第2話 動かないパソコン

 ナカジマ電気店の会計用レジスターの横に小さなカウンター席が設けてある。そこは、ノートパソコンの持ち込みやスマートフォンの相談を扱うところだ。宍戸目当てのお客は他の商品には目もくれずにここへ飛び込んでくる。


 鹿ケ峰村の情報機器に関する「駆け込み寺」の役割を果たしているのだ。そして、今日はそこに高齢の、落ち着いた雰囲気をもった女性客が訪れていた。

 もっとも、この村の高齢化は極めて進んでいるため「高齢」の占める割合が圧倒的に多いのだが……。



「――この中のデータを取り出したいわけですね?」



 宍戸は女性客に視線を合わせてそう言った。やや厚みのある年季を感じさせるノートパソコンがそこには置かれている。画面は真っ暗だが、筐体の右隅っこにあるいくつかのランプは白く点灯していた。


「パソコンが起動しない状態である以上、必ずデータを抜き出せるお約束はできません。また、料金も他作業と比べて高額になってきますが――」


 彼はそう言って、ラミネートされたA4サイズの料金表を取り出した。パソコンに関するさまざまな作業と、その料金とおおよその納期が記載されている。データの取り出しは、括弧書きで「起動有」と「起動無」に分かれており、「無」の価格は33,000円(込)とあった。ひとつ上の「有」の3倍の値段となっている。


 この料金表は、大手家電量販店の価格を真似て宍戸が作成したものだ。彼がやって来たことでパソコンやスマートフォン関係の相談件数が明らかに増えており、作業に対して明確な価格を設定した。

 動かなくなったパソコンのデータ取り出しは、あくまで成功報酬ではあるものの、料金表の中で非常に高額の部類だった。



「お金はかかっても構いません。どうか、よろしくお願いします」



 白髪に染まった女性客は、宍戸に何度も頭を下げてお願いをしている。よほど大事なものがこの中に入っているのかもしれない。


「差し支えなければ、どういったデータが入っているか伺ってもよろしいですか? もちろんこれは業務上の質問です。データが断片的にしか取り出せない場合もありますから、そういった際の手がかりにします」



 女性客は一度虚空を見上げた後、何度か口にしようとしては躊躇した。なにか言葉を選んでいる様子だ。



「――はっきりとは、私もわからないんです」



 この返答に宍戸は首を捻り、かすかに眉をひそめた。


「わからない――と、仰いますとどういう……?」



「このパソコンは、昨年亡くなった主人の遺品なのです」


 

 宍戸は一瞬言葉に詰まった後、状況を理解した。たしかにそれなら「わからない」も納得だと。


「なるほど……、そういうことでしたか」


「主人は、物好きと言いますか、70過ぎてから趣味でプログラムを勉強してまして――」


「プログラミングですか、それはすごい」



 近年は学校の授業に取り入れられるくらいに「プログラミング」は一般的なものとなった。ただ、現役を引退した高齢者が趣味で始めるのはきっと珍しいことだろう。


「生前、このパソコンでオセロのゲームをつくっていたんです。それをどうこうしたいわけではありませんが、主人がこの年まで生きていた証といいましょうか――」


 高齢のお客は自分の心中をどう話したものかと、説明に窮しているようだった。しかし、途中でその話を区切って宍戸は言った。


「わかりました、やってみましょう! 決してお約束できるものではありませんが、できる限りはさせてもらいます」


 彼の言葉に女性客は心底安堵した表情を見せた。まだ、中のデータが取り出せると決まったわけではないのだが、こちらの気持ちが宍戸に伝わったと思ったのだろう。



 その後、彼はパソコンを預かり、女性客に所定の申込用紙へ名前や連絡先の記入をお願いした。

 手続きを終え、店から出て行くお客を見送る宍戸。彼の横に立った店主の中嶋は誰に話しかけるでもなく、独り言のように口を開いた。



「森さんとこの爺さん、去年の夏……、まだ宍戸さんが引っ越してくる前に亡くなったんだよ。歳のわりに元気な爺さんだったけど、病気になってからは呆気なかったなあ」


「そうなんですね……。なんとか奥様のご希望に添えるようがんばります」


「ああ、こればっかりはやってみないとわからないけどよろしく頼むわ。オレがやるより宍戸さんのが確実だろうからさ」

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