第5話 大学生

 季節は春。冬に積もっていた雪もすっかり溶けて、暖かい日が続いている。ナカジマ電気店の開店は午前10時。宍戸は自宅と電気屋を結ぶ畦道を自転車で走っていた。



「しーしーどさーーんっ!!」



 背中から大きな声で名前を呼ばれる。振り返ると、真っ赤なママチャリに跨った若い女の子が片手をハンドルから離して手を振っていた。

 宍戸は彼女の姿を視界に入れると、自転車のスピードを少しおとした。程なくして声の主が追い付いてきて並走する恰好となる。


 彼女の名は「山中やまなか 百合子ゆりこ」。村に住む、今年大学生になったばかりの子だ。薄手のベージ色のジャケットを羽織り、紺色のぴっちりとしたジーンズを履いている。



「おはよう、百合子ちゃん」


「おはようございます、宍戸さん。これからお店ですか?」


「ああ。百合子ちゃんは今から学校?」


「ええ、そうなんですけど……、まだ学校始まってそんなに経ってないのにもう嫌になってきちゃった!」


 百合子は時折、ハンドルから手を離して手振りを交えて近況を話していた。彼女の話から察するに「学校が嫌」ではなく、「通学が嫌」が正確のようだ。



「家から駅まで自転車で30分以上かかるのよ! そっから2時間くらい電車に乗ってようやく大学の最寄り駅! 授業が1限からあったら朝起きられないし、6限まである日なんかもう外は真っ暗よ! ホントやんなっちゃう!」


 宍戸は百合子の話を聞きながら、たしかにその通学は大変だろうな、と思っていた。



 鹿ヶ峰村で百合子と同年代の子は指折り数える程度しかいない。それも住んでいるところはそこそこ離れているようだ。


 彼女と宍戸の縁は、ナカジマ電気店に大学で使うノートパソコンを探してやって来たことがきっかけ。店舗に実機はほとんど置いていないため、カタログで製品情報を見て、気に入った商品を取り寄せる、といった具合だ。


 商品を選ぶとき、宍戸と百合子はそれほど言葉を交わさなかった。大学のパンフレットにある必要スペックを見ながら機器の説明をしたに過ぎない。


 彼らが仲良くなったのは、注文商品を引き渡した時だ。


 今のパソコンは説明書関係がほとんど入っていないため、ずいぶんと小さくなったパソコンの箱を紙袋に入れて彼女に手渡した。その時、宍戸の頭にふと疑問が過ったのだ。今時の学生はパソコンのセットアップを心得ているのだろうか、と。


 それとなく尋ねてみると、現代の学生らしくスマートフォンはばっちり使いこなしているが、パソコンを触るのはほぼ初めてのようだった。どうやら、家に家族用の1台も置いていないらしい。


 宍戸は、百合子の時間さえ許すのならその場でセットアップを手伝おうか、と申し出た。これが実は百合子にとって渡りに船だったようだ。

 どうやら買って帰っても自分はパソコンに詳しくないし、家にその手の技術で頼れる人間もいないそうだ。


 店主の中嶋に許可をもらい、宍戸は店の中で小一時間かけて最低限のセットアップを終わらせてからパソコンを持たせた。彼くらいの歳の人間もこの村にはほとんどいないようで、百合子にとっては「歳の離れたお兄さん」程度に話しやすい存在だったのかもしれない。



 それから村ですれ違ったり、ちょっとした買い出しで電気屋に顔を出した時、百合子は必ず宍戸に声をかけている。


 並んでゆっくりと自転車を漕ぎながら、百合子は主に学校での話を――、宍戸は仕事の話をしている。百合子の肩の辺りまで伸びた髪が風に揺られてなびいていた。

 今日はこれから店にやってくるであろう森夫人のパソコンの話を、掻い摘んで話題に上げていた。



「データって時にはお金よりずっと価値あるものになったりしますもんね。森のおじいちゃんの遺品かー。うまくいくといいですね!」



 話がちょうど一区切りついたところで、分かれ道に差し掛かった。ここからは宍戸と百合子で方向が違う。


「それじゃ、お仕事がんばってくださーい! いってきまーす!」


「そっちも勉強がんばって! いってらっしゃい!」


 互いに大きな声で言葉を交わし、それぞれの道に自転車を漕ぎ進めた。柔らかな陽射しが心地よい、よく晴れた春の日だった。

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