第6話 聖女様は電磁石づくりに挑戦する

「私としては、ハイティーシーをやりたいんですが」

 林准教授は高温超伝導体の試料づくりのエキスパートである。杏としてはその林准教授に指導して欲しいと考えている。

「ハイティーシーは、磁気的な現象だよ。本学で磁気的なアプローチといえば伊達先生だよ」


 言われてみればそうである。3年生の杏は最近、1957年のBCS理論にはまっていた。高温超伝導発見以前の理論では、BCS理論が最高峰である。普通の3年生ではとても手の出ない理論であるが、そこは学年首席の聖女様、どうにかこうにか学び始めていた。


 古典的BCS理論では、原子の振動が電子に作用し、低温で電子2個がペアを作る。これをクーパーペアという。磁気的なちからは古典的BCS理論と相性が悪く、超伝導状態が壊れやすい。それに対し高温超伝導では、ペアを作る電子間の力は磁気的なものではないかと言われている。


 そこはまでは知っていた。試料づくりも大切だが測定も重要である。よって林准教授のすすめに従い、磁気的測定の大家伊達教授の研究室へ向かうことにした。


 伊達研究室は、林研究室のとなりのとなりである。20メートルもない。開いているドアから中をのぞいた。


 3年生が5人、なにやらハンドルを回している。皆顔見知りである。のぞみもいた。電磁石のコイルを巻いているらしい。伊達教授を中心に、ワイワイと楽しそうだ。

「失礼しまーす」

 杏が声をかけると、のぞみと目があった。

「あ、聖女様」

 研究室に静寂が訪れた。


 伊達教授は、1年前の春、水戸の国立大学を定年で退官し、扶桑女子大に着任した。おじいちゃんである。そのおじいちゃん先生は、杏にも優しかった。

「あー神崎くんね、君もコイル巻いてみるかい」

 水戸にいた頃、伊達教授は強磁場実験の大家であった。いや、今でも大家である。神奈川の扶桑女子大に籍をおきながら、しょっちゅう仙台やら大阪やら柏やらに出張していた。だから杏とは学生実験での接触が無い。つまり聖女効果もご存知ない。講義ではバンバン質問していたので、顔を覚えてくれていたのだろう。

 その日本強磁場実験の大家が、手づから電磁石作成を教えてくれるというのである。先程の林研究室での微妙な対応も忘れ、杏のテンションはMAXになった。


 のぞみが席を代わってくれる。のぞみだってやりたかろうに、やはりもつべきものは友である。

「のぞみ、ありがとう」

「いいや、私は見たいだけ」

 何を見たいのかよくわからんが、のぞみはいたずらっぽく笑っていた。

 杏がコイル巻き機の前に座ると、伊達教授は満面の笑みで杏の前に立った。

「そのハンドルを回せば、芯に導線が巻き取られるよ。まあ見ててよ」

 杏の前のコイル巻き機のハンドルを、伊達教授は回し始めた。

「一定のペースでハンドルを回せば、自然ときれいに巻けるよ」


 美しい。芯に導線が整然と巻き付いていく。物理は美しくないといけない。


「こうやって端から端まで巻いたら、接着剤を塗る。コイルが緩むといけないから、ストッパーを忘れないでね」

 コイルの巻具合だけでなく、伊達教授の手付きも美しい。イケメンでなく、おじいちゃんであることだけが惜しい。


「じゃ、神崎くん、やってみようか」

「はい」


 ふーっと息を吐き、雑念を振り払って杏はハンドルを回し始めた。

 ゆーっくり、ゆーっくり、一定のペースで。

「!」

 誰もが声にならない声をあげた。のぞみだけは笑いを噛み殺しているようである。こいつだけは殺す。


「導線が乱れちゃったね。ま、最初はこんなもんでしょ」

 おじいちゃんは明るい声で言って、杏の芯を新品に取り替えた。物理は美しくなければならない。大事なことなので、二度言いました。

「もう一回見本をみせよう」

 おじいちゃんは慣れた手付きでハンドルをまわす。美しく導線が芯に巻き付いていく。

「こんなのは慣れだからさ、トライアンドエラーだよ」


 杏は伊達教授に励まされ、再びハンドルを回した。


 ぐちゃぐちゃである。


「トライアンドエラーだよ」

 伊達教授はなおも明るく言って、芯を取り替えてくれた。研究室には、他の学生たちがコイルを作る、静かな音だけがなっている。のぞみも無表情で立っている。

 伊達教授がセットしてくれた電磁石の芯を前に、杏は自身に語りかけた。

「三度目の正直、三度目の正直」

 声に出ていたかもしれない。とにかく心を落ち着け、ハンドルを回し始めた。


 プツッという音とともに、導線が切れた。


 涙が出た。

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