第2話 やり直し初日。幼女との遭遇。

 14.


 翌日。

 長年染みついた習慣により、夜更かしをしたにも関わらず、俺は朝5時半に目を覚ました。

 すぐに身を起こし、オフィスの清掃に取り掛かろうとしたところで、はたと気づく。 ほうきとちり取りがない。

 いや違う。 ここはどこだ?

 ベッドに入ったまま上半身をぐるりと巡らせる。

 ……未だ記憶に懐かしくも新しい、実家の俺の部屋だ。

 外はまだ完全に明るくなっておらず、気の早い鳥たちがさえずっていた。

 部屋の机には広げられたままの教科書、床の隅に置かれたダンベル。

 どうやら、まだ夢は覚めていないらしい。

 俺はベッドから抜け出して、あかりを起こさないようにそっと部屋を出る。

 翌日に筋肉痛が襲ってくるだなんて、自分の体がまだ若いことを実感するな。

 せっかく体を鍛え始めたんだ、ランニングでもしてみようじゃないか。


 人通りもほとんどない、閑静な住宅街を走る。

 初日だし、ペースはかなりゆっくりめに、懐かしい景色を楽しみながらのランニングだ。

 一歩一歩、確かめるように走りながら、この奇跡のような時間をかみしめる。

 1時間ほどをかけて家に戻ると、母さんがちょうど起きだしたところだった。

「おはよう」

「祐介? お、おはよう。 どうしたの、こんなに早く?」

 現在時刻は6時半過ぎ。 確かに15年前の俺であれば、まだ余裕で寝ている時間だろう。

「高校デビューするって決めたからね。 ランニング始めようと思って」

「へぇぇ。 急に色気付いちゃって、好きな子でもできたのかしら?」

 一瞬、言葉に詰まる。 いや、違う。 15年前は好きだったが、今は違うはずだ。

「そ、そんなんじゃないよ。 ほら俺、朝ごはん用意しとくから、顔洗ってきたら?」

「……祐介がそんなこと言うようになるなんてねぇ」

 嬉しいような寂しいような、複雑な顔をして、母さんは洗面所へと去って行った。

 気を取り直して冷蔵庫を開き、朝食のメニューを考える。

 卵と、ベーコンがあるな。 ご飯は炊かれていないから、パンでいいか。

 キッチンの隅で見つけたコンソメスープの素をカップに入れて、お湯を沸かす。

 フライパンに薄く油を敷いて温めてから、卵を投入した。

 戸棚から3人分の皿を取り出し、半熟に焼けた目玉焼きをそこへ入れる。

 お湯が沸いたので火を止め、食パンをトースターに入れてからキッチンペーパーでフライパンを軽く拭き、今度はベーコンを焼き始めた。

 ジュウジュウ、パチパチといい音が鳴り、肉の臭いが食欲を刺激する。

 つけっぱなしのテレビから、アナウンサーが7時を報せてきた。

 そろそろあかりも目を覚ますだろう。 俺は鼻歌を歌いながら、フライパンのベーコンに塩コショウを少しだけ振りかけた。


 15.


 朝食後、出勤して行く母さんと登校するあかりを見送って、俺は皿洗いに精を出していた。

 今日は3月13日、木曜日。 高校入学までは、まだ1か月弱ほどの時間がある。

「今日はなにをしようか」

 最後の一枚を水切り場に設置して、そこで問題に直面した。

 やることがないのだ。

 もちろん、昨夜の決意は揺らいでいない。 努力をする、という方向性は保ったままだ。

 だけど、勉強や筋トレは夜でもできる。

 せっかくなら、今までにやったことがない内容にも手を出してみたい。 そう思うのは、おかしいことだろうか?

「うーん」

 現在時刻は、朝の9時ちょうど。

 とりあえず散策がてら、駅前にでも出てみるとしよう。


 ということでやって来た、駅前広場。

 すぐ目の前には、昨日もお世話になったショッピングモールがある。

「そういえば、駅の反対側には行ったことないな」

 大体の用事はこちら側だけで完結してしまうため、15年前にもわざわざ反対側まで足を延ばした記憶はない。

「せっかくだし、行ってみるか」

 そんなことを言いながら駅の方へ視線を向けると、こちらを見ていた若い女性2人組と目が合った。

 とりあえず気まずいので、軽く会釈をしておく。 あちらからも会釈が返ってきて、2人組はそのまま話しながらどこかへ去って行った。

 ……今さら気づいたけど、一人暮らしが長かったせいで、俺、めちゃめちゃ独り言が増えてるな。

 駅前でぶつぶつ呟いてる男がいたら、それは確かに不審だろうし、見るだろう。

 気恥ずかしさに頭をガリガリと掻いて、俺は改めて駅舎へと目を向ける。

 改札の横を通り過ぎて、そのまま通路を直進すれば、反対側に抜けられるはずだ。

「とりあえず、行ってみますか」

 ……また独り言が出てることに、歩き出してから気づいた。


 16.


 駅舎を通り抜けた先は、反対側と同じようなロータリーになっていた。

 バスの停留所があり、タクシー待ちの人々が列をなしている。

 駅前にはドラッグストアやファストフードなどの店が並び、道路を渡った先にはカラオケ店や銀行などの存在も伺えた。

 俺の家がある側よりも、繁華街としての側面が強いのかもしれない。

 統合されてしまって未来では見かけなくなったコンビニエンスストアの横を抜け、さらに歩く。

 やがて人通りも少なくなり、いつの間にか閑静な住宅地へと足を踏み入れた。

「せいっ! 押忍! せいっ! 押忍!」

 ふと聞こえてきた威勢のいい声に、足を止める。

 見上げた先にあったのは、一棟のビル。 その4階の窓には、『初心者歓迎! 実践空手道場』と書かれていた。

 ……実践なのに初心者歓迎とは、これいかに?

 とりあえず見上げていても仕方ないので、再び足を動かす。

 ひたすら続く漆喰壁に沿って歩いて行くと、巨大な木製の門の前に出た。

 道路にはやけにボディの長い黒塗りの高級車が停まっており、いかついスーツ姿の男たちがその周囲を固めている。

 どう見てもヤのつくお家です、本当にありがとうございました。

 絶対に目を合わさないよう、反対側の壁を見ながら車の横を通り過ぎる。

 さらに歩くと、広めの公園を発見した。

 中を覗くと見慣れた遊具がいくつかと、それに群がる子供たちの姿が。

 公園なんて、15年ぶりどころの話じゃない。

 ヤのつくお家で緊張した心を慰めるため、少しベンチに座って休憩することにした。

「ふぅー……」

 自販機で水のペットボトルを買い、飲みながらほっと一息。

「結構歩いたなぁ」

 背もたれに体を預けて公園内を見渡すと、少し離れたベンチから何人かのお母さんたちがこちらをじっと眺めていることに気づく。

 染みついたビジネスマナーで顔が勝手に笑顔を作り、ぺこりと会釈をすると、あちらも笑顔で頭を下げてくれた。

 さらに視線を巡らせると、滑り台やジャングルジムに群がる数人の子供たちが見える。

 なぜか一人だけ砂場でぽつんと団子をこね続けているようだが、仲間に入れてもらえないんだろうか?

 じっと見つめていると、砂場で遊んでいたその子もこちらに気づいたらしく、ばっちり目が合ってしまった。

 黒い髪を後頭部で2つに括った、かわいらしい女の子だ。 5~6歳くらいだろうか。

 戦隊ヒーローの柄がプリントされた白いTシャツに、ピンク色のスカートを履いている。

 見た所、周囲に保護者の姿はない。

「……」

「……」

 お互いに無言で見つめ合う時が流れ続け、おもむろに立ち上がった女の子がこちらへと近づいて来た。

 ぷぴ、ぷぴ、と歩くたびに靴が音を鳴らす。 あったなぁ、あんな靴。

「……」

「……」

 やがてすぐ目の前までやってきた女の子が、俺を見上げて首を傾げた。

 なに? なんなの? 幼女の相手など過去にも未来にもしたことがない。

 下手に口を開いて泣かれてはたまらないので、俺はなるだけ笑顔をキープしたまま女の子の顔を見返した。

「おにいちゃん!」

「え?」

 唐突に、女の子が俺を勢いよく指さして宣言する。

 先ほど会釈を交わしたお母さんたちが、少し安心したような顔になるのがわかった。

 不審者かなにかだと思われていたのかもしれない。

 でもすみません、お兄ちゃんじゃないんです。 どちらかというと不審者寄りなんです。


 17.


「あそぼ!」

 強引に俺の手を掴み、女の子は俺を砂場の方へと引っ張る。

 なんで俺? あっちにいくらでも他の子たちがいるだろうに。

 しかし、やはり泣かれるのが怖くてなにも言い出すことができない。

 あれよあれよという間に砂場に到着して、女の子はぺたりと元の位置に座り込んだ。

 あぁ、お尻が砂だらけになっちゃうよ、と思ったけど、幼女相手にお尻とか言ったらセクハラになりそうで怖い。 いや、考えてる時点で若干キモいか。

「ん!」

 下あごを突き出しながら、女の子が俺にプラスチック製の小さなシャベルを押し付けてくる。

 とりあえず受け取ったはいいものの、これでなにをどうしろというのか。

「えーと」

「お団子つくるの!」

「あ、はい」

 これはなにを言っても無駄だろう。

 さっきのお母さん方からもまだ見られていることだし、しばらくは大人しく遊びに付き合うしかなさそうだ。


「はい、あなた。 あーん!」

 幼女の手に握られた泥団子が、ぐいぐいと俺の頬に突き刺さる。

 無理無理、泥団子は食べられないんだよ?

 とは言えないので、俺は笑顔を作って口を開いた。

「お、おいしいなんぶっ」

 無理やり突っ込まれました。

「ぐへっ、ぺっ、ぺっ」

「あー! 吐いた! ひどい! りこんのききよー!」

 そんな言葉どこで覚えてくるの? テレビのドラマかなにかだろうか?

 最初は向かい合って泥団子をこねていただけだった俺たちは、いつの間にかおままごとを始めていた。

 どうやら女の子がお母さん役らしいが、俺の役どころははっきりしていない。

 それというのも、

「はい、あなた、エサよー」

 と言って泥団子をガチで食わせてくるからだ。

 旦那相手だったらエサとは言わないよね? え、言わないよね?

 未だ知らない結婚生活に恐怖を抱きながらも、俺たちのおままごとは続く。

「いってらっしゃーい、早く帰ってきてねー!」

「いってきます」

 何度目かの疑似出勤をして、砂場の外に正座した。

 お声がかかるまで旦那(仮)はここで待たねばならないのだ。

「あー、いそがしいいそがしい」

 言いながら、女の子は小さなカゴにシャベルやカップなどを入れたり出したりしている。 どうやら家事の真似事らしい。

「はぁー、今日も一日、はたらいたわー」

 かと思えば、急に額の汗をぬぐうような仕草をしながら、晴れやかな顔でそんなことを言う。

 さっきまで主婦っぽかったのに急におっさん臭かったりして、見ていてなかなか面白い。

「早く帰ってこないかなぁ」

 ちらり、ちらり。 女の子の目がこちらに向けられる。

 あ、帰って来いってことか。 察し。

「ただいまー」

「あなた、おかえりなさーい! ご飯にする?」

 ……選択肢ないのね。 せめてお風呂という逃げ道を残してほしかった。

「はい、あーん!」

 しかも選ぶまでもなく泥団子が頬に突き刺さる。 なんで聞いたの?

「あ、あぐぶばっ」

 盛大に吐き出す俺を見て、女の子がケラケラと笑う。

 まぁ、楽しんでるみたいだし、お母さん方の警戒も完全に解けたっぽいから、いいとしようか。


 18.


 気づけば、空は茜色に染まり始めていた。

 さっきまで遊具に群がっていた子供たちも、保護者に連れられて公園から去って行く。

 春先の風はまだ冷たく、誰もいない公園で1人遊ぶ女の子はひどく寂し気に見えた。

「……帰らなくていいの?」

 思わず、そんな質問が口をつく。

 聞かれた女の子は、手元のカゴに目を落とした。

「お姉ちゃんも、お父さんも、お仕事だもん」

 お母さんは? とは、とても聞けなかった。

 本人の口から出てこないのもそうだし、この場にいない事実が全てを物語っている気がしたからだ。

「次、ブランコ!」

 言うだけ言って、女の子は駆けて行く。

 俺は残されたカゴを手に、彼女の後を追った。

「押して」

 ブランコに腰かけた女の子が、こちらを見上げて言う。

 とくに逆らう必要も感じないため、ゆっくりと力を込めて彼女の背を押した。

「わぁ……!」

 夕陽を反射して、女の子の瞳がきらきらと輝く。

 なんの変哲もない、どこにでもあるような古ぼけたブランコがキィキィと軋むたび、彼女は歓声をあげた。

「もっともっと!」

 女の子にせがまれるまま、ブランコを揺らし続ける。

 まだランニングも筋トレも始めたばかりのもやし体型としてはなかなかに辛いものがあったけど、その笑顔を曇らせたくないがために、俺は何度も何度もブランコを揺らした。

 かれこれ1時間くらいは揺らし続けただろうか?

 腕の筋肉がぷるぷると痙攣を始め、俺の体力が限界を迎えようとした頃、公園の入口からこちらに向かって誰かが走ってくるのが見えた。

「メイ!」

「おねえちゃん!」

 途端にぱっと顔を輝かせた女の子が、ブランコから飛び降りる。

 なかなか高かったはずなのに、見事な身のこなしだった。

 駆け寄る女の子を抱きとめた人影に目を向ける。

 ぱっと見、俺と同年代くらいの少女だ。

 明るく染められた茶髪にはふわりとパーマがかけられており、長さは肩の上くらい。

 上下オレンジ色のジャージ姿で、スポーツバッグを肩掛けにしている。

 細い眉と鋭い目が吊り上がって、俺を睨みつけていた。

「メイ、なにかされなかった?」

 あれ、俺もしかして不審者だと思われてる? 誤解だ!

 ……いや、平日の昼間から幼女とたわむれてるとか、明らかに不審者だわ。 全然誤解じゃなかった。

「されてないよ?」

 小首をかしげる幼女の証言により、とりあえず俺の無実は証明されたらしい。

 こちらを警戒する目つきはそのままに、ジャージ少女は女の子と手を繋いで公園の出口へと歩き出した。

「おにいちゃん、またねー!」

 大きく手を振りながら去って行く幼女に、俺も手を振り返す。

 ジャージ少女の方は、最後まで横目で俺を睨み続けていた。


 19.


 夕暮れの街を、のんびりと歩いて帰宅する。

 時折迷いそうになりながらもなんとか家の前に帰り着くと、そこには見慣れた背中が待っていた。

「あれ、悠陽?」

「あ、祐介! どこ行ってたの?」

 振り返った悠陽に、なんと答えたものかと少し考える。

 特に目的があってどこかへ行っていたわけじゃないんだよな。

「まぁ、散歩かな」

「散歩? 祐介が?」

 きょとんとしてこちらを見返す悠陽に、我ながら納得してしまった。

 まぁ、意外だよな。 15年前の俺って、休日や放課後は本を読むかゲームするかで、ほとんどひきこもりみたいな生活してたし。

「高校デビューの一環だよ」

 適当に、あかりの言葉に乗っかっておく。

「へぇー……」

 どことなく感心したような目が照れくさくて、俺は視線を逸らしながら口を開いた。

「それより、悠陽こそこんな所でなにしてるんだよ?」

「あ、そうだった」

 ぽんっと手を打って、悠陽が明るく笑う。

「聞いて聞いて! 藤井くんに、ちゃんとごめんねって言えたの!」

 なにを言うのかと思えば、昨日話したことを早速実行したらしい。

 しかしそれは逆に言えば、悠陽が藤井と連絡先を交換しているということでもある。

 もやっとした気持ちを抱えながらも、鍛えられた俺のメンタルはそれを表に出すことはなかった。

「そっか。 よかったじゃん」

「うん! だから祐介に報告したくって。 えへへ」

 照れくさそうに頬をかきながら、悠陽がまた笑う。

 やっぱこいつ、とんでもない美少女だよな……

「そ、それじゃ、ほんとありがとね!」

 少し慌てたように顔をそむけて、悠陽は隣の家へと入って行った。

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