第三話 アンティークショップの日常
「こんにちは、すいません遅れました~」
一応、礼儀としてそう口にする。
まだまだ時間に余裕はあるが、向かっている途中で携帯に『はやくー』と入ってたからだ。
どうやら相当暇しているらしい。
「あ〜秋良くん〜お~そ~い~」
入って早々、気だるげな声で出迎えられた。声の主を探すと、案の定、店のカウンターに見慣れた毛玉が目に入る。
「まだバイトまで10分はあるんですけど?」
「30分前行動厳禁~」
「どこの軍隊の精鋭ですか」
精鋭でも三十分前から待ってたら他の部隊の邪魔だよね。
俺のことをカウンターに顔をうずめながら出迎えてくれたのは弥生さん。このアンティークショップの店長だ。
……と言っても従業員は俺と弥生さんを入れて、もう一人。その3人しかいない。
そうそうお客さんは来ないけど、趣味でやっている割に価値の高いモノが多いため、バイト代払えなくて経営破綻なんてことはないだろうけどちょっと心配だ。
有名な画家の絵が在ったこともあったそうだ。その絵はオークションで毎年値段を上げている。
「今日、あいつは休みですか?」
エプロンを付けながら、未だカウンターに突っ伏している弥生さんに聞く――というかまだ店に入ってから旋毛しか見ていない。
「今買い出しに行ってもらってるよぉ~」
「なんですか、買い出しって? いつから飲食店になったんです?」
「待機時間のお菓子よぉ~」
「え? それってパシリってやつじゃ……」
バイトを下僕扱い……ダメだこの人は。
お世話になっているけれど、本心からそう思って溜め息を吐く。
「秋良くんも食べるぅ~?」
「あいつが買ってくるのって仏壇に供えるようなものですよね? 俺は辛い物が良いんで遠慮します」
それ以前に、これからグータラ店主に変わって掃除とか、埃落としとかやるから手が汚れるのは勘弁なんですよ。と言いかけたが、その言葉を飲み込む。
まず間違いなくこのカウンター顔面雑巾店長が拗ねて、もっと対応が面倒くさくなるからだ。
「……それより、今日お客さん来ましたか?」
「逆に聞こうアッキー。来たと思うかい?」
「ですよね。あとアッキーってなんですか?」
知っていて聞いた俺は、埃を落とすヤーツ(名前は知らない棒切れ)を取り、店内に飾ってある絵などの埃を叩はたき落としていく。
「遅いなぁ~香奈ちゃん。早く帰ってこないかなぁ~」
おやつの待ちぼうけを食らっている子供の様にうんうんと唸る
美貌こそ万里江先輩に匹敵するほどの美人ではあるが、このグータラな性格のせいで彼氏ができたことが無いそうだ。
美人の無駄遣いここに極まったね!
「……なにか、不穏な気配を感じたぁ~」
「気のせいですよ」
失礼なことを感じ取ったのか、アホ毛をみゅんみゅん動かしながらやっと顔を上げた弥生さんは俺をジト目で見据える。
「そういうこと言う人に限って犯人なんだよぉ~?」
「……遅いっすね。アイツ」
半目で見てくる弥生さんの視線をスルーして、出入り口を見る。
すると、見覚えのある赤いマウンテンバイクが丁度止まったところだった。
そのままバイクを店の壁に不用心にも鍵をせず立てかけ、ビニール袋を持って店中に入って来る。
「あれ? アキ……」
少し気の抜けた、大学生とは思えない女の子に俺は名前を呼ばれた。
「よう、香奈。バイト……つかパシリお疲れ様」
「うん。面倒くさかった」
埃を落としながら俺はその主に声をかける。宙を舞う埃を全く気にすることなく、香奈は奥へと向かっていく。
「香奈ちゃ~ん。早く早くぅ~!」
「はい。これ」
「きゃ~~~寒天! 風の冷たい春なのにっ! 美味しそぉ~うっ!」
なぜだろう……全く嬉しそうに聞こえないんだけど。
茶菓子の選択はともかく、寒天の色もこう……いや、和菓子職人を敵に回すのはやめておこう。
「アキには……、これ、九十九餅」
香奈はビニール袋の中を漁って、俺に餅を渡してくるが俺は一拍置いてから首を振る。
「いや、今はいいよ」
「美味しいよ?」
「一応、バイト中だからね」
「じゃあ、後で食べて」
俺は『そうするよ』と言って、埃落としに戻る。
ガサゴソ……。
「……ん?」
何故か自分のポケットの中がひんやりと冷たくなったような気がした。違和感を覚えて埃を落とすために上へ向けていた視線をズボンに向ける。
「……入った」
「冷たいっ! え、なにっ!?」
エプロンを捲ってポケットを確認すれば、そこには九十九餅が入っていた。
「なにやってるんだよ香奈!? 中身はみ出てるから! というよりポケットに九十九餅は入れちゃだめだよ!?」
「……そうなの?」
常識が無い女の子だ。それも当然と言えば当然だ。
目の前のショートカットで、美少年にも見える女の子の名前は
小学生の頃から陸上選手として、訓練ばかりしていたため、少しばかり世間を知らない……というよりはズレている。
高校は陸上で推薦入学、坂月大学にも推薦入学。
幼小中高大全て同じで実家も隣同士と、ラノベ好きが聞いたら発狂するほどの究極的な幼馴染だ。
うちは母が家を空けている事が多かったため、香奈のお母様にはお世話になりっぱなしだった。
上京する時も、『香奈の面倒を見てやってください』とお願いされてしまったため、たびたびアパートへ掃除に行ったりしている。
「あぁ……あぁ……きなこが……」
自分のポケットに入った餅……というよりきな粉のせいで砂を付けられたようになっている。
「何の怨みがあったんだよ? なんでこんなことをしたの?」
「……日頃の感謝……?」
「香奈は恩を仇で返すのか……」
俺の言葉に香奈は首を少し傾げて、
「……黒あんみつかける……?」
「その気の使い方は逆に迷惑だからね!?」
そんなことをすれば、さらにグロテスクなことになりそうで、慌てて怒鳴る。
俺は人を早々怒らないけど、長い付き合いの香奈にだけは別だ。
この手のタイプにはダメなものはダメと言わなければ成長しない。
猫みたいなものなのだ。
心の痛む愛のムチなんだ。
「い、いたひ……」
……今香奈の頭をグリグリしているのも愛のムチなんだ。ホントだよ?
「……はぁ、まあいいや。とりあえず箒と塵取りを持ってきて、地面に散らばったきな粉を回収しよう。商品に付いたら洒落にならないからさ」
黄砂といっても無理がある。
香奈は拳の拘束から逃れて涙目で俺を見上げた後、「アキ、ごめんなさい……」と言って箒を使って掃除を始めた。
この程度はいつものことなため、俺は気持ちを切り替えるために嘆息してから埃落としを再開した。
一通り掃除も終わり――というよりいつもやっているため、そんなに埃は無かったが――塵取りなどを片付けた後、ひと息入れるため俺と香奈はカウンター裏の広間に座った。
ちゃぶ台にお茶を一応三人分用意して、せんべいなどを皿に入れて持って行く。
「気が利くねぇ~秋良くんは」
そう言いながら弥生さんもカウンターから移動して、今度はテーブルに突っ伏す。
年中問わずコタツのあるその部屋は、季節感があまりなく非常に落ち着く。
「店番、いいんですか?」
「お客さんなんてこないこない」
それでいいのか年中五月病店主。
ま、いつもこんな感じなんだけどね。これでバイト代が結構おいしいのが逆に怖いところだ。
そんな俺の心を置いておいて、弥生さんはテレビのリモコンに手を伸ばす。
「ぽちっと」
そう言ってテレビを付けた。
『――歌手、小夏サキさんは、しばらく学業に専念するとのことで、そのことを知ったファンの方たちは、「小夏病という病が発症しそう」などと涙ながらに話していました』
「――っ」
俺はその名前が出たとき、無意識のうちにせんべいを持った態勢で固まってしまった。
「ははっ、小夏病だってぇ~。面白いこと言うねぇ~」
弥生さんはテレビのキャスターの言葉に肩を揺らして笑っている。
「…………」
俺は何も言えず、ただ無言でニュースを目にしていた。
横から視線を感じ、俺はそっちを見る。
「……アキ。サキちゃんとは?」
香奈が少し顔を険しくさせて聞いてくる。
「……うん。相変わらずだよ。連絡は無いし……というより、連絡先もわからないよ」
「そっか……」
幼馴染である香奈は俺と紗季のことを知っている。
……恥ずかしい話、花火大会の夜。紗季と別れた俺は橋の上で泣き崩れているところを家族と花火に来ていた香奈に保護されたのだ。
「紗季も俺の事なんてとっくに忘れてるさ。ほら、女は上書き保存、だっけ? なんだよね? 弥生さん?」
我ながら空笑いが痛い。
苦し紛れに弥生さんに話を振る。
「……上書きどころかファイルのデータがない私に喧嘩売ってるのかなぁ?」
やばい、逆鱗に触れたようだ。
どのくらいやばいかっていうと、責任取れと言われ、弥生さん名義の婚姻届けに判子を無理やり押させられるくらい。
「すいません、話を振る相手を間違えました。とにかく、紗季のことについて、香奈は心配しなくていいよ」
「そっか」
短い言葉を発して香奈は餅を口に含む。
弥生さんは「失礼~」と言ってくるが、特に気にした様子もなく、テレビから俺と香奈に視線を向ける。
「さっきからサキサキって、秋良くんの元カノとか?」
「……まあ、そうです。ちょっと連絡取れなくて」
「そうなんだぁ、女の子は難しいからねぇ~」
弥生さんは、「そんなに気にしない気にしない」と言ってせんべいを差し出してくれた。
まぁ、俺が用意した奴なんだけどね?
「――でも、紗季ちゃんは違うかも……」
無理やり終わらせた話なのに、香奈はそんな意味深なことを呟く。
「どういう意味だ?」
「さっきの、女は上書きってやつ」
「なんでわかるんだよ?」
俺の疑問に、香奈は「今日入学式で聞いた話だけど」と言って、話し出す。
「坂大の経済に紗季ちゃんが入学したかもしれないって、サークルの人が言ってた」
「…………え?」
思わず固まってしまった。
手に持ったままのせんべいを落としてしまったけど、そんなことはどうでもいい。
坂大というのは、在学生が坂月大学のことを呼ぶ別称だ。
現実逃避するためにそんな当たり前ことを頭に思い浮かべる。
「私も……入学式でそれっぽいの見た」
「いや、いやいやいや、嘘だろ? いやだって、そんな……」
動揺を隠すことができない。
苦笑いが引きつっているのが自分でもわかる。
――まさか入学式に……あの会場に居たのか?
他人の空似だろう。
だが、香奈は意外に記憶力と観察力があるしもしかしたら……。
「――でも、関係ないんだよね? アキには、もう……」
「……え?」
背中に冷や汗を掻いている俺に、香奈は試すような視線を送ってくる。
俺の粗を探るような――いや、心を覗くように。
「あぁ……関係ない、よ。今更、俺が出て行ったところでどんな顔をすればいいのかわからないし」
……虚勢だと見抜かれただろう。
俺はまだ引きずっている。
あの夏の記憶を夢に見るくらいには。
「……そっか」
香奈は再度、興味なさそうなそのセリフを言って、九十九餅を食べだした。
俺は真里絵先輩から貰ったお弁当を取り出して手を付け始めたけど、砂を噛んだようにほとんど味がしなかった。
香奈が真里絵先輩のお弁当に興味津々だったから、半分渡すくらいには俺の心は乱れていた。
九十九餅も食べてみたけど、じわじわと黒あんみつに染まっていく餅のように俺の心が暗くなっていくのが分かってしまった。
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