第2話 聖女様は深夜にログインする

 榊原研ゼミ室のテーブル上に、修二は一回の実験につき三枚ずつ合計二十一枚のグラフを並べた。さらに修二は一枚の表を渡してきた。実験機材をコントロールするPCへのログイン記録が実験期間中についてリストアップされていた。ユーザー名、ログイン時刻、ログアウト時刻などが詳細に記載されている。


 ログイン記録を見て、杏は血の気が引いた。ご丁寧にも杏のアカウントの記録は、黄色いマーカーと赤いマーカーが引かれている。先程の3枚のグラフの日の分は赤、それ以外の日は黄色にしてあった。赤いライン上で、杏は午前3時11分にログインし、午後3時14分にログアウトしている。


 共同利用施設の実験は、マシンタイムの取り合いである。実験期間中は、24時間ノンストップで実験が行われる。そうは言ってもえらい先生方は夜間は宿舎で寝る。深夜帯の実験は若手研究者や大学院生に任されるし、それでも眠いので、基本的には機械任せの自動スキャンだ。そんな時間帯であればログインしてもばれないだろうと、杏はわざわざ午前3時にアラームをセットして、眠い目をこすりながら最新のデータ、それどころか測定されつつあるデータを見ていたのだ。

 実のところ、杏は実験中のデータを見たところで大したことがわかるとは思っていなかった。今回の実験では、高温超伝導体を液体ヘリウム温度(マイナス269度くらい)まで冷やし、中性子線を当てる。高温超伝導体は、物質全体が超伝導になるというわけではなく、超伝導を担う面が積み重なってできていると考えられている。修二としては杏の説の正当性を立証するため、超伝導を担う面と面の間での相互作用(力のやり取り)を明らかにしたかったのだ。ただ、この場合、試料から散乱されてくる中性子の数は少ないので、データの収集には時間がかかるのだ。だから実験の途中でデータを見ても、きれいなグラフになっていないことも多い。杏は実験中にデータを見て、荒れたグラフになってしまっていたが、そんなものだろうと大して気にしていなかったのだ。


 当然翌朝、実験終了後のデータを見るわけだが、結果は連日芳しくなかった。なんとも悔しいので、杏はここのところずっと、ノイズ除去できないかと、データ処理を工夫し続けていた。


 しかし、ノイズ除去の方法が間違っていたのである。修二の示す3枚のグラフは、それを雄弁に物語る。杏のログイン中だけデータが荒れるのだ。杏がログインしていない時間だけのデータが正しいのだ。


 修二は言う。

「聖女効果ってさ、うわさだと思っていたんだよ。でもこれは、客観的データだよ」

「実験グループでも問題になっていたんだよ。なんでこんなに測定があれるのかってね」

「聖女様関連の実験以外は、すべてうまく行ってたんだ」

 修二はまくしたてる。さらにプリント十八枚のグラフを大テーブル上に並べた。合計二十一枚。今回の実験では七晩にわたり実験をしたので、荒れ荒れグラフ・きれいなグラフ・ノイズグラフ七セットである。要は杏は毎晩見ていたのだ。

「僕もね、いくらなんでも酷いと思って、色々調べたんだよ」

「初日はさ、無人で実験して、翌朝見たら酷いデータで、実験は失敗だと思ったね」

「だから2日めは徹夜だよ。マシンに張り付いて、リアルタイムでモニターしていたんだ」

「最初はよかった。でも途中からデータが荒れだすんだよ」

「温度も含め、実験環境は何も異常がないんだ」

「でさ、三日目に気付いたんだよね。ログインしているユーザー数が2なんだよ。深夜3時台だよ」

「四日目はさ、ユーザー数もモニターしたよ」

「今度の学会でさ、発表しようよ」


 この一言で杏は我に返った。修二は杏を責めていない。実験は成功だと言っている。ならばと杏は、

「これでしょ」

と、きれいになグラフを指差す。ところが修二は満面の笑みで、

「いやいや、聖女効果。僕たちのグループの成果として」

「なんですって」

「実験データから当該時間帯のデータを切り離すの大変だったんだよ。システム開発の連中と相談してさ」

 顔から火が出た。

「システム開発にも、聖女効果が知られているの?」

「いや、実験上の失敗だと言い張った。聖女様に無断でやったら、激怒するだろう?」

「そりゃそうよ、私はサンプルになる承諾はしていない」

「でもさ、世紀の大発見だよ」

「とにかくヤダ」

「大学入学以来の謎が実証されたのに」


 実証されても嬉しくともなんとも無い。第一、実証なんて頼んでない。


「だけど、PC上のデータって、実験中の信号をすべてあわせたものじゃないの」

「実はSHELのサーバー上に、バックアップを細かく取っているんだよ。普通はアクセス権がないんだけど、お願いしまくった」

「発表するんなら、あんたやんなさいよ」

「僕、今回の学会エントリーしてないよ」

「だから私達のグループで。被験者は私だし」

「登壇者は神崎さんだよ」

「第一、発表したとして、誰が信じるの」

「少なくとも、扶桑女子大関係者は信じるだろうね」

 それを言われると痛い。

「榊原先生はなんて言っているの」

「榊原先生はまだ知らない」

「新発田先生は」

 新発田教授は今回利用したSHELの実験機材運営グループリーダーである。修二も、その運営グループの一員だったりする。そのため、無理矢理に今回の実験を潜り込ませることができたのだ。

「新発田先生にもこれから」

「池田先生に言う勇気は、私にはないわよ」

 修二は榊原研、杏は池田研であるから報告は杏がするのが筋だろう。

「池田先生こわいもんなぁ」

 急に修二が小声になった。


「と・に・か・く、学会はこれで行くわよ」


 杏はきれいなグラフ7枚だけをひっつかみ、そう言い捨てて榊原研をあとにした。


 落ち着いてから思い出すと、杏は実験にタッチしない約束を破っていた。しかし修二はそれを責めることなく、なぜか嬉しそうにしていた。やっぱり腹が立つ。

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