第七話 作られた星空の闇に潜む

 入学式からしばらく経過して、5月に入った。

 

 特に何の出来事も無く、俺の生活サイクルと言えば、講義を受けて、バイトへ行って、寝る。という灰色青春模様ばかり。

 

 入江ちゃんとは館内で何度か顔を合わせて会話をするが、友人も出来たみたいで、大学生活を送るのに不安はなさそうだった。

 

 ……まだ大学の中で紗季は見かけていない。


 そして週末。

 今日は一週間前に、真里絵先輩とプラネタリウムに行く約束をした日。つまりバラ色だ。

 

 朝十時に待ち合わせということで、休日で賑わう駅前の時計の下、今年一番の良い顔を貼り付けながら髪をかき上げる。

 

「ごめんねアキくん! 待った?」

 

「ふっ、今来たところです……」

 

 ほんとは一時間前から来てて、汗がものすごいけど、そんなことは顔に出さない。

 

 マジ五月の暑さ舐めてたよ。長袖で来たの間違いだったよ……。


「では、行きましょうか……」

 

 髪を手でサラッとさせる。汗が飛び散るが、汗も滴る良い男ということにしておこう。決して不潔だと思わないように。

 

「う、うん。それより、アキくん……どうしたの?」

 

「えっ、何がっですか……っ?」

 

 普段より若干吐息多めの俺に真里絵先輩は眉をひそめる。

 

「いつもより変だよ?」

 

「どんな感じですか……っ?」

 

 いつもよりセクシーだ、ということだろうか。

 

「う~ん。気味が悪い、かな?」

 

 よし止めよう、このままだったら嫌われてしまうと分かった。というか初っ端から消滅したい。

 

 一昨日買った参考書は焼却処分に決定だ。

 

 ――二度と買うものか。

 

「すいません、やめます。では池袋に行きましょうか」

 

「うん。やっぱりアキくんは普段通りの方がいいよ」

 

 少し肩を落とす俺と、苦笑いを浮かべて真里絵先輩は駅の改札を潜った。


 神田から池袋へは、一回の乗り換えを挟んで20分程度で到着する。

 

 電車の中は休日の、それも10時。ラッシュを避けた時間なためそれほど人が多い印象は無かった。

 

 無事に池袋に到着し、事前に調べておいた建物の中に入り、薄暗い館内に入っていく。

 

「私、プラネタリウムって子供の時以来かもしれないなぁ」

 

「オレモデス」

 

 ガチガチに緊張している俺は気の利いた返事も流暢な日本語も出来ないでいた。

 

 開演前に椅子に二人で座り、他愛のない雑談を交わす俺と万里江先輩。

 

 ※ ※ ※


「――こちら、ヤグアル。目標を視認。どうぞ」

 

「こちら山羊ツィーゲ。僕も視認。どうぞ」


 暗闇に包まれた空間に言葉が溶けていく。


「目標の穴熊ダグスは緊張しているようだ。ヤグアルの所感は?」

 

「……一ついいか?」

 

「なにかな? なんでも言ってよ」

 

「席一つ分くらい空けて座れよ」

 

「あぁ、確かに。近いよねあの二人」

 

「ちげーよ! お前だよミリオタ! ただでさえ受付の姉ちゃんが怪しい目を向けてきたのに、隣に座んなって言ってんだよ!」


 プラネタリウムの後部座席でひそひそとやり取りをする英宏――ヤグアルと、健勝――ツィーゲ。

 

 朝早くから秋良のマンション前で張り込んでおり、ずっとつけていたのだ。

 ちなみにヤナはシロヤギの眼鏡を付けていて、シロヤギは嫌々コンタクトを入れている。


「……はぁ、にしても。なんでこんなカップルだらけなんだよクソッ」


 度の入った眼鏡に限界が来たのか、外しながらヤナは人工の星空を見上げる。


「基本僕達って秋良のマンション以外じゃアウェーだよね」

 

「大学行けばまともな彼女出来ると思ったんだけどな……」

 

「まとも、ってことは、ヤナケンって彼女いたことあるの?」

 

「中学で一回」

 

「秋良もヤナケンもくたばればいいのにッ!!」


 健勝ことシロヤギには――いや、シロヤギこと健勝には彼女が居たことが無い。

 中学では女子からキモオタと罵られ虐められ、高校は男子校だったからだ。


「まあ聞け。告白されて、流れで付き合ったはいいが……所謂ビッチでな。告られた次の日には、5人の男と付き合っていた……」

 

「……やったの?」

 

「なにをだ? と聞きたいが、やってない。即別れた」

 

「それ付き合ったって言えるの?」

 

「……トラウマを植え込まれたんだ。嫌でも歴史に残してやる……」


 暗闇の中で、英宏は目をギラつかせる。

 周囲に居たカップルたちは、その異様なオーラを感じ、刺青やっさんが隣に座ってきた恋人達のように、いちゃつきを止めた。


「高校は?」

 

「エスカレーターだったんだ。それにあの女は三年間ずっと同じクラスで常に目に入った……大学もエスカレーターの予定だったが、また青春を棒に振るかもしれなかったから、外部の坂大に進学したんだ」

 

「……その子はそのままエスカレーターに行ったの?」


 健勝の言葉に、一瞬動きを止めた英宏は、観念したように話す。


「ゲッカの文学部に入ってきてたが、入学当初からサークルを荒らしまわり、去年の夏に4年の先輩との間にベビーが出来て退学した」

 

「うっわぁ……こわっ!」


 両腕を摩りながら、本心からそう口にする健勝。

 自分のサークルにそんな爆弾系女子が来たらと思うと、会長として絶望しかない。

 コンタクトなのに癖で眼鏡をくいっ、としようとするが、空を切る。


「とにかくだ。アキラとミリオタには俺と同じトラウマを持って欲しくない。ま、だからって絶対安全聖母のマリア様に近づくのは大罪ギルティだがな」

 

「……だね。僕もそんなトラウマ持ちたくないよ」

 

 話だけで疲れた、というように、健勝は椅子にもたれかかる。

 

「……そういえばミリオタ。お前って、アキラの恋愛話って聞いたことあるか?」


 唐突に、何気ないように英宏は切り出す。

 健勝は一度深呼吸するように息を吸ってから、


「いや、無いね……そう言えばないよ。こんだけ毎日一緒にいるのに」

 

「だよな?」


 おかしいよな? と英宏は人工的な星空を見上げる秋良の背中を見る。


「……あ、でも待って」


 今思い出した、と健勝は言葉を続ける。


「前にカフェテラスで香奈ちゃんと話してるの聞いた」


「なんて?」

 

「なんか、『別れた相手の事なんて、紗季も気にしてないよ』って」

 

「サキ?」

 

「うん、多分元カノの名前だと思う」


 英宏の言葉に健勝は頷く。


「サキか……歌手の小夏サキだったら面白いのにな。いや、地獄か。テレビ点ければ毎日視界に入る元カノなんて、きつ過ぎる」

 

「……この前さ、ほら、入江ちゃんと会った日。何気なく小夏サキを見たんだって話をしたら、秋良の顔色が変わったんだよね」

 

「マジかよ」


 絶句した英宏に、あくまで雑談、クラスに移動中の話だけどさ、と健勝は付け加える。


「それに、今日のデート。いきなりすぎるって言うか、なんか抱えてそうじゃない?」

 

「抱えてるってなんだよ?」

 

「元カノを忘れるため? みたいな?」

 

「……よほど酷い恋愛だったんだろうな。アキラって抱え込んじまう性格してそうだもんな」


 飲み物をひじ掛けに置き、再度秋良の背中を見る。


「真面目な話をすりゃあ、マリア先輩とでも、何事もなく進んでほしいな」

 

「……うん。そうだね」


 健勝も秋良の後頭部を見て、心の底から同意するように頷いた。


 

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