第8話「涙似-ruiji-」


近藤と別れたカイトは、七年前にリリイを助けられなかった過去を思い返し胸を痛めていた。


リリイを見捨てた後悔。

近藤の言う通り、過去に猫を傷つけた人々が、化け猫に襲われているとしたら……今後の事件を防ぐことも出来るかもしれない。


そんな考えが思い浮かんだが、探偵ごっこのようだと自分で自分を嘲笑した。



家路についていると、空はどんよりと重くなり、小雨が降りだしてきた。

カイトは急ぎ足で家に向かっていたが、雨は次第に強くなり始める。


空は灰色に染まり、雨は傘を持たないカイトの頬に容赦なく打ち付けていた。


その時だった。



「きゃー!!!!」



地面に打ち付ける雨の音を切り裂くように、女性の甲高い叫び声が響き渡った。


カイトはすぐさま辺りを見渡したが、声の出どころはわからない。



「ニ゛ャー」



同時に雨音に紛れて、あの声が響き渡った。



「化け猫!?」



カイトは降りしきる雨の中をかいくぐり、声の出どころへ向かう。

一戸建てが立ち並ぶ住宅街を抜けて行くと、細い路地の前で立ち止まった。


その路地の先には大きな黒い影が不気味にうごめいている。

大きさは身長175センチのカイトよりも遥かに大きく、2メートル近くに

感じた。


そして"それ"が呼吸するたびに、空気までもが震えているようだった。



「大丈夫ですか!?」



"それ"の先には、腰を抜かして地面に倒れこむ女性の姿があった。

彼女はあまりの恐怖からか、目はあさっての方向を向き、口はだらしなく垂れさがって圧巻されている。



「ニ゛ャーオ!!!」



カイトの存在に気付いた"それ"は、ゆっくりとカイトの方へ振り返ると、すぐさまものすごい威嚇を始めた。



「シャー˝!!!」



猫特有の威嚇である、喉の奥底から響き渡る音。

それはカイトの鼓膜を破くのではないかと思うほど強烈だった。


カイトは恐れながらも、"それ"と対峙する。

中腰になり、いつ飛びつかれても避けられるよう、ぐっとした体勢で構えた。



しかし、カイトは"それ"の目を見たとき絶句した。



「り……、リリイ……?」



姿は化け猫と呼ばれるに等しいおぞましきものだが、その目だけには見覚えがあった。


七年前、自分が救うことのできなかったリリイ。

まさか、リリイなわけない……とは思わなかった。カイトは間違いなく、"それ"がリリイの変わり果てた姿だとわかったのだ。


根拠などどこにもない。

あの日、あの時間、リリイと過ごしたのは刹那な時間であったものの、あの目を忘れたことはない。


目の前にいる化け猫の正体は、リリイだった。



「リリイ? リリイなんだろ?」


「ニ゛ャーーーーオ」



"それ"は相変わらず、カイトを威嚇し続けている。

その時、突如鳴り響いた雷鳴が、近くの住宅のアンテナに落雷した。


ものすごい轟音とともに、まばゆい光が視界を奪う。


真っ白な世界。

音もなく、かろうじて耳鳴りのようなキーンという音だけが響いているように感じる。


その瞬間、カイトは数日前に自分が化け猫と遭遇した時のことを思い出した。


あの時……、あの時カイトを襲ったのも、リリイだった。

あの日も、見覚えのある「目」がそこにあったのだ。


そして耳鳴りは収まり、次第に雨の音に変っていく。

徐々に視界も元に戻り、目の前には体育すわりで顔を伏せている女性の姿。


そこにはもう、リリイの姿はなかった。



「大丈夫ですか!」



カイトは急いで女性に駆け寄ると、肩を揺らして声をかけた。



「きゃ! か、怪物は!?」



女性は呼吸を荒くしながら、あたりを見渡す。

そして、"それ"がいなくなっていることを確認すると、ようやく安堵の表情を浮かべた。



「よかったわ……、もういなくなったのね」


「けがはないですか?」



化け猫事件の被害者は皆、背中に大きな擦過傷を負ってきた。

カイトはふと女性の背中に目をやるが、幸いにも直接的なけがは見受けられない。



「大丈夫です……、まさか、本当にいたなんて、噂でしかなかった化け猫が」



女性はこの現実を受け入れられていないようだった。



「とりあえず病院に行かれた方がいいですよ」


「ありがとうございます……、まさか、あんな怪物が二匹もいたから」



カイトは女性の言葉に耳を疑った。


"二匹もいたから"


化け猫が二匹? カイトが来た時、そこにはリリイしかいなかったはず。

この化け猫事件には、まだカイトが知らない真実が隠されていた。


そしてその結末は、あまりも切なく悲しいものだとは、この時のカイトは知る由もなかった。



次回

第九話「葛闘-kattou-」

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