第6話「刹無-setsuna-」
七年前。
リリイを家で飼えないカイトは、いつものように給食の残飯を持って公園にやって来ていた。
「ニャー!」
しかし、そこから聞こえてきたのは、いつも甘えて近寄ってくるリリイの鳴き声ではなかった。
恐怖におびえ、何かから決死で逃れたいという思いが汲み取れるような悲惨な鳴き声。
「おい! そっちに行ったぞ!」
胸騒ぎを覚えたカイトは、急いでリリイの元へ向かおうとした。
すると、そこには恰幅のいい小学生の男の子と、カイトとそう体格差のない小学生が三人いた。
野球少年なのだろうか。手には木製バットを持って、何かを囲んでいる。
「ほらほら、子猫ちゃーん、こっち来いよ! 遊んでやるから!」
カイトは目を疑った。
そこには少年たちに囲まれ、尻尾を丸めて怯えるリリイの姿をがあった。
「やめろ!」
カイトは背負っていたランドセルを、恰幅のいい男子に思い切り投げつけた。
「なんだ、おまえ!」
恰幅のいい男子はすぐに振り返り、カイトを凄まじい視線で睨みつける。
カイトはその圧力に一瞬たじろいだが、怯えているリリイを見てなんとかしなければという強い衝動に駆られた。
「うおぉぉー!!」
カイトは力いっぱい恰幅のいい男子に体当たりしてみせた。
しかしカイトはまるで相撲取りのようにあっさりと受け流され、地面に叩きつけられてしまう。
それを見ていたリリイは小さな足でカイトに駆け寄った。
「リリイ、危ない!!」
その瞬間、恰幅のいい男子はサッカーボールを蹴るごとく、地面に倒れ込んでいるカイトを蹴りあげようとした。
「ニャー!!」
彼の蹴り上げるタイミングと、リリイがカイトに駆け寄るタイミングが合ってしまい、小さなリリイの体は宙高く舞い上がった。
受け身をとる間もなく、リリイの小さな体は地面に叩きつけられた。
「リリイ!!」
「やべぇ! おい、行くぞ!」
割腹のいい男子もさすがにまずいと思ったのか、一緒にいた友達に呼びかけ、そそくさとその場を走り去って行った。
カイトは痛む体を起こしながら、真っ先にリリイの元へ向かった。
しかし、リリイはピクリとも動かない。受け身を取れずに地面に叩きつけられたせいか、右の足は不自然に折れ曲がっている。
恐らく骨は折れてしまっているのだろう。
目の前に横たわる小さな体。カイトはそんなリリイの姿に、悲しみというよりも恐怖を覚えた。
昨日まで屈託のない表情で、ヨチヨチと歩き回っていたリリイが、今は変わり果てた姿で横たわったいる。
幼いカイトにはあまりにも受け入れ難い現実。
カイトは、リリイに触れてしまえば本当に壊れてしまうと思い、近づくことが出来なかった。
「うっ.......、うわー!!」
カイトは声の限り叫んだ。
そして、恐怖感が全身を纏い、肩も胸も大きく上下するほど呼吸も荒くなった。
まるで過呼吸の一歩手前のような息苦しさね耐えきれず、カイトはリリイに背を向けてその場から逃げ出した。
雨だ。
しとしとと雨が降り始めた。
その場を走り去るカイトの足元は、次第に水の音を立てる。
雨は次第に強くなり、涙か雨か区別がつかないほど、カイトの顔を濡らしていた。
地面に激しく打ち付ける雨。
公園に取り残されたリリイの体にも、冷たく打ち付ける。
綺麗な橙色だったリリイの毛色は、土の地面から跳ね返る泥水で徐々に茶色く染まっていった。
「カイト!? びしょ濡れじゃない!」
家についたカイトの姿に、母親は驚愕した。
カイトは涙を見せないよう、下を向いたままお風呂場へ駆け込んだ。
それから一週間。
大型の台風が上陸したことで、雨の日が続いていた。
びしょ濡れになったせいでカイトも三日三晩高熱を出し、学校も休むことに。食欲もわかず、両親が心配するほど憔悴しきっていた。
そして熱が下がった頃、布団の中でふとリリイのことを思い出す。
保健所の車に連れて行かれず、難を逃れたリリイ。それからの日々は、カイトの生活を楽しくさせるものだった。
学校で嫌なことがあっても、リリイに会えば全部忘れられた。小さな体で、小さな足で、小さな声で愛らしく近寄って来てくれていた。
その刹那な時間が、カイトにとっては宝物だった。
"この子は僕が守ってあげなきゃ"
カイトはあの日の自分の決意を思い出した。
どうして、あの時、あのまま公園に放置してしまったのだろう。どうして助けてあげなかったんだろう。
カイトの心に罪悪感がのしかかる。
「リリイ!!」
カイトは布団から飛び出し、傘も持たずにすぐさま家を飛び出す。
助けに行かなきゃ、その一心だった。もう遅いかもしれないけど、行かなければと。
無常にも降り続ける雨が、絶望への道を示していた。
次回
第七話 慟酷-doukoku-
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