第3話 師匠との出会い、社畜の下剋上

 20.


 朝、目を覚ました俺は、ぼんやりした頭で開口一番、呟いた。

「……まだ覚めない」

 上半身を起こすと、上腕と腹筋がギシリと痛む。 昨夜もしっかりとこなした筋トレの成果だ。

 時計を確認すれば、今日もきっかり午前5時半。

 油不足のロボットのような動きになりながらも、俺はベッドを抜け出した。


「えっ!? これおにいが作ったの!?」

 朝食の席で、オムレツをスプーンですくいながらあかりが叫ぶ。

「そうよ~。 昨日の朝もよ? どうしちゃったのかしらねぇ」

 どうしちゃったのかと言われれば、人生やり直しちゃってるわけだけど、そんなことを言っても頭の心配をされるだけだろう。

「高校デビューだよ、高校デビュー」

 少しだけ申し訳なく思いながらも、体のいい言い訳として使わせていただいた。

「ほへー……」

 言い出した本人であるはずのあかりが、口を半開きにして俺の顔を眺めている。

 なんだか照れくさくて、俺はテレビの右上に表示されている時間を指さした。

「ほら、早く食べないと遅刻するぞ」

「あ、やばっ! うー、おにいだけ休みでズルいよー!」

 そんなことを言われても、卒業生なんだから仕方がない。

「あかりだって再来週にはお休みじゃないの。 ほら、急いだ急いだ!」

 にこにこと微笑みながら、母さんもあかりを急かす。

 俺が15年前に失ったはずの家族の団らんは、とても慌ただしく過ぎていった。


「いってきまーす!」

「祐介、行ってきます」

「2人ともいってらっしゃい」

 布巾で手を拭いながら、玄関まで2人を見送りに出る。

 今日は母さんも業務前に朝礼があるとかで、いつもより少し早めに家を出た。

 台所に戻って残った食器洗いを片付けると、またしても手が止まる。 やっぱりやることがないのだ。

 ふと、昨日出会った幼女の寂し気な顔が脳裏に浮かぶ。

「あの子、今日も一人で遊んでんのかな……?」

 時計に目を向けると、時刻はまだ午前8時ごろ。

 しばらくテレビを眺めてみても、どうしてもそわそわと落ち着かずに、何度も何度も時計とテレビを視線が往復してしまう。

 短針はまんじりとして動かず、長針どころか秒針の動きすら待っていられない。

 そろそろ9時かと思って時計を見ると、まだ8時15分だった。

 どういうこと? 俺、いつの間にか次元の狭間にでも迷い込んだの?

 ……実際人生やり直しとかいうファンタジーを体験しているわけだから、冗談になってないな。

「よし、行こう」

 テレビを消して、洗面所で軽く身支度を整える。

 このまま家にいてもどうせ気になってしまいそうなので、俺は昨日の公園へ行ってみることにした。


 21.


 昨日歩いた道順を思い出しながら、駅舎を抜け空手道場の看板を横目に歩き、ヤのつく自由業のお宅の前を通る。

 すぐに見えてきた公園を覗き込んでみても、中に昨日の幼女の姿は見つけられなかった。

「あれ?」

 もう一度、端から視線を走らせる。 ベンチ、滑り台、シーソー、ジャングルジム、ブランコ、そして砂場。 やはりどこにも幼女の姿はなかった。

「うーん……」

 まぁ考えてみれば、毎日来ていると決まっていたわけでもないし、当然ながら約束などもしていない。 仕方ないな、今日の所は帰ろうか。

 踵を返して来た道を戻る。

 ヤのつくお宅の前を通って、駅舎へ向かう道中、道端で急に声を掛けられた。

「こんにちはっ!」

 やけに勢いよく話しかけてきたのは、白い道着姿の男性だった。

 髪はスポーツ刈りに整えられており、足元はサンダルを履いている。

 大胸筋の盛り上がった胸元に紙の束を抱えていて、その一枚をこちらに差し出していた。

「え? あ、こんにちは」

 とりあえずビジネスマナーとして、しっかりと腰を折り曲げて挨拶を返しておく。

 差し出された紙に目を落とすと、どこかで見たような文字列が並んでいた。

『新規オープン、実践空手道場! 初心者大歓迎!』

 ちらりと上を見上げれば、そこには例の空手道場の窓が見える。

 なるほど、これから駅前に行って勧誘を行うつもりなのだろう。

「どうぞ、よかったら!」

 キラリと白い歯を輝かせて、道着姿の男性がチラシをさらに前に出す。

「これはどうも、ご丁寧に」

 しまった、つい癖で受け取ってしまった。

 チラシとかティッシュとか配られてると、どうしても受け取っちゃうんだよなぁ。

「もしかして今、お時間ありますか!?」

 思った以上に男性がぐいぐい来る。

 よっぽど俺がヒマそうに見えたんだろうか。 いやヒマなんだけどさ。

「まぁ、はい。 そうですね」

「ぜひ、ご見学だけでもされて行かれませんか!?」

 見学。 見学か。

 流れから言って当然、空手道場の練習の見学だろう。

 正直に言えば、興味がなくもない。

 俺のこれまでの人生で、格闘技などというものには関わったことも、それどころか興味を持ったことすらなかったからだ。

 昨日も考えた通り、せっかくやり直すのなら新しいことにもチャレンジしたいと思う。

 残念ながら幼女に会うことはできなかったため、時間は有り余っているのだ。

 俺は道着の男性の目を見返して、口を開いた。

「では、よろしくお願いします」


 22.


「せいっ! はぁ! 押忍! せいっ! はぁ! 押忍!」

 階段で上がったビルの3階、開かれたドアの先では威勢のいい掛け声が響いていた。

 床は半分ほどに青いマットレスが敷かれていて、もう半分は緑色のリノリウムになっている。

 マットレスの上には1人の老人と、それに向かい合うようにして拳を突き出す何人かの男女。

 平日の朝ということもあってか、人数は数えるほどしかいなかった。

「どうぞ、こちらにお掛けください!」

 俺を連れて来てくれた男性が、部屋の隅に置かれたパイプ椅子へと誘導してくる。

 素直に椅子に腰かけると、彼は集団と対面して拳を振っていた老人の方へと走って行った。

 一言二言、小さく言葉が交わされて、老人が大きな声を張り上げる。

「止めぇ! てめぇら、ちぃと休んどけ!」

 思ったよりも老人のガラが悪い。 大丈夫かな俺。

 見ていると、老人の方も俺のことをじいっと眺め始めた。

 目が合ったのに座っているのも気が引けて、立ち上がって斜め45度に頭を下げる。

「……ふむ、礼儀はできてるみてぇだな」

 座り込んだ人々の荒い息だけが聞こえる室内で、老人の声はやけに響いた。

 こちらへ歩み寄る気配を感じて、俺も頭を上げる。

 近くで見た老人は、老人とは思えないほどの覇気を纏っていた。

 上背は180近くあるだろうか。 俺よりも10センチ近く大きい。

 真っ白な長い髪を後頭部でまとめ、前髪はオールバックで固めている。

「江崎だ。 江崎 舟秋(えざき せんしゅう)。 てめぇは?」

「東堂 祐介です」

「祐介か、いい名前じゃねぇか。 覚悟はできてんだろうな?」

 はて、一体なんの覚悟だろうか?

 練習を見学するのに覚悟が必要なの?

「おい、どうなんだ。 覚悟、できてるよなぁ!?」

「はいっ!」

 勢いに押されて、思わず全力で返事をしてしまった。

 上司からこうやって仕事を押し付けられることに慣れすぎてしまった弊害だ。

「よーうし、いい返事だ。 いいか、今後俺のことぁ師匠って呼べよ」

「……わかりました」

「わかりましたじゃねぇ! 返事ははいだ馬鹿野郎が!」

「はいっ!」

 すさまじい大声に、自然と背筋が伸びる。

 もはや抵抗は無意味なものと悟った。

「そんじゃ、とっとと着替えてこいや。 そっちが更衣室だからよ。 道着は適当なの使っていいぜ。 オラ行け!」

「はいっ!」

 言われるままに更衣室の方へと駆けだす。

 入る直前、俺をここまで連れて来た彼の方へと視線を送ると、ものすごくいい笑顔でサムズアップしていた。 ふざけんな。


 23.


「せいっ! はぁ! 押忍! せいっ! はぁ! 押忍!」

 右拳を突き出し、引き戻し、左拳を突き出し、引き戻す。

 ただひたすらそれを繰り返すだけだが、大声を張り上げながらとなるとこれが非常に体力を消耗する。

 師匠から「最初は見様見真似でやってみな」と言われ、靴を脱いでマットレスの端に位置取り、周りの方々に合わせて正拳突きを放っているわけだが・・・しんどい。 とにかくしんどい!

 まずこんなに大声を出し続けることなど普通に生きていてあるはずもないので、肺が酸素を求めて痙攣し始める。

 さらに交互に突き出す拳もこう何度も何度も繰り返せば上腕が震え始めてきた。

 そしてずっと肩幅に開きっぱなしの脚もしんどい。 俺は果たしてここを無事に出ることができるのだろうか?

 全身の毛穴から汗が吹き出し、髪はシャワーでも浴びたかのように濡れている。

 足元に広がる水たまりが、どのくらいの間この苦行が続いているかを物語っていた。

「いったん止めぇ!」

 ようやく師匠の口からその言葉が聞こえて、俺はマットレスの上につっぷして全力で呼吸をする。

「ぜひゅー……かひゅー……かはっ、げほげほっ!」

 死ぬ、このままだと見学で殺されてしまう。

 ここ数日体を鍛え始めたとはいえ、まだ3日目だ。 そこまでの効果が期待できるはずもない。

「ちょっとちょっと、大丈夫?」

 隣で拳を突き出していた女性が、心配して声をかけてくれた。

 俺は努めて笑顔を作りながら緩慢に顔を上げ、口を開く。

「だ、だい、大丈夫……はぁ、はぁ……です」

「うーん、あんまり大丈夫じゃなさそうねぇ」

 困ったように眉尻を下げる彼女の体型は、お世辞にも筋肉質とは言えない。

 むしろ全体的に丸みを帯びていて、なぜこれであの運動量に耐えられるのかと疑問を感じるレベルだ。

「す、すみません」

 息が整わないのはいかんともしがたいが、せめて体裁だけは整えよう。

 突っ伏していた身を起こし、俺は正面から女性の顔を見た。

「ちょっと師匠、初日っから無茶させすぎなんじゃないですかー?」

 柔らかそうな濃いめの茶髪にパーマをかけた、ぽってりとした唇が印象的な40代くらいの女性だ。

 あの師匠に正面から文句を言っていることから、ここに通って長いのかもしれない。

「馬鹿野郎、最初だからだろうが! まずは根性を鍛えるんだよ、根性を!」

「今時根性論とか流行らないですよ。 ほら、とりあえずお水飲んできなさいな」

 女性に背を押されて、水道の方へ歩く。

 ちらりと師匠に目を向けるが、特になにかを言われることはなかった。

 どうやら水分補給はさすがにさせてくれるらしい。 もしかすると俺の様子を見て中断してくれたんだろうか。 だとすると少々申し訳ない。

「オラ、とっととしろ! 飲んだら再開すっからよぉ!」

「はいっ!」

 既に足腰にガタがき始めてるんだけど、これ本当に大丈夫かな? 俺。


 24.


『ありがとうございましたッ!』

「ありがとうございましたぁぁぁ!」

 腹の底から声を出し、そのまま後ろ向きに倒れ込む。

「あらあら」

 最後まで隣で俺のことを気にしてくれていた女性(大森 郁代さんというらしい)が、こちらを見下ろしながら楽し気に笑った。

 それを気にする余裕すらなく、俺は全力で酸素を取り込み続ける。

「っはぁー……ひぃ、っはぁー……っひい」

 我ながらなんとも情けない音が口から洩れているが、恥ずかしいとも思わない。

 むしろ、最後までやり切った達成感のような物が胸に去来していた。

「おう、祐介。 どうだったい、体験は?」

 体験? あれ、俺は最初、見学って聞いて来たはずなんだけど。

 まぁ、今さら言ったところで意味はない。 今となっては気持ちがいいくらいだ。

 師匠相手に寝転がっているわけにもいかないだろうと、とりあえず身を起こす。

「えぇ、まぁ……貴重な経験でした」

 なるだけマイルドな表現を選んだつもりだけど、あまり意味はなかったかもしれない。

 師匠はとても楽しそうに大笑して、俺の肩をバシバシと叩いた。

「がっはっはっは! そりゃ、最初はしんどいよなぁ。 でもよ、続けてみりゃお前、別人になれるぜ?」

 ぐらぐらと揺れる視界の中で、師匠の言葉が耳に響く。 別人に、か。

「また来ます」

 気づけば、俺の口からはそんな言葉が零れ落ちていた。

「おう、次来る時はちゃんと月謝持ってこいよ? チラシに書いてあっからよ」


 軋む体に鞭打って、ゆっくりと階段を降りる。

 参加していたのは午前の部だったため、取り出した携帯電話に表示された時刻はまだ14時前だった。

 師匠はこれから午後にも同じ運動を繰り返すのかと思うと、とても信じられない。

「まだ帰るにはちょっと早いなぁ」

 体は疲れ果てているけど、帰ったところで昼寝か掃除くらいしかすることがないのだ。

 勉強の効率を良くするために、参考書でも買いに行こうか。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、俺の足は自然と駅前へ向かっていた。


 25.


「ありがとうございましたー」

 店員の言葉を背に受けながら、駅前の本屋を出る。

 レジカウンターに陳列された電子辞書に、少しノスタルジックな気分になってしまった。

 15年後にはスマホでなんでも調べられるからか、あんまり店頭で見かけなくなったもんなぁ。

「あれ、祐介?」

 ひどく聞き覚えのある声に目を向けると、そこにいたのはまさかの悠陽。

 薄い水色のシャツに、春らしいピンクのカーディガンを羽織っている。 下は白いロングスカートだ。

 肩には小さなハンドバッグを掛けていて、これからどこかに出かけるのかもしれない。

 なんだかんだ、これで3日連続顔を合わせたことになるな。

「悠陽? こんな所でどうしたんだ?」

「祐介こそ。 てっきり家でゲームでもしてると思ってた」

 さすが幼馴染、よくわかってる。 以前の俺なら、間違いなくその通りの行動をしていただろう。

「最近は結構出歩くんだ。 悠陽は?」

「私は……」

 口元をもごもごさせて、どこか言いよどむ悠陽の様子に、ピンとくるものがあった。

「まさか、藤井か?」

「えっ」

 こちらを見る綺麗な真ん丸の瞳を、真っすぐに見つめ返す。

 しばらく驚いて停止していた悠陽はやがて再起動すると共に、小さく頷いた。

「……うん。 すごいね、わかっちゃうんだ?」

「まぁ、幼馴染だからな」

 15年間顔を見ていなくても、死に際に思い出す程度には深い仲だったはず。

 それは決して男女の仲などではなかったけれど、ある程度の機微くらいは読み取れるつもりだ。

「ばれてるならもう言っちゃうけど、そうなんだ。 付き合わない代わりに、せめて友達とみんなで遊びに行こうって誘われちゃって。 どうしようかと思ったんだけど、ごめんなさいした手前、ちょっと断りにくくって……」

 まぁ、悠陽の性格上、そうなるよな。

 藤井ももしかするとそれを読んだ上で誘ったのかもしれない。

「なぁ、ゆう」

「片平さーん! お待たせ!」

 さらに声を掛けようと俺が口を開きかけたその時、駅の方から大きく手を振りながら、イケメンが現れた。


 26.


「あ、藤井くん」

「ごめんごめん! もっと早く来るつもりだったんだけど、電車が遅れちゃって」

「ううん、大丈夫だよ。 まだ時間前だもん」

 目の前で悠陽と言葉を交わすイケメンが、藤井 晶。

 整った顔立ちにすらりと高い背丈。 サッカーで日焼けした浅黒い肌に、明るい茶髪がよく似合っている。

 服装はシンプルな白いシャツに黒のジャケット、下は細身のパンツだ。

 藤井はちらりと俺に目を向けてから、まるでなにも見なかったかのように視線を外し、悠陽の肩に手を掛けた。

「それじゃ、行こうか! あっちでみんな待ってるからさ」

「えっ、あ、あの、肩……」

 俺を気にしてちらちらと振り返りながらも、悠陽は藤井によって強引に連れられて行く。

 15年前の俺なら、それをただ見送ることしかできなかっただろう。 しかし、今は違う。

「なぁ、藤井」

 はっきりと聞き取れるように、俺は1歩踏み出し、大きな声で呼びかけた。

「……誰?」

 そこでようやく藤井はこちらを向いて、上から下までじろじろと俺のことを観察し始める。

 一応、クラスメイトだった時期もあるはずなんだが、全く認知されていないらしい。

 いや、これも『高校デビュー』の効果だろうか?

「東堂だよ。 久しぶり」

「東堂?」

 名前を告げても、藤井は首をひねるばかり。 本気で覚えていないのか。

「え、東堂!? あの!?」

 と思ったら、悠陽の肩から手を離し、藤井が俺に向き直った。

 見るからに驚いているところを見るに、どうやら『高校デビュー』が効きすぎていただけのようだ。

「うん。 悠陽から、今日みんなで遊びに行くって聞いてさ。 俺も一緒に行こうと思って」

「悠陽? ……あぁ、そういえば幼馴染? なんだっけ」

 瞬間、藤井の目がひどく不快な色に染まる。 相当俺のことを邪魔に感じているらしい。

 まぁ、それはそうだろうな。 俺が藤井でも、邪魔に感じると思うし。

 しかし、それはそれ、これはこれ。

 俺は悠陽の幼馴染として、こいつが彼女にふさわしい存在なのか、しっかりと確かめなければならないのだ。

 よって、藤井の事情など一切勘案せず、強引に話を進めることにした。

「そうそう。 いいよね? 『みんな』で遊びに行くんだもんね?」

「…………ちっ。 あぁ、いいよ」

 今こいつ、舌打ちしたぞ?

 さすがに悠陽の目の前で『誘ってないんだから来るな』などと言い出すことはできなかったらしく、藤井は渋々ながらも了承してみせる。

「ありがとう。 よろしくね」

 にっこりと笑って告げてやれば、若干気圧された様子で藤井は頷いたのだった。


 27.


 悠陽と藤井の間に挟まるようにして、駅舎まで3人で歩く。

 俺がいる限り、そう簡単に悠陽の肩を抱けるなどと思わないでもらおうか。

 ただ一つだけ不安なのは、俺のこの行動を悠陽がどう思っているかということだ。

 ちらりと横に目を向けると、彼女はなぜか満面の笑みで俺のことを見ていた。

「……なに?」

「んーん、なんでも?」

 とは言うものの、口元はめちゃくちゃ緩んでいる。 なにかいい事でもあったのだろうか。

 よくわからないながらも、考える間もなくすぐに駅舎へと到着する。

「藤井! おっせぇよ!」

「こっちこっち!」

 駅舎前の銅像を囲むように設えられたベンチに、4人の男女が座っていた。

 男子2人、女子2人。 どうやら今日は男女6名で遊ぶ予定だったらしい。

「悪い悪い、遅くなった。 こいつが急に自分も行くって言い出してさぁ」

 言いながら、藤井が俺を指さして見せる。 さりげなく俺を悪者にしようとするあたり、やっぱり藤井のやつ、性格ひん曲がってるな。

「誰?」「藤井の知り合い?」

 男子2名がじろじろと俺を眺める中、女子2名は悠陽とあいさつを交わしている。

「片平さん、こんにちは~」

「お休みなのにごめんねぇ」

「ううん。 今日はよろしくね」

 あちらは平和そのものだ。 俺の飛び入り参加に関しても特に不満があるようには見られない。

「東堂だよ。 ほら、3組の」

「東堂? ……東堂!?」

 リアクションが完全に藤井の時と同じだった。 え、俺そんなに別人になってるの?

「え、東堂くんなの!?」

「うっそ、ヤバ!」

 男子2人以上に大きなリアクションを取ったのが、女子2人。

 俺を取り囲んでいた男子連中を押しのけるようにして、じろじろと観察し始めた。

「マジ? めっちゃ変わったねぇ! イケてるじゃーん!」

「いいじゃんいいじゃん! 絶対今の方がいいよ!」

 べた褒めだ。 少し照れくさくなって視線をずらすと、なぜか悠陽が少し頬を膨らませているのが見える。

「え、なに、どうした?」

「べつにっ」

 わざわざそっぽまで向いて、『別に』ってこともなかろうに。

「あれ? あれあれあれ?」

「おやぁ? おやおやぁ?」

 途端に女子2人がにやにやといやらしい顔で笑ったかと思えば、悠陽を取り囲んできゃいきゃい言い始めた。

 取り残された男子4人は軽く顔を見合わせて……なんかめっちゃ睨まれた。

 俺を除いた男子3人が固まってしゃべり始め、俺だけがぽつんと取り残される。

 30年もののぼっちを舐めるなよ? 社会に出てこんな状況になっても、誰も助けてなどくれないのだ。

 俺は自ら状況を打破するため、口を開いた。


 28.


「あのさ、俺もみんなと仲良くなりたいから、自己紹介しない?」

 藤井たち男子3人には怪訝な顔で見返されたが、狙いはそちらではない。

「いいよいいよー! ウチらも東堂くんのこと知りたいし! 片平さんとの仲とか、特にね!」

「うんうん、せっかく一緒に遊ぶんだもんね、仲良くなろー!」

 見るからに陽キャな女子2名は、なんとも軽いノリで乗ってきてくれた。

 こうなると、男子連中もまさか嫌とは言えない。 集団において、『女子の声』というのはなによりもデカいのだ。

「ウチ、清水 絵里香ね! エリカでいいよー」

 真っ先に声を上げてくれたのは、向かって右側の女子。

 黒い髪をボブカットにして、頭の上にヘアバンドを着けている。

 ややオーバーサイズのセーター姿で、下はミニスカートだ。 寒くないんだろうか。

「エリカさん、よろしくね」

「わ、エリカさんだって。 なんか照れる~」

 頬を掻きながら言う彼女に小さく笑いかけて、ゆっくりと視線を外す。

「あたし林 美紀! あたしもミキでいいからね」

 ミキさんは女子にしてはかなり背が高く、髪もかなり短くまとめていた。 もしかするとなにかスポーツでもやっているのかもしれない。

 服装も少しボーイッシュな感じで、ボーダーのTシャツの上にギンガムチェックの長袖シャツ、下はジーンズだ。

「うん、ミキさんもよろしくね」

「……わ、ほんとだ、照れるねこれ」

 エリカさんもミキさんもかなり整った顔立ちをしており、かなり男子からの人気が高いだろうことが伺える。 さすが藤井の交友関係、とでも言うべきか。

 悠陽との関係ありきなのはわかっているが、2人とも非常にフレンドリーなので、存在を覚えていないことに罪悪感すら覚えてしまう。

「もう知ってるかもしれないけど、俺は東堂 祐介。 悠陽とは子供の頃からの幼馴染だよ」

「東堂くんのことは知ってたけど、ずいぶん変わったよねぇ。 なにかきっかけでもあったの?」

 ちらちらと悠陽に視線を送りながら、エリカさんが言った。

 期待されているところ申し訳ないけど、俺の持ちうる答えは一つだけだ。

「高校デビューってやつだよ」

「それ堂々と言っちゃうの? あははっ」

 いかにもおかしいといった様子で、ミキさんが笑う。

 たしかに、こんなに堂々とした高校デビューはなかなか聞いたことがないかもしれない。


 29.


 盛り上がる俺たちに釣られるようにして、男子2名も自己紹介してくれた。

 ブカブカのパーカーに迷彩ズボンを履いているのが鈴木くん。

 黄色い長袖シャツにジーンズを履いているのが佐藤くんらしい。

 正直こちらも俺の記憶には全く残っていないので、15年前には一切関りのなかった相手だろう。

「俺はわかるよな? 藤井 晶だ」

「うん、わかるよ」

 知っていて当然、とでも言いたげなその顔に、いや知らないけどと言ってやりたい衝動に駆られるが、すでに面通しも済んでいる都合上、さすがに自重した。

「あ、私は」

「いや、片平さんのこと知らない人はいないって~」

 口を開こうとした悠陽に、エリカさんがツッコミを入れる。

 まぁ、そうだろうなぁ。

 小学校高学年あたりからずっと、悠陽は容姿、運動、コミュニケーション能力とどれを取ってもカーストトップクラスだったのだから。

「それじゃ、早速だけど出発しようか。 部屋は予約してあるからさ」

 悠陽の顔を見ながら、藤井が言った。

 そういえばなにも聞いてなかったけど、今日はどこへ行く予定なんだろうか?


 ということで、やって来たのは駅前のカラオケ店。

 ちょうど昨日俺が発見したばかりの、駅舎を通り抜けた先にある店舗だ。

 入口で人数の変更を伝え、バインダーに書かれた番号の部屋へ向かう。

 飲み物はフリードリンクになっており、人数分のカップを渡されてドリンクバーから好きな物を好きなだけ取っていい形式らしい。

「なんか狭くねぇ?」

「バッカ、狭い方がムードあるだろが」

「ムードとかいらないでしょ、あはははっ」

「なに期待してんの鈴木ぃ」

「ち、ちっげぇし!」

 鈴木くん、佐藤くん、エリカさん、ミキさんが部屋の中へと入って行った。

「東堂、ほら。 入れよ」

 一歩引いた位置から俺を見て、藤井が室内を指差す。

 なるほどね。 俺を先に入らせて次に自分が座り、悠陽との距離を離しつつ隣をキープしようという魂胆か。

 昔なら素直に引っかかっただろうけど、残念ながら今の俺は15歳の小僧ではない。

「いや、俺ドリンクバーでみんなの飲み物取ってくるよ。 みんななに飲みたい?」

 言いながら部屋の中へと声をかければ、各々から返答とお礼の言葉が返ってくる。

「藤井は?」

「えっ……じゃ、じゃあコーラ」

「わかった。 悠陽、さすがに1人じゃ厳しいから、手伝ってもらえるか?」

「うんっ」

「え、あっ」

 悠陽の後ろ姿に手を伸ばす藤井を置き去りに、俺と悠陽はドリンクバーへと向かった。


 30.


「なぁ、点数勝負しないか?」

 曲と曲の合間、拍手の音が響く室内で、わざわざマイクを使ってまで藤井がそんなことを言い出した。

 悠陽の隣を奪われ、ずっと貧乏ゆすりをしていたかと思えば、カラオケという場を利用して俺をやり込めるつもりらしい。

「いいじゃん、面白そう!」

「マジかよぉ、俺あんま自信ねぇんだけど」

「だからこそじゃん! あははっ」

 場の雰囲気もおおむね賛成のようだ。 特に女子2名が乗り気なのは覆しがたい。

 まぁ、覆す必要もないけどね。

「いいよ、やろう」

 俺がそう言うと、藤井はやや気圧された顔になったが、今さら後に引けなかったらしくリモコンを手に取り、採点機能を起動した。

「んじゃ俺からな!」

 威勢よく言って歌い始めた佐藤くんの点数は、67点。 点数ほどには悪くなかったと思うけど、まぁちょっとアレンジが多かったから仕方ないかもしれない。

「次あたしね!」

 続いてマイクを手に取ったのは、ミキさん。 俺でも聞き覚えのある、15年前有名だった女性シンガーの曲だ。

 点数は84点。 難しい曲だったので、選曲によってはさらに点数は伸びただろう。

「あ、次ウチのやつ!」

 すでに選曲を済ませていたらしいエリカさんが歌い始める。

 若い女性グループの曲で、とにかく明るくポップな曲調がとても彼女に合っていた。

 しかしながら点数は振るわず、79点。 エリカさん自身はあまり点数にこだわりがなかったようで、全く気にした様子はなかったけど。

「悠陽、先に入れていいよ」

「そう? じゃあ入れるね」

 悠陽が選曲したのは、数年前に流行ったラブソングだった。

「ちょっと恥ずかしいな。 最近の曲ってあんまり知らなくって」

 曲のイントロが流れる中、照れくさそうに頬を掻く悠陽。

 自信なさげにしていたわりに、点数は88点だった。 現在の暫定一位だ。

「東堂、どうする?」

 リモコンを手に持つ藤井が、いやらしい顔で問いかけてくる。

 聞いてはいるものの、すでに自分が曲を入れる体勢に入っていた。

「お先にどうぞ」

「ふん」

 藤井が鼻を鳴らすと同時に、リモコンがピピピピッと音を鳴らす。

 流れ始めたのは有名なイケメン男性ダンスグループの曲だった。

 さすが、勝負を吹っかけて来るだけあって、上手い。

 曲が止み、藤井がマイクを口元から離す。

 果たして表示された点数は……91点。

「うおっ、すげぇ90点台とか初めて見た!」

 軽く腰を浮かせて、鈴木くんが驚く。

 女子3名も口々に褒めながら拍手していた。

「それじゃ、最後は東堂だな」

 こちらにマイクを差し出しながら、藤井が笑う。

 さて、その笑顔がいつまで続くかな?


 31.


 最近のカラオケの採点機能はかなり進化しており、声の高低や震え、大きさ、ブレスの位置、音の振れ幅などなど様々な部分をチェックして点数を表示している。

 新入社員の頃、毎日終電を逃して家に帰れず、夜通しカラオケに通い続けた俺に死角などない。 毎日毎日朝まで一人きりという空間に耐え切れず、そのうちただ歌うだけではなく採点機能でどうすれば高得点を取れるか試行錯誤したあの頃の思い出……あれ、なんだろう、ちょっと悲しくなった。

 最近は歳のせいもあって体力もなく、カラオケ自体とんと久しいが、『純粋に上手い歌い方』と『点数を取るための歌い方』が別物だということは覚えている。

 しっかりと腹式呼吸で一定の範囲声を出し続け、伸ばす所は伸ばし、止める所はきっちり止める。 ただそれだけのことを意識するだけで、飛躍的に点数は伸びるのだ。

 もちろん、自己流のアレンジなど一切しない。 採点されるのはオーソドックスなリズムラインなので、自己流にアレンジなど加えてしまえば点数は下がる一方だからな。

 一応、ブレス、スタッカート、くどくない程度のビブラートも入れて、『聴こえ方』も意識しておく。

 とはいえ人に歌を聴かせるなんてほとんどない経験なので、そこに関しては正直全く自信はないけど。

 部の一発芸大会で歌わされた時も、「なんか普通に上手くてつまんない」とか「お前にそういうの求めてねぇから」とか散々な言われようだったもんなぁ……あれ、涙が。

「ふぅ……」

 曲が終わり、テーブルにコトリとマイクを置いた。

 なぜか室内は静寂に包まれている。 あれ、そんなに変だったかな、と俺が少し不安に駆られ、採点機能のBGMが流れ始めると同時に喝采が上がった。

「上手っ! え!? 上手ぁ!」

「マジ上手くない!?」

「いやすげぇ! 東堂マジすげぇよ!」

「上っ手すぎてビビるわ……」

 ミキさん、エリカさん、鈴木くん、佐藤くんが口々に俺を褒めてくれる。

 照れくさすぎてなんと返していいものかわからず画面に目を向けると、表示されていた点数は96点だった。

「96!?」

 画面を凝視して、藤井の動きが完全に固まる。

「すごいすごい! そういえば祐介、昔一緒にカラオケ行った時も上手だったもんねぇ」

 隣ではしゃぐ悠陽に、自分の頬が熱を持つのがわかった。

「いつの話してるんだよ。 昔って、幼稚園の頃だろ?」

「そうだよ?」

 だから? と言わんばかりにこちらを見返す悠陽の目に、なにも言えず黙り込む。

 まぁ、なんだ、えぇと……勝ててよかったです、はい。


 32.


 時間も時間ということで、俺たちはカラオケ店を後にし、駅の改札前で解散した。

 考えてみればまだ中学生だもんな。 藤井的にはこれから仲良くなろうという相手である悠陽もいるし、そんな遅くまで出歩かないか。

「祐介、今日はありがとね?」

「ん?」

 帰り道、隣を歩く悠陽が話しかけてくる。

 その声色はどこか弾んでおり、よく見れば小さくスキップまでしていた。

 スキップとかしてる人、30年の人生で初めて生で見たよ。

「付き合ってくれたじゃん」

「あぁ、うん、まぁ」

 むしろ、迷惑になっていなかったのなら、それはなによりだ。

 藤井に連れて行かれる悠陽を見て、衝動的に動いただけだったから。

「あ、もう着いた。 なんか早かったなぁ」

 道の先に見えた俺たちの家に、悠陽がそんなことを呟く。

「それだけ楽しかったってことだろ? よかったじゃん」

「……うん、そうだね!」

 一転して、また楽しそうに歩き出す悠陽。

 ころころと変わる表情が、見ているだけで楽しい気持ちにさせてくれる。

 やはり今日も俺の幼馴染は、とんでもなく美少女だった。

「それじゃ、祐介。 またねー!」

「あぁ、おやすみ」

 隣ではあるが、一応悠陽の家の前まで見送ってから踵を返す。

「祐介!」

「ん?」

 後ろからの声に振り返ると、家のドアを半分ほど開けた状態の悠陽がこちらを見ていた。

「どうした?」

 問いかけても、なかなか返事が返ってこない。

 何度か口を開こうとしては閉じてを繰り返している。 なんだ?

「1回しか言わないからね?」

「は?」

 唐突に前置きをして、悠陽が大きく息を吸い込んだ。

「今日の祐介……ちょっとだけ、カッコよかったよ!」

(バタン!)

 言うと同時に、目の前で扉が閉められる。

「……は?」

 取り残された俺の間抜けな声が、夕方の道路に寂しく響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る