第9話 村のお祭り

 夜の7時過ぎ、宍戸は仕事を終えて自転車で帰宅の途に就いていた。暗い道を注意深く進んでいると、後ろから何度も自転車のベルが鳴り、一緒に若い女性の声も聞こえてきた。



「宍戸さーん! 今帰りですか!?」



 やって来たのは山中百合子。どうやら彼女も大学からの帰りらしい。宍戸は自転車のスピードを落として百合子と並走しながら言葉を交わす。

 ――とはいっても、彼はほとんど聞き役に回っていた。百合子は村で話し相手がいないのか、学校でのできごと、最近見たテレビ番組の話、流行りの歌などなど……、次々と話題を変えながら話をしている。


 宍戸は時々上の空になりながらも、うんうんと相槌を打っていた。百合子はきっと話を聞いてさえくれれば満足なのだろう。



「ちょっと! 宍戸さん、ちゃんと私の話聞いてます?」


「えっ……と、うん。英語の先生の声が眠りを誘うんだろう?」


「そうそう! そうなの。お昼休みの後でただでさえ眠い時間帯なのに、耐えられないのよ!」


「いっそ、その授業録音したらどうだい? 夜に眠れない日とかあったら使えそうじゃないかな?」


 百合子は宍戸のちょっとしたジョークに声を上げて笑っていた。静かな村に彼女の高い声はよく響いている。

 いつの間にかふたりは自転車を降りて、押してゆっくりと歩きながら話をしていた。



「――そういえば、宍戸さんっていつからこの村に越してきたんでしたっけ?」


「去年の10月だよ」


「10月かー、だったら鹿神しかがみの奉納祭は知らないんですね?」


鹿神しかがみの……、奉納祭?」


「うん。7月の終わり頃にね、村の真ん中にある神社でお祭りがあるの。年に1回村中総出のイベントでさ、村の外からお客さんもたくさん来たりするの」


 宍戸は考え事をするように夜空を見上げた。空気が澄んでいるのか、プラネタリウムと同じように大小の星が煌めいている。


「お祭りか、楽しみだね。運営のお手伝いとかさせられるのかな?」


「どうでしょうね? もし、ご一緒できそうでしたら、私がお祭り案内してあげますね?」


「ありがとう。それは楽しみだな」


 宍戸の返事の後、少しの沈黙が流れた。自転車の車輪が回る音とヘッドライトの発電機がゆっくり回る音だけが聴こえる。



 その時、前方から別のヘッドライトの光が射しこんだ。真っ直ぐにこちらへとやって来る。



「そこにいるのは――、宍戸さんとユリちゃんかな? こんばんはー!」



 姿を見せたのは村の駐在所に勤める警察官、熊谷くまがい。歳は40後半か50程度。恰幅のいい体型で、丸い顔をしている。大きな目とその下のたるみが目立っており、「熊」というより「パンダ」のような印象があった。



「熊谷のおじさん、こんばんはー」

「熊谷さん、こんばんは。見回りご苦労様です」



 宍戸と百合子は揃って熊谷に挨拶をする。熊谷は両者の顔を見比べた後、大きな声で話し始めた。


「まだ8時前だというのに真っ暗ですからね! 都会から来た宍戸さんはさぞびっくりしたでしょう!」


「ははっ、一応引っ越してきて半年は経ちましたから。こんなものか、と思うようになりましたよ」


「たしか宍戸さんのお宅はすぐ近くでしたね! ユリちゃんひとりこの夜道は危ないでしょうから、自分が送って行きますよ!」


 彼の言う通りで、宍戸の家まではそう遠くない距離のところまで来ていた。百合子の家はそこから自転車で15分程度は離れている。


「大丈夫よ、おじさん。夜道で人に襲われるなんてこの村でありっこないわ。熊か猪ならあり得るかもだけど?」


 彼女はそう言うと、自転車に跨って地面を蹴った。



「それじゃ、私はここで! 宍戸さん、熊谷のおじさん、まったねー!」



 百合子はハンドルから片手を離して大きく手を振ったあと、一気に加速して闇の中に消えていった。


「――熊谷さん、一緒に行かなくていいんですか?」


 宍戸は自分の正面に立っている警官に声をかける。


「まあ、ユリちゃんはずっと村で過ごしてる子だから大丈夫でしょう。それより――」


 熊谷は宍戸の顔をじっと見つめ、一度言葉を区切った。彼の自転車の灯りは取り外して懐中電灯にできるもので、その光が顔に黒い陰影をつくっている。


「宍戸さんは、なにかお困りはありませんか?」


 警官の抽象的な質問に、宍戸は一度首を捻る。


「特になにもありませんが……、『困る』とは?」


 逆に聞き返された熊谷は、一度咳ばらいをした。


「えー、村育ちの自分が言うのもなんですが……、他所から来た人間にあまり優しい村とは言えませんから、鹿ヶ峰ここは。ちょっと気になっとったんです」


「ああ……、そういう――。心配にはおよびませんよ。なんとかうまくやれていると思ってます」


「そんならよかったです。万が一、なにか困り事があれば自分に遠慮なく相談して下さい」


「ええ、ありがとうございます。とても心強いです」



 その後、宍戸は熊谷と少しの世間話を交わして別れた。家まで帰って来た彼は自転車を止め、いつもと同じように郵便受けを確認する。

 そこにはまたも、宛名も差出人もない封筒が入っていた。中を開けると赤い文字で幾重にも……、文字と文字の隙間を埋めるようにこう書かれていた。



『出テイケ出テイケ出テイケ出テイケ出テイケ出テイケ出テイケ出テイケ……』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る