第12話 口にしなくても伝わる言葉


 目を覚ますと白い天井が目に入った。

 家とも教室とも違う天井はかなり高く思えた。

 見つめていたら落ちていきそうな錯覚に陥りながら、わずかに消毒液の鼻にさす匂いがして、後頭部に当たる枕の柔らかい感触でベッドに寝ていることがわかった。


「あれ……? どこだ、ここ……」


 確か、先輩に土下座したとき、勢い余って頭蓋骨やっちゃった! はずだけど。


 周囲は薄い緑色のカーテンで遮られているため、視界から得られる情報は少ない。


「ここは医務室だよ。大丈夫?」

 

「真里絵先輩?」


 声が聞こえた方に視線を向ければ椅子に座っている先輩が俺の包帯に包まれた頭を優しく撫でてくれていた。

 怪我をした患部をゆっくりとさするような手つきで俺を心の底から労わってくれていることが分かる。


「おわっ――おぐっ!?」

 

「まだ安静にしてなさいっ」


 驚いて飛び上がろうとするが、急に動いたからか頭が痛んでベッドに押し戻される。


「……すいません」


 再度後頭部に柔らかい枕の感触を感じながら、謝罪を口にする。

 恥ずかしさと混乱で、それ以上何も言えなかった。


「もういいよ」


 再度俺の頭を撫でながら先輩は目を瞑った。

 初夏の夕日がカーテンの隙間から差し込んで、その美しい横顔を照らしている。

 保健室の天使という存在がいるのなら、きっと今世界で一番その称号に相応しいのは真里絵先輩だろう。


「私こそ、ごめんね? 居なくなって」

 

「いや、その……怒って当然ですよ。事実俺は真里絵先輩を置いて紗季を優先したんですし」


「――そうじゃないのっ!」


 手を止めた先輩は俺の言葉に被せるように語気を強く言うことで遮る。

 自分の失態に気付いた様子の先輩はわずかに椅子から上げた腰をゆっくりと元に戻した。


「……そうじゃないの……。あの日、アキくんが必死な顔で走って行ったとき……なんでかは分からないけど、胸が苦しくなったの。寂しくて、悲しくて、辛くて、それ以上見ていられなくて、逃げ出したの……」


 先輩は胸の前で両手を握って続ける。


「連絡もなんて返せばいいのかわからなくて……返せなくて。会わせる顔がないなんてアキくんは言ったけれど、違う。アキくんに合わせる顔が無いのは私のほう。ごめんね、アキくん……」


 先輩の目元から雫が頬を伝う。


 ……。

 …………。

 ………………。


 ……え? どういうことだ??

 えっと、俺に怒ってたわけじゃなくて、自分を責めてたってこと?

 他の女の子を優先した俺を責めるんじゃなくて?

 確かに、あの時の俺は酷い顔をしていたと思う。

 どんな感情で紗季に向き合えば良いのか分からず、苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう。

 だけど、それは流石に女神すぎる。


「待ってくださいっ!!」


 ゆっくりと椅子から立ち上がってカーテンの向こうに消えていこうとする先輩を引き留める。


「……?」


 手を引かれて、ビクッと身をこわばらせた先輩は振り向いてくれる。

 その目元は微かに潤んでいた。


「先輩は悪くありません。悪いのは俺なんです。あの子の事を……紗季の事をずっと引きずってて、あの日も昔を忘れるために先輩にデートを申し込んだんです」


 ……続けるべきだ。

 最低なことをした代償として、全てを打ち明けるべきなんだ。

 このいやらしい心を、全て。


「いえ、本当は電話で話した時、口にしようとしてたのはデートの誘いじゃなかったんです。もっと酷い……先輩の純情を踏みにじるにも等しい考えで、生半可な覚悟で、交際を……申し込もうとしたんです……」


 付き合ってください、と言いかけた。

 俺は逃げようとしたんだ。

 先輩は俺の言葉に目を見開いて、目を見つめてくれる。


「あの時の考えは自分でもよくわかりません。振られたら冗談です、って言ったかもしれません。そのくらい浅慮でした……」


 言い切った。言い終わった。もう二度と顔を見せるなと言われるかもしれない。

 先輩の初デートの相手が俺みたいなクズという取り消せない事実は、先輩を苦しめるかもしれない。

 だからせめて、今後二度と顔を出さない覚悟くらいは決めよう。


「……でも、アキくんは最後まで言わなかったよね?」

 

「はい」

 

「なんで?」

 

「それは……」


 俺の理性的な何かが止めに入ったはずだ。

 何かがなんなのか知りたいが、俺にそこまでの語学力は無い。


「超えてはいけない一線……みたいな。そういうのを感じたから、だと思います」


 キスから先はまだ早いみたいな。

 紗季と付き合っていた時も手を繋ぐだけで手汗が湯水のごとくで出たし、キスした時なんて顔と心臓が爆発するかと思った。

 その先を行っていたら、俺は二度と紗季と顔を合わせることはできなかっただろう。


「なんで超えちゃいけないの?」

 

「それは、断られたら今後どうしたって話しにくくなるから、です」

 

「じゃあ、私から言えばいいのかな?」

 

「え……あの、どういう?」


 夕焼けのせいか、それ以外もあるのか、先輩の頬には朱が差している。


「私はアキくんのことが……」

 

「え? ……え……?」

 

「す――」

 

「大事なところすいませんが、もう閉まっちゃうみたいですよ」


 バサァッ! とカーテンを開いた入江ちゃんが、謎のオーラを纏う笑みを浮かべている。

 高鳴った心臓が急に停止し、盛大にせき込む。マジで死ぬかと思った。

 

 俺としてはカーテンというより、甘い空間を切り裂かれたイメージだった。

 

 真里絵先輩も胸を抑えている。


「そ、そっか! 別に? いや全然お邪魔じゃないけども、そっか! なら出ないとね! 迷惑かけるわけにはいかないしっ!」

 

「あ、アキくん。私が支えるから、立てる?」


「あ、はい。すいません!」


 じとぉ~っとした視線を向けてくる入江ちゃんの前で、あたふたと棒読みな俺たちは準備をしていく。


「……天然ジゴロ」


 とんでもないワードが耳に入った気がするけど、スルーの方向で行くと決めた。

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