第八話 現在と過去の天秤の狭間で

 

 プラネタリウムでの鑑賞を終えた後、しばらく談笑をしていた。

 真里絵先輩の高校時代は天文学部だった。などの新情報を入手しながら二人でコーヒーを飲む。

 

「綺麗でしたね真里絵先輩」

 

「そうだね」


 優しく微笑む万里江先輩に、『いえ、先輩の横顔が……』などと言おうと思ったけど――そんなクサいセリフを口にする勇気は無い。

 というか照れてあまり顔を見れなかった。

 

 とっくに池袋から戻り、俺と真里絵先輩は神田駅近くにあるオープンカフェにきている。

 

 時刻は既に夕方で、街道は行きかう人で溢れている。

 若い人が多いが、忙しそうにスーツを着てカバンを持っている人が多い点、日本の労働環境を憂う。


「お昼も出してもらってごめんね? お弁当渡しただけなのに」

 

「いえいえ、それくらい嬉しかったんですよ」


 事実、味こそ感じられなかったけど、貰った時は歓喜したし。

 嘘は言っていない。


「こんなに楽しかったのは久しぶりだったなぁ」


「そうなんですか?」


「うん、誘ってくれる人なんてほとんど居なくて……周りの学力に付いていくために、参考書ばかり読んでたら休日が終わってた。っていうことが多くてね」


 先輩は灰色の青春送ってるもん、と苦笑いを浮かべて伸びをする。謙遜で言っているような空気感ではなく、何と言ったらいいのか分からず、俺も苦笑いを浮かべてコーヒーを啜った。


「アキくんは、休日に遊びに行ったりする……よね? 箭内君と青柳君たちと」

 

「そうですね。基本休日はヤナかシロヤギと家で遊んでます」


 例えば、シロヤギが持ってくる新作FPSの、おまけのように短いストーリーをクリアするまでやってからマルチプレイをしたり、オンラインマルチで死んだら交代、みたいな。と例題を上げていく。


 それを真里絵先輩は楽しそうに聞いていた。


「……でも、女性と一緒に出掛けたりするのは、もう何年振りかな……二年ぶりくらいです」


 俺は苦笑いを浮かべて、そう話す。

 香奈と出かけることはよくあるけど、幼馴染なのでカウントしていない。それ以外の女子と何処かに出かけることは全くない。


「彼女さん? 連絡とか取ってるの?」

 

「元、彼女です。連絡は取ってません、連絡先わからないので……」

 

「そ、そうなんだ」


 何故か少し安堵したように前かがみだった姿勢を元に戻す真里絵先輩。


「高三の花火大会の時に振られたんです。結構ショックで、大学入ってからも引きずってて」

 

「そっか。大変だったね……」


 今までよく言われた言葉を真里絵先輩は言ってくる。

 けど、そこに不快感を覚えなかったのは、本当に心配そうに言ってくれる真里絵先輩だからだろう。


「ヤナとシロヤギにも話すべきなんでしょうけど、まだ引きずってるなんて女々しいと言われそうでなかなか言えないんです。でも、いつかは話したいと思います。紗季の事を……」

 

「サキちゃん、って言うの?」

 

「あ、はい。そうです」


 思わず名前を口にしていたけど、まあこの人ならいいか、と肯定する。


「振られた理由とかって……あ、ごめんね? 踏み込み過ぎかな?」

 

「いえ、構いませんよ。えっと、そうですね。簡単に言えば、紗季の保護者? みたいな所からダメだって言われまして……」

 

「うん」

 

「でも、今思えばそれは言い訳だったんじゃないかな? って思ってます。元々俺に愛想を尽かしてて、別れ話にそれを使ったんじゃないかなって」

 

「どうだろうね? 本人に聞くのが一番早いけど、怖いよね」

 

「連絡先も知りませんしね……」


 一気に重い空気になってしまった。どうしよう!

 デートなのにこんなヘビーな話をしてしまっている自分に腹が立つ!

 そもそも今気になってる女性に元カノの話なんて最悪だ!

 俺は話を変えるように、声を上げる。


「そ、そうだ! 真里絵先輩はどうなんですか? 男の人と一緒に出掛けたり……」


 いや、待て俺。この質問ってブーメランじゃないかな?

 彼氏と行ってからだから昨日ぶりかな? とか言われたら、巡り巡って俺のガラスの心に突き刺さるんじゃないかな?


「男の友達と休日に予定を合わせて出かけたのは初めて、よ? アキくんが初めて」


 だが、俺の心配はよそに、先輩は頬を赤くしてそう答えてくれる。

 よっしゃ! バッドエンドは回避だぜ!

 しかしそんなことがあるとは、まさに女神。


「勿体ないですね」

 

「うん。後になって振り返ると、本当に勿体ないかもしれない。もっと私が社交的だったらって」

 

「いえ、先輩を誘わない人たちがです。こんなに素敵な女性なのに」

 

「……え?」


 真里絵先輩は驚いたように、目を開き、かすかに潤んだ瞳で俺を見上げてくれる。

 

 頬が朱に染まっているのは夕焼けのせいではないだろう。

 

 いけ、俺。根性を見せろ。ここで逃げたら男じゃないぞ!


「お、おれは……」

 

「――や、やめてください……」


 俺が言葉を発しようとした時、一方通行の車線を挟んだ街道から叫び声のようなものが聞こえた。

 叫び声、という表現はおかしいかもしれない。押し殺してはいるが、必死に不快感を表している声。

 思わず視線を向けてしまう。


「え? あれって……」


 先輩もその女の子を見たのか、困惑したように整った眉を寄せる。

 

 大きな眼鏡をかけていて、深く被った帽子からは手入れされているとすぐにわかる艶やかな髪が見える少女。

 遠目からでもスタイルが良いのが分かる女の子を、遊び慣れてそうな男の人たちが車に入れようと腕を掴んでいる。


「――いいじゃん。というより注目集めるとやばくない? いいの?」

 

「は、放して……」


 女の子は必死に声を振り絞ろうとしているが、恐怖から大きな声が出ない様だった。


 女の子には見覚えがある。

 

 見覚えどころじゃない。なんでこんなところに居るんだっていう疑問が思い浮かぶ。


「紗季……?」


 思わず走り出していた。

 その女の子の方に向かって。

 先輩を置いて。

 正義感なんて微塵もない。

 会うのが怖かったはずの少女を助けるために。

 言い訳のしようもないほど、それが当然の行いのように。


「手を離せ!!」


 距離はさほどなかったため、すぐに現場にたどり着き、紗季の腕を掴んでいる手を掴む。


「え……? アキ……くん……?」


 急に目の前に現れた俺に、紗季は潤ませた目を向けてくる。

 それとは反対に、男の人は威圧するような気怠げな目を向けてきた。

 

「あ? なにお前? 誰?」


「えっと、その、こ……知り合いです」


 そう、知り合いだ。友達ですらない。

 嘘でも恋人なんて言えない。


「……チッ、クソが。行くぞ」


 思いの外注目を集めていたことに気がついたのか、怖い人達は周りを一度見渡したあと俺が掴んでいた腕を払うようにして振りほどき、車に乗って去って行った。

 

 よかった。喧嘩の腕に自信は無い――というよりケンカしたことが無いから、正直、居なくなった後の今でさえ足が震えている。

 何とか腰を抜かしていないのは男の意地だ。


「あ、アキくん?」

 

「……久しぶりだね、紗季」


 足が震えているのは、多分紗季のせいもあるのだろう。

 会いたい、という思いから、次第に会いたくない存在になってしまった元彼女。

 でも本当に会いたくないのなら、俺の体は動かなくて助けていなかっただろう。

 だから、会いたかったんだ。


「会いたかった……」


 紗季は涙目で俺の胸に顔をうずめてくる。昔みたいに。

 手を紗季の背中に伸ばすが、結局抱きしめ返すことは出来ずに力を抜いた。

 抱きしめてあげることはできない。してはいけない。

 

 ――もう、恋人じゃないんだから。


  ※  ※  ※


「おい、おいおいおい、なにしてんだアイツ!?」

 

 飲んでいた炭酸飲料を口から溢しつつ、英宏は驚愕していた。

 

「本当、何考えてんだよ秋良。デート中だろう……?」

 

 遠くで抱き着かれている秋良を見て、健勝は失望したように眉根を抑えた。

 

「先輩放っておいて他の女……おんな……小夏……サキ……? え、あれって小夏サキじゃね!? 妹にサイン書いてもらわねぇと!!」

 

「やめろヤナケン! とりあえず僕達は西保先輩の所に行こう」

 

「え? なんでだ? ……あぁ~、そうだな」

 

 時計台の下にいる真里絵先輩が秋良を見て固まっているのを確認した英宏は、納得したのかまじめな顔で頷く。

 

「――って」

 

 歩きだしたところで、真里絵先輩はホームの中に走って行った。

 

「あ~ぁ……」

 

 健勝は深いため息を吐く。

 

「完全に選択ミスだよ、秋良……」

 

「だな。それより、アキラの元カノってマジで小夏サキだったのかよ」

 

「……帰ろうか。かける言葉が無いよ」

 

「あぁ……」

 

 英宏と健勝はその場を後にした。

 健勝は一度振り向いて、

 

「どうするんだよ、秋良。真里絵先輩か、昔の女か……」

 

 これから様々な思惑の渦中に立つであろう友人に、コンタクトの入った目を細めて、そう問いかけたが、遠く離れた場所に居る秋良に、その質問が届くことは無かった。

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