくつか開いて怪しい表示が出てこないことを確認して見せた。
「よかったよかった。助かりましたよ、宍戸さん。今日の夜までには、村長や商工会宛てに出さないといけないメールがあってさ」
岩見はそう言いながらデスクトップにあった表計算のファイルを開いていた。なにもここでやらなくても――、と宍戸は思いながらも横目でパソコン画面を一瞥する。
「過去に送ったものをちょっと編集するだけなんだけどさ……、期日までに送らないと後からうるさくてうるさくて――」
「差し支えなければ……ですが、このファイルをどのように編集するか教えてもらってもいいですか?」
宍戸は岩見のパソコン画面を見ながら疑問を投げ掛ける。岩見は彼の質問を不思議に思いながら、日付や中にある表の一部分を白紙にして、新しい数値を入れる、といった旨を説明した。
「この内容なら毎回手作業でしなくても、表計算の関数や簡単なマクロで自動化できます。よければ少しだけ触ってもいいですか?」
岩見は彼の言った「関数」やら「マクロ」が今一つピンときていないようだ。
「ご安心ください。元のファイルではなく、コピーをつくってそちらを編集します。気に入らなければ、今まで通りのファイルを使ってくれたらいいです」
彼はそう言うと、岩見のパソコンに白いUSBメモリーを差し込み、一言「失礼します」と言って画面を自分の方に向けた。
時間にして10分程度だろうか、マウスを動かしてクリックする音とキーボードを素早く叩く音が小刻みに鳴った。
「――これでどうでしょう? デスクトップにある『コピー』とあるのが僕のつくったものです」
宍戸が開いたファイルは一見すると、岩見がこれまで使っていたものと変わりない。しかし、右上の印刷範囲から外れた空白のセルに、ボタンが2つほど並んでいるところだけが違っていた。
「右のボタンを押すとここの表がリセットされて白紙になります。左のボタンは特定の場所にその日の日付を入力するようにできています」
彼は表に適当な数値を入れては、ボタンで消しての実演をして見せる。これに岩見は目を丸くして驚いていた。
「いやいやいや……、こんなことができるのかい? これは便利だ! これからこっちのファイルを使わせてもらうよ!」
「それはよかった。以前にやっていた仕事で、こういうことをよくやってまして。得意分野なんですよ」
岩見は、仕事が楽になると大喜びをしてパソコンを持って帰った。宍戸は一応、ウイルス点検の費用だけは頂戴したようだ。
「ありがたいよ、宍戸さん。こうした仕入れ費用のかかってない売上はそのまんま利益になるからね。あんたがここに来てから作業費の売り上げがずいぶんと増えてる」
「ははっ。僕の人件費分は利益を上げないとお店は赤字ですからね」
この日はお昼過ぎから雨が降り出した。宍戸は帰りはどうなるかと心配して、時折空模様を覗いて見る。ただ、彼の期待に応えてなのか、黄昏時には雨は止み、帰宅には影響せずにすんだ。
夜の7時過ぎ、電気屋の仕事を終えて宍戸は自転車で帰宅する。今日は帰路の途中で誰とも出会わず、家の前まで着いた。
彼は自宅の玄関にセンサー付きの照明を設置している。人が近付くと自動的に灯りが点く仕様だ。
家の玄関前に着き、いつも通り照明が点灯する。ただ、照らし出されたそこに奇妙なものが落ちていることに気が付いた。
それがなにかわかる前から宍戸はなにやら嫌な予感がしていた。ゆっくりと歩み寄って、家の扉の真ん前にあるそれがなんなのかを確認する。なにが落ちているのか頭が理解したとき、宍戸は眉をひそめ、口元を手で押さえた。
そこにあったものは、猫の死骸――、それも決して古いものではなさそうだ。
宍戸は口の中に酸っぱいものが込み上げてくるのを我慢しながら、汚いものを摘まむようにその死骸を持ち上げる。
『この下の地面は濡れていない。つまり、今日雨が降り出す前にここに置かれたのか……』
彼はとても小さな声で「かわいそうに……」と一言だけ呟いて、それを真っ黒なゴミ袋に放り込んだ。そして、それを手に持って、外の道を歩いて行く。
『雨が降り出したのはたしか昼過ぎ……、それだけ時間があれば誰かが気付きそうなものだけど……』
宍戸は考えていた。たしかに人が少ない村ではある。それでも、家の真ん前に転がっている動物の死骸に誰も気づかないものだろうか? と。
他人の家の前ゆえに気付いても触れられなかったのか、あるいは気付いていても無視をされていたのか……、いずれにしろ、自分への嫌がらせ目的でこの猫が殺されたのなら申し訳ないな、と思っていた。
思考をいろいろ巡らせながら、彼は家から一番近いゴミ収集場の前へとやってきた。そこで手に持っていたゴミ袋を無造作に放るのだった。
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