第六話 長く咲いたアネモネの花弁は色が消えていた。

「そういや、アキラって選択なに取ったの?」

 

 そろそろ良い時間となりカフェテリアでヤナと入江ちゃんと別れた後、俺とシロヤギは同じクラスに向かって歩く。

 

 うちの大学は各学部の中でも人数が多い場合クラス分けされるケースがある。

 だが、担任などは基本名義だけなため、質問などをよくする生徒以外で名前を覚えられることは少ない。


「一応ドイツ語。フランス語と迷ったけど」

 

 そしてシロヤギの言う選択とは、選択科目だろう。

 一年次と二年次は選択を変えられるのだ。

 履修も面倒だという理由もあり、去年と同じドイツ語にしたのでそう答える。

 

「じゃあ同じだ! やっぱりドイツって格好いいよね。秋良なら分かってくれると思ってたよ!」

 

 シロヤギは目を輝かせる。

 なんだろう……スペルとかが格好いいのかな? 確かに、いちいち発音が格好いいとは思うけど。

 そう思ってしまう時点で、俺も発症しているのだろうか?

 

「選択した理由は英語の論文とか読むためだけどね。必修科目だけじゃわからないものが多いし」

 

「ティーガーとかヘッツァーとかマウルティアとかさ! 最後はラバって意味だけど、なんか格好いいんだよね!」

 

 ダメだ。話聞いてないや。去年も全く同じような会話をしたなぁ。

 まあ、いつものことだと思って適当に相槌を打っておく。

 

「――そういえばさ、全然話変わるんだけど、昨日小春? 小夏? サキだったけ? 歌手の。大学で見たんだよね。なんか周りがそんな風にひそひそ言ってたからさ。秋良は知ってる?」


「うんうん……え?」

 

 唐突に話題が変わり、首振り人形になっていた俺は間抜けな声を返してしまう。

 

「だから、小夏サキ。僕は三次元に興味ないからあんまり知らないんだけど、有名なんでしょ? テレビで見たことはあるし」


「……あぁ。そうなんだ」

 

 昨日香奈が言っていたのは本当の事なのか?

 シロヤギは一瞬俺の顔をチラリと見て、

 

「ま、何でもいいけど、下手に注目浴びるのって大変だよね」

 

 若干心配そうな声音でそんなことを口にした。

 

「なんで?」

 

「ほら、ストーカーとか最近多いじゃん? あと、後ろ暗いサークルとかさ。目を付けられたら怖いじゃん」

 

「あぁ、確かに」

 

 俺はどこか他人事だった。

 脳の思考が紗季という名前の衝撃で、オートモードに切り替わっているのかもしれない。

 

「今みたいな時期は変な奴が増えるしね」

 

「そうだね……」

 

 シロヤギの言葉に、俺は首を振る事しかできなかった。


 放課後。

 講義も終わり、俺は紗季のことを忘れていた。

 カバンに入れた弁当箱を返すために、真里絵先輩にメールで『お弁当箱返すので、本郷に行きます』と連絡を入れた。

 すぐに『図書館に用があるからそっちでいいよ』と返信が来たため、正門前で待機していた。

 

「あっ、アキくん。正門前で待っててくれたのね。ありがとう」

 

 携帯を取り出すのとほぼ同じタイミングでそう声がかけられた。


「いえいえ、とても美味しかったです。ありがとうございました」

 

「ううん。お粗末様でした」

 

 お弁当箱を手渡し、頭を下げた俺に、先輩は嬉しそうに微笑んだ。

 

「それより、プラネタリウム。いつにする?」

 

「俺はいつでもいいですよ。先輩の都合が会うなら今日にでも!」

 

「今日は図書館に用があるから……それにアキくんはバイトがあるんだし、私が合わせるよ?」

 

 そうだった。すっかり舞い上がってて真里絵先輩が神田に来ていることを忘れていた。

 

「それなら、週末とかどうですか? 俺は空いてます」

 

「じゃあ、そうしよう? でも無理しなくていいからね?」

 

「はいっ! ありがとうございますっ!!」

 

 風圧を感じる勢いで俺は頭を下げた。

 

「ふふっ、じゃあ、私は図書館に行くから。待ち合わせとかはメールとかで」

 

「はいっ! ありがとうございますっ!!」

 

 同じ言葉、同じ動きで頭を下げる。

 それが面白かったのか、真里絵先輩はふふっ、と楽しげに笑った後、手を振って校舎の中に消えていった。

 

「……ふぅ。デート、ゲットだぜ」

 

 腰に手を当てて、額の汗を腕で拭う俺。

 

「くたばれぇい!!」

 

「ごっふっ!」

 

 後頭部にカバンが当てられ、視界が揺れた俺は思わず前かがみになる。


「裁きを受けろ!!」

 

「がはっ!」

 

 今度は俺の足に膝カックンが入り、とうとう体を支えることの出来なくなった俺の体は地面にうつ伏せで倒れる。

 やってきた正体は声で分かってしまった。

 俺は膝立ちのまま背後を見る。

 

「なにするんだよヤナ! シロヤギ!」

 

「それはこっちのセリフだっつの! 我らがマリア様に何してやがんだゴラァ!」

 

「肥溜めに落ちろ!!」

 

 もの凄い圧でヤナとシロヤギは迫ってくる。


「なんでだよ」

 

「黙れリア充が!」

 

「リア王のように破滅しろ!!」

 

 二人は話を聞く気が無いようだ。三次元に興味が無いと話していたシロヤギも真里絵先輩には頭が上がらないらしい。

 いかん、このままでは粛清されてしまう。

 何とかしなければ……理由を言えばいいのかな?


「お弁当を貰ったお礼だよ」

 

 俺の言葉に二人はびくっ、と震えた。

 言ってから、しまった、と思い口を片手で抑える。

 

「……手作り、か……?」

 

「……うん、まあ」

 

「愛妻弁当?」

 

「うん、まあ。いや、何言ってるんだシロヤギ。妻じゃないぞ」

 

「「うあああああああああっ!!!」」

 

 魂の慟哭を発した二人は目元を覆いながら校門の外に走って行った。

 

「……なんだよ。二人とも……」

 

 目にも止まらぬ速さで消えていった二人に取り残された、俺の言葉に答えてくれる人は居なかった。

 

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