第5話 二度目の高校生活の始まり

 35.


 4月8日、火曜日。 今日からいよいよ、俺の二度目の高校生活が始まる。

 ここ1か月でもはや習慣となりつつあるランニングと朝食作りを済ませ、自室で真新しい制服に袖を通した。

 姿見の鏡でおかしな所がないかをチェックして、リビングへ向かう。

 先に食事をしていた母さんとあかりが俺の制服姿を見て、一瞬身動きを止めた。

「え、なに、なんか変だった?」

 ぐるりと背中に首を回しながら問いかけると、それを見た母さんがおかしそうに笑う。

「そりゃおかしいわよぉ、うーん、あの祐介がねぇ……」

「えぇ? どういうこと?」

 テーブルに視線を戻せば、なぜかあかりがこちらを見てグッと親指を立てていた。

「いやいや、なんだそれ」

「おにいは、あたしが育てた!」

「いや育てられてねぇよ?」

 ツッコミを入れてみるものの、気にせずあかりは食事に戻ってしまう。 なんなんだいったい。

 気にはなるが、あまり登校まで時間も残っていない。

 俺はテーブルにつき、手を合わせてから箸を手に取った。


 洗面所で身支度を整え、鞄を持って家を出る。

 入学式は9時開始のため、俺たち新入生は遅くとも8時半までに登校するのが一般的だ。

「いってきまーす!」

 ぶんぶんと手を振りながら、あかりが中学校へと駆けて行く。

 いつもより時間的にはまだ早いはずだけど、早めに行って昨夜片づけた宿題を提出するらしい。

「車に気を付けろよー!」

 その背中に声を掛けると、立ち止まって振り返ったあかりがべーっと舌を出した。

「子供じゃないんだからわーかってるっての!」

 まぁ、それはそうなんだけど、実際過去に一度お前、交通事故で死んでるからなぁ。

 手を振りながらあかりを見送っていると、家の中から母さんが出て来た。

「祐介、準備いいの? もう出るわよ?」

 その手に握られた車のキーが、チャリ、と音を鳴らす。

 俺が通うことになっている(実際過去にも通った)高校は家から電車で5駅行った所にあるのだが、今日は入学式のために有休を取ってくれた母さんに、車で送ってもらうことになっているのだ。

「うん、いつでも大丈夫だよ」

 俺がそう返事を返すと母さんの顔が玄関の中に引っ込んで、少ししてスーツ姿の母さんが現れた。

「じゃあ、車出してくるから待っててね」

「うん、俺が……いや、なんでもない」

 危ない。 俺が運転しようか? とか言いそうになったぞ。

 今の自分が高校一年生であるという事実に、早いところ順応しないとまずそうだ。


 36.


 立ち並ぶ桜並木を、春の風が吹き抜けていく。

 ぐちゃぐちゃになってしまった前髪を撫でつけていると、後ろから声を掛けられた。

「祐介!」

 ここ1か月ですっかり聞き慣れたその声に、振り返る。

 クリーム色のブレザー制服に、茶色いチェックのスカート。 幼馴染のいつもとは違う姿に、俺は思わず息を吞んだ。

「ちょ、祐介? なにぼーっとしてるの?」

「え? あ」

 一瞬言葉が出てこなくて、自分でも驚いた。

 目の前の悠陽と目を合わせることができずに、桜並木を眺めながら口を開く。

「いや、桜がすごいなと思ってさ」

「あー、それ私も思った! ホントすっごいよね!」

 落ち着け、落ち着け。

 今日は入学式、そしてここは校門前。 新入生の顔見知り同士がここで顔を合わせるなんて、いたって普通のことだ。

「ふぅん……いいじゃんいいじゃん」

「え?」

 視線を感じて横を見れば、悠陽が俺を頭からつま先までじろじろと眺めていた。

「な、なんだよ」

 心臓の鼓動が高鳴り、頬が熱を持つ。

 どこかくすぐったいような、そわそわする心を落ち着けて、悠陽の言葉を待った。

「いいよ、祐介、イケてるよ!」

 グッと親指を立てながら、悠陽が笑う。

 とても直視することができなくて、俺は赤い顔を隠すように俯いた。

「なんだよそれ」

「えー? 褒めてるんじゃん。 それならきっとモテるよー?」

 そう言われても、今さら見知らぬ高校生と恋愛するような気にはなれない。

 俺が二度目の人生に課した目標に、自身の恋愛までは含まれていないのだ。

「そういう悠陽はどうなんだよ?」

「え、私?」

 自分の顔を指差して、悠陽が目を丸くする。

 藤井からも告白されていたくらいだし、15年前にもちらほらとそんな話は聞こえてきた。

 なのにこのキョトン顔。 自分がモテることに自覚がないあたり、本当に悠陽だな、と思う。

「私はモテないでしょー? なんていうか、恋人より友達にしたいタイプなんじゃない?」

「いや、そんなことないぞ」

 実際にモテる未来を知っているだけに、確信を持って断言した。

 しかし、どうやらタイミングを間違えたらしい。

「へっ!? そ、そそ、そそそそっか……」

 桜よりもなお顔を赤く染めて、悠陽が俺から目を逸らす。

 ……言ってから気づいたけど、今の流れだと俺が悠陽を友達じゃなくて恋人にしたいって言ったみたいじゃないか?

「……」

「……」

 桜並木の中、通り過ぎる新入生たちに怪訝な顔で見られながら、俺と悠陽は目を逸らして無言で向かい合う。

 否定した方がいいのか、しかし否定するのもなんだか違うような。

 思考のループを繰り返し、何度も何度も煩悶する。

 結局、8時15分の放送が流れ始め、俺たち2人は慌ててクラス分けの掲示を見に向かうのだった。


 37.


 過去の記憶通り、俺と悠陽は共に1年B組に配属された。

 こうして校内を歩くと、だんだん15年前の記憶がよみがえってくる。

 あかりを亡くし、悠陽とも疎遠になり、本当に陰鬱な3年間だった。

 今世ではせめて、1人くらいは友人と呼べる存在が欲しい。

 春休みに引き続き、学校でもどんどん新しいことに挑戦していくとしよう。

「祐介、教室ここだよー?」

「おっと」

 考え事をしながら歩いていたら、1-Bを通り過ぎてしまったらしい。

 悠陽の後に続いて教室へ入って、黒板に張り出されている席順表の通りの席へ向かう。

「じゃ、祐介、またあとでね!」

「あぁ」

 席順表によると、俺の席は教室中央の後方のようだ。

 職場の同期が昼休みに話していたのを盗み聞いたところによると、友達作りに最も重要なのはファーストコンタクト、つまり初対面の印象らしい。

 なんでもない、普通のことのように話しかければ、勝手に友達なんかできるだろ、とはその同期の談。 なお、俺には30年生きて1人もいなかった。 死にたい。 あ、死んだんだったわ。

 とりあえず鞄を机に置き、時計に目を向ける。 現在時刻は8時25分。 あと5分もすれば担任の教師がやってくるだろう。 タイムリミットは5分間だ。

 ぐるりと視線を巡らせて、俺が仲良くなれそうなグループを探す。

 教室後方の窓際に、いかにも陰キャっぽい集団を発見した。

 ひょろっとして細長いか、でっぷりと太っているかの二択で、全員が漏れなくメガネをかけている。 よし、あれだ。

 椅子を引き、席を立って彼らへと近づいて行く。

「ねぇ、ちょっとい……」

 ちょっといいかな、の「い」までしか口にしていなかったのに、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 なんで? 俺なんかした?

 考えるまでもなく、なにもしていない。

 そもそもなにかする前に逃げられてしまったのだから。

 少し落ち込みながらも、次のターゲットを探す。

 今度は教室前方窓際あたりに、似たような集団を発見した。

 気を取り直し、笑顔を意識しながら声を掛けてみる。

「はじめまして。 俺もまぜ……」

 混ぜてもらえないかな? と言わせてすらもらえず、またしても彼らは逃げて行った。

 と同時に校内にチャイムの音が鳴り響き、教室に担任の教師が入って来る。

 タイムアップだ。 涙出そうなんだけど。


 38.


「今年一年、お前らの担任をすることになった、杉内 聡(すぎうち さとし)だ。 よろしくせんでいいから、問題は起こすなよー」

 パンパン、と手を叩いて注目を集めながら、男性教師が声を出した。

 ぼさぼさの黒髪は肩あたりまでと長く、重たそうな前髪の隙間から眠そうな目がこちらを見ている。 薄いブルーのシャツに黄色いネクタイを着け、上からブカブカの白衣を羽織っていた。 科学か物理の担当教師だろうか。

 ざわざわと話していた生徒たちが少しずつ静かになっていき、杉内教諭は疲れたようにため息を吐く。

 まだ初日だというのに、ずいぶんな態度ではなかろうか。 なんだかブラック企業で社畜をやっていた自分を重ねてしまいそうなお疲れ具合だ。

「この後は講堂で入学式、そんで教室に戻ってお待ちかねの自己紹介タイムだ。 んじゃ、時間もないしとっとと廊下に並べー」

 雑に言い放ちながらさっさと教室を出て行く彼に、出入口付近から順について行く。

 一瞬目が合った悠陽が俺に向かって小さく笑い、その時だけ周囲から少し注目を集めた。


 入学式はほんの1~2時間程度でつつがなく終わりを告げ、俺たち新入生は元の教室へと戻って来た。

 なんで偉い人の話ってあんなに長いんだろうな。 俺の元上司も説教の度に昔の話を混ぜ込んできてたから、いちいち長かった記憶がある。

「それじゃ、出席番号順に自己紹介してけー。 長いのは校長の話だけで十分だからな、1人頭1分だぞー」

 いち教師としてなかなかの問題発言をカマしている杉内教諭だが、まぁ生徒にはウケているのでいいのだろうか。

「準備いいか? いいな? よし、じゃあ出席番号1番、張り切ってどうぞー」

「ちょ、マジかよ!? やっべ!」

 ガタガタと椅子を鳴らしながら、男子生徒が慌てて立ち上がる。

「出席番号1番、相田 健斗(あいだ けんと)っす! えーと、えーと、やべぇなんも考えてねぇよ!」

「あと30秒~」

「ちょ、ちょお!? か、彼女募集中っす!」

「はいつぎー」

 燃え尽きた顔で席に着く相田くんを、クラス全員、特に男子は憐みの目で眺めていた。


 39.


「片平 悠陽です。 今年一年、みんなと仲良くなって、たくさん友達を作りたいです。 よろしくお願いします!」

 いたってシンプルな自己紹介が終わり、悠陽が席に着く。

 静まり返った教室内に、男子生徒のため息がいくつも響いた。

「次、どうしたー?」

「へっ、あ、はい!」

 悠陽の後ろの席の男子生徒が、泡を食って立ち上がる。

 ……まぁ、男子諸君の気持ちは痛いほど理解できるよ。

 俺が初めて悠陽を見た時も、あんな感じだったんだろうなぁ。

「はい、次ー」

 などと考える間に、どんどんと自己紹介は進んでいく。

 さて、俺はどんなノリでいくべきだろうか。

 入学式前に友達を作ることに失敗した以上、自己紹介を外すわけにはいかない。

 あまり奇をてらうのは明らかに悪手だろうし、かと言って無難すぎても印象に残れない。

 重要なのはバランスだ。 全員の意表を突きつつ、しかしおかしなやつだとは思われないようにしなければ。

「つぎー」

 目の前で立っていた生徒が席に着いた。 あっという間に俺の順番が来たらしい。

 ガタッと椅子を鳴らしながら立ち上がり、視線を上げる。 漏れなく全ての生徒が俺に注目していた。 自然と背筋が伸びる。

 ふと、悠陽と目が合った。 ゆっくりとその口元が同じ形に何度か動く。 なにか言ってる? 『が・ん・ば・れ』?

 俺の瞳に理解の色が浮かんだことに気づいたらしい。 柔らかく笑う悠陽に、俺の頭の中は真っ白になった。

「あと50秒ー」

 やばい、既にカウントが始まっている。 なにも思いつくことのできないまま、俺は行き当たりばったりに口を開いた。

「東堂 祐介です! 粉骨砕身クラスのために邁進してまいりますので、皆さんどうぞよろしくお願いいたします!」

 大きな声で言いきって、きっちり斜め45度に頭を下げる。

 やらかした。 どう考えても高校生の自己紹介ではない。 どちらかというと今の挨拶は新入社員だろう。 しかもだいぶやる気がある方の。

 恐る恐る頭を上げると、さっきまでサクサク自己紹介を進めていた杉内教諭ですらあっけに取られていた。

 ちらりと悠陽に視線を向ける。 机に顔を俯けてぷるぷる震えていた。 全力で吹き出すのを我慢しているらしい。

 そっと席に着き、椅子の位置を調整する。

「……はい、次ー」

 杉内教諭の声を聞きながら軽く左右を見てみると、さっと目を逸らされた。

 終わった。 俺の高校生活、終わった。


 40.


 俺が呆然としているうちに、全員の自己紹介が終わっていた。

 本来なら担任教師への質問などがされるのだろうけど、杉内教諭はそんなものを受け付けるつもりがないらしい。

「んじゃ、あとは保護者が来るまで適当にしゃべってていいぞー」

 それだけ言って、パイプ椅子に腰掛け本を読み始めてしまった。 アリなの? それ。

 しばらくざわざわと教室内が喧騒に包まれて、自己紹介に失敗した俺は一人孤独に打ちひしがれる。

 何分間この時間が続くのかと時計に視線を送っていると、後ろの席から声を掛けられた。

「ねぇねぇ」

「……え、俺?」

 一瞬自分が呼ばれていることに気づけず、反応が遅れてしまう。

 振り返った先にいたのは、猫のようないたずらっぽい目をした女子生徒。

 外側にハネたミディアムヘアーは、オレンジに近い茶色に染まっている。

 余らせた袖の先から少しだけ出した指で、俺の肩をちょんちょんとつついていた。

 こういうのを『あざとかわいい』とか言うのだろうか?

「東堂くん? 祐介くん? どっちがいい?」

「え? いや、どっちでもいいけど……」

「じゃあ、祐介くんね。 うち、遠坂 瑞希(とおさか みずき)だよ。 よろしく~」

「よ、よろしく」

 やや気圧されながらも、どうにか挨拶を返す。 これがJKのオーラというやつか。

「さっきの挨拶、マジウケたんですけど! 祐介くんって、天然系?」

「えぇ? どうだろ、初めて言われたけど」

「ね、ね。 どこ中出身なの? このへんじゃないよね?」

「あぁ、うん」

 しばらく遠坂さんと2人、出身中学や地元の話で盛り上がっていると、副担任と思われるスーツ姿の女性に連れられて、教室内に保護者たちが入ってきた。

「あ、お母さんたち来ちゃった。 祐介くん、これから仲良くしてね?」

「うん、こちらこそ」

 教室に入って来た母さんが俺を見つけて、嬉しそうに笑う。

 俺は遠坂さんとの会話を斬り上げて、黒板に向き直った。


 41.


 見違えるようにハキハキと喋る杉内教諭に戸惑っているうちに、LHRも終わりを告げた。

 母さんと2人で教室を出て、教科書や運動着などの物品購入を済ませ、定期券の申請書類を受け取って校門へ向かう。

 にこにこと満面の笑みを浮かべる母さんの手には、今日のために用意したらしい立派な一眼レフカメラが握られていた。

「母さん、大丈夫? それちゃんと使えるの?」

「えぇ? カメラでしょ? いくらお母さんだってシャッターくらい切れるわよ」

 あ、これダメなやつだ。

「ちょっと貸して?」

「えぇ? なによぅ?」

 不満そうにしながらも、母さんはカメラをこちらに渡してくれる。

 レンズを下に向けてカメラの設定画面を呼び出し、まず『ISO感度』の数値を低くしておいた。 これは暗い所で明るく撮るための数値みたいな物なので、現状では全く必要ない。

 次に何度かファインダーを覗き込みながら、『絞り値』を調節していく。

 これは写真を撮る時のピントを合わせたり、取り込む光の量を調節する数値だ。

 最後にシャッタースピードのダイヤルを調節し、なるだけ手ブレ写真にならないようにしておく。 まぁ、125分の1くらいで大丈夫だろうか。

「はい、たぶんこれでいいと思うよ。 撮る時はここ押してね」

「……なんだか、息子に子ども扱いされてる気がするわ」

「気のせい気のせい」

 実際、一眼レフカメラというのは初心者が扱うには少々難易度が高い。

 俺も部署の飲み会やレクリエーションの度に上司から言われて集合写真を撮らされた経験がなければ、使う機会すらなかっただろう。

「まぁいいわ。 じゃ、いくわよー! はい、ピース!」

「ぴーす」

(カシャッ)

 小気味の良いシャッター音が鳴り、俺の姿が写真に収められる。

 15年前には俺も母さんも、とても入学式で写真を撮るような浮かれた気持ちにはなれなかった。

 それを思い出すと、カメラを構えながら大きく片手を振る母さんの姿が、本当に奇跡だと改めて思える。 でも、そんなことしたらすっごい手ブレするからやめようね?

「ちょっと祐介! もっと笑ってよー!」

 はしゃぐ母さんの姿に、意識せずとも俺の顔は自然と笑顔になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る