少女よ、それはパンチラではない

三木桜花

少女よ、それはパンチラではない


突然だが、僕はチラリズムという性的嗜好の虜である。


 少し短いスカートの裾からチラリと見える生足。そこにスパッツがあればもう最高である。学校指定の夏服を思い浮かべて欲しい。授業終わり、斜め前の席の女子が伸びをする。その時チラリと見える脇などはどうだろう。至高だ。パンチラなど言うまでもない。そこに恥じらいが加われば尚良い。


 なぜ我々は『チラリ』というものにここまで惹かれるのか。

 その理由は、アマゾンの奥深くへ調べに行くまでもなく明らかである。



  実存



 実存は本質に先立つとは言うけれど、パンチラとは正しくそれである。

 あるという確証。それだけで、我々は妄想を逞しくできる。

 思春期真っ只中を汗と涙と猥談で彩り駆け抜ける我々高校生の想像力は、学校に押し入ったテロ集団を一人で制圧することだって出来るのだ。

 一を百にすることなど、造作もない。

 パンチラとは、チラリズムとは、想像の余地があるからこそ良いものなのだ。

 白日の下に全てが晒されては、それはもうチラリとは言えない。


 それにしても乗っけからこのようなこと、大変恐縮である。

 

 これ以上続けるつもりは無いので、結論を急ごう。


 つまるところ、僕が言いたいことといえば。


 嗚呼、少女よ。


 我が意中の女生徒よ。


 貴女のそれはパンチラでは無い。



 ◇◆◇



 私立平野高校はそこそこの学力と進学実績を誇る、そこそこの進学校である。

あらゆる面がそこそこながらも、学生達の青春を彩る舞台としては不足が無かった。

グラウンドを囲む形で東西南北にそびえる校舎の東側。

階段を四階分昇った先にある廊下の、その終点に位置するのが二年A組。

 そしてグラウンドを見下ろせる窓際の一番後ろの席こそが、出席番号十六番 桜井 航、つまり、僕の席。だったはずである。

  はずであるというのは、何ももったいぶろうとかそういうつもりは一切無く、僕自身も確証が得られていなかったのだ。

 昼休みになって、母が持たせてくれた弁当を食べる前にお手洗へと行った。その時は確かに、窓際最後列の席は僕に割りあてられていた場所であった。

 しかしどうだろう。溜めに溜めたものを放出しきって、一種の解放感を感じながら教室に戻ってみれば、非常にけしからん見た目の女子達が占拠しているではないか。

 

一体全体どうしたものか。


少し逡巡し、 暫定自席へと向かう。

もちろん、席を取り戻すためである。弁当箱はあの中だ。僕は何も悪事を働く訳じゃない。恐れる理由なんて無いのだ。そう自分に言い聞かせながら、占拠している三人の中でも、一等けしからん女生徒に僕は話しかける。


「あの、市川?そこ、僕の席だったと思うんだけど」


 確か彼女は市川という姓だったと記憶している。

 話しかけて数秒、彼女は不思議そうにこちらを見て

「あたし、石川だけど」と言った。


「......ごめん」

「うん。いいよ」


 驚いた。

彼女は名前を間違えられたにも関わらず、そこまで気にしていないようだった。

人は見た目によらないものだな、などと無粋な感想を抱いていると、石川が再度口を開いた。


「許してあげたからとは言わないけどさ、昼休みだけここ貸してくれない?代わりに私の席を使っていいから」


 なるほど。よく観察してみれば、僕の前の席の女生徒と石川達は仲の良い友人同士のようだった。一蓮托生、以心伝心、水魚之交。切っても切れない縁なのだろう。そういえば彼女達は、休み時間などいつも一緒に行動している印象がある。

 席替えという抗えぬ運命によって離れてしまった今、限られた自由時間を共にしたいと思うのは至極真っ当なことだ。


「ああ、うん。それでいいよ」


 僕はその提案を受けいれた。

 断りを入れ、机の中から弁当箱をして、僕は彼女の席に着き、昼食をとる。

 昼休みの間僕に与えられた席は教室の真ん中に位置していた。

 仲のいい友人同士で談笑しながら昼食を摂る生徒が大半で、勿論例外はいて、僕もその一人ではあるのだけれど、なんとも言えぬ疎外感みたいなものを感じてしまう。さながらサバンナ辺りの、群れからはぐれた草食動物の気分である。断じて一匹狼などでは無い。そこら辺は弁えているのだ。

 傍から見れば、僕は友人のいない社交性に欠けた孤独な生徒に見えるのだろう。だがしかし、これでも話し相手になってくれる学友はいる。けれど、如何せん彼は病弱で、しばしば学校を欠席するのだった。ともあれ僕の交友関係のほとんどは彼に依存しているため、ある意味先程の客観的評価は正しいのかもしれない。

 そんな愚にもつかないことを考えつつ、僕は黙々と食し、冷凍食品を朝早くからチンしてくれた母に感謝して手を合わせ、弁当を片付ける。黒板の上に掛かった時計を見ると、昼休みはまだ二十分も残っていた。僕の席はまだ空かないようだから、ポケットから文庫本を取り出して、栞の挟まった頁を開く。これがまた何とも面白くないものだった。『エロティシズム』というタイトルに惹かれて買ったは良いものの、中々食指が動かない。

 それにも関わらずこうして読んでいるのは、小遣いで買った以上無駄にしたくないという、浅ましい精神性からだった。


 頬杖を突きながらペラペラと捲っていると、後ろから何やら言い争う声が聞こえた。ちょうど石川に貸与した僕の席の方からのようだ。


「そこ、桜井くんの席じゃなかったかしら」


 声の主は僕の隣の席に座る女生徒だった。


「桜井に貸してもらってるだけだよ」


 石川は穏やかに言い返した。


 ふと後ろを振り返ると、ちょうどその女生徒と目が合った。

そうなの? とでも言うような顔をしているので、僕も、そうだよ。と言うような顔で首肯した。 彼女はやってしまった、という風に「その、ごめんなさい」と、石川に謝った。

石川は「いいよいいよ」と、なんでもないような顔で、紙パックに差したストローを口にくわえている。

 全くもって、外見や伝聞で人を判断すべきでは無いなと改めて痛感する。クラスに蔓延る彼女の噂話も、それは例えばパパ活だったり援交やらをしているのではないか、というものなのだけれど、それらの信憑性はいよいよ低いように感じてきた。

 僕は後方へと捻っていた身体を正面に戻して、読書を再開する。二、三ページほど読んだところで、「桜井くん」と声をかけられた。

 顔を上げると先程の女生徒、吉留涼花よしどめすずかが立っていた。

 バチッ、という擬音が聞こえてくるような勢いでお互いの視線が交錯する。そして、そのまま固まってしまった。鼓動が高鳴り、顔面に身体中の熱が凝縮されるような感覚に陥る。ここで目を逸らしてしまえば、何か気まずいものが胸中吹き荒れるような気がするのだ。金縛りにでもあったように僕は動けないでいるけれど、これはこれでなにやらドラマチックな風になってしまっている。要件は何だろうか。などと考えて、止まってしまった思考を無理やりにでも動かす。僕は、僕らの間に漂う、薄い膜にも似た空気を剥がすようにして口を開く。


「ど、どうかした?」


 彼女は、はっとして要件を切り出した。


「えっと、放課後に図書委員会があるって、先生が」


 僕と彼女は同じ図書委員会に属していた。

 今日行われる委員会では、学校図書館にて貸出受付をする当番決めでもするのだろう。


「図書館だっけ?」

「そう。くれぐれも忘れて帰らないようにね」

「気をつけておくよ」


 そう言うと、彼女は自席へと帰って行った。

 もう行ってしまうのか、となにか勿体ない気分である。


 さて、もう気づかれているかもしれないし勿体ぶるものでも無いので白状するが、僕は吉留涼花に首ったけである。

 ぬばたまの、という枕詞が着いてくるような黒髪はさることながら、切れ長の大きな目と、すっと通った鼻筋、形の良い唇、すらっとしたスタイルに至るまで、容姿における魅力は枚挙に暇が無かった。

 

 どストライクだった。


 それに加えて品行方正、成績優秀と来たものだから、クラス外にまで轟く彼女の人気にも頷ける。

 本が好きそうだから、という理由で、実際好きではあるのだけれど、ともかく半ば強制的に選ばれた図書委員のペアに彼女が立候補した時は、思わず拳を握ったほどだ。


 想像してみて欲しい。


 放課後、夕日の差し込む図書室。

 人気が無く静謐な空間で、空調と頁がめくれる音だけが聞こえてくる。

 受付カウンターに座って本を読んでいた僕は、ふと視線を横に移す。そこには、パイプ椅子に座った黒髪の美少女が、定規でも入っているかのように美しい姿勢で、分厚い文庫本を読んでいるのだ。


 惚れないはずがないだろう。


 何の話をしていたのだっけ。


 そうだ、パンチラである。


 このまま彼女の魅力について数時間、小説で言うなら数十頁ほど語るのもやぶさかでは無いが、それは今回の話の趣旨とは逸れるので割愛させて頂く。

 要するに、彼女は語り尽くせぬほどの魅力を持っていて、僕のような木っ端には高嶺の花、ということである。


 ◇◆◇

 

 その日は、珍しく例の病弱な彼、小林 優こばやしゆうが登校した日だった。数日ぶりの登校に、クラス中が浮き足立っていた。彼は休みがちという希少性の他、もう一つの特徴により、級友達から人気を博していた。それは女子顔負けの可愛さ、というものである。

引きこもっているせいか極端に白く透き通った肌と小柄な体格、人形の如く均衡のとれた顔立ちは、異性だけでなく同性までも虜にする程だった。しかし、れっきとした男性であり、その遺伝子にY染色体が組み込まれていることは、以前とある理由から彼とスーパー銭湯へ行った時に確認済みである。

 ともかく僕はその日、久しぶりに顔を合わせた学友に少しばかり高揚していたのだ。高揚していたので、いささか声が大きくなっていたのかもしれない。


「また読書するフリして女子を観察してるの?」


 僕の顔を覗き込むようにして、小林が話しかけてきた。ブックカバーを付けていたので、タイトルを見られなかったのは幸いだった。


「失礼だな。また、なんてまるで僕が日常的に女子にいやらしい視線を向けているみたいじゃないか。フリじゃなくて読書をしているんだよ。それとも、女子を観察しろって振・り・のつもりか?」

「その割には、さっきから一頁も進んでないけれど?」

「これは、その。あまりこの本を面白いと感じられないだけだよ」

「ふーん」

 

 小林は疑うような視線を投げかけてくる。


「なんだよ」

「いや? てっきり桜井のことだから、パンチラやらを拝もうと必死なのかと思って」


 疑ってゴメンね、と口では言うものの、そこに謝意は感じられない。


「僕は能動的にチラリを探している訳では無いんだ。たまたま目に入ったものにこそ価値があるからね」


 チラリと見るんじゃなくて、チラリと見えるのがいいんだ。

 そう僕は力説する。

 小林は呆れたような顔だ。


「真性の変態じゃないか」

「紳士をつけ忘れてるよ」


 彼は何か言いたげだったが、折り悪く、休み時間の終わりがチャイムによって告げられた。



 つつがなく六限までの授業を終え、放課後である。

「帰ろう」と小林に声をかけられるも、今日は先日決めた図書委員会の当番の日だった。

 僕が残念に思いながらも断ると、彼はニヤニヤしながら「良かったじゃないか」と言った。


「何が?」

「ほら、桜井のペアって吉留でしょ?」

「そうだけど」


 それの何が良いのか。いや、僕としては役得も役得で、僕的本日の楽しみなことランキング一位を獲得するほどではあるのだが、小林には吉留への好意を伝えた覚えは無い。

 小林は僕より一回り小さい顔を近づけて、ヒソヒソ言う。


「桜井さあ、休み時間の時もそうだけど、俺と話してるのにああもチラチラと吉留のことを見てたら、さすがに気付くよ」

「えっ?」


 バレていたのか。

 僕は少なからず、いや、取り繕うのはやめよう。

 それはもうすっかり動揺してしまって、「な、なんのことだろう」と、目線をさだめること無く言った。

 それに驚いたのが彼である。


「えっ?マジなの?」

「え?」

「え?」


 なぜ小林が驚くことがあるのか。


「カマかけてみただけなんだけど」


 彼は信じられないようなものを見る目をしている。

 語るに落ちるというやつだ。まさかこんな形でバレてしまうとは。


 僕も小林も黙り込んでしまった。

 

 そこに来たのが石川である。


「桜井、吉留ちゃんが呼んでたよ」

「グッドタイミングだ。石川」

「へ?」


 僕は心底彼女に感謝して、席を立つ。

 机の上を片付けて、「じゃあ行くから」と小林に言う。


「ああ、うん頑張って」


 と、なにやら含みのある激励を受けた。


 教室を出る際、何故か僕の席に座っている石川と、吉留の席に座る小林が談笑している姿が見えた。


 ◇◆◇

 

「桜井くん」


 図書館へ続く渡り廊下を歩いていると声をかけられた。

 振り返ると重たそうな段ボール箱を抱えた吉留が立っていた。


「手伝うよ」


 僕は彼女から箱を受け取ると、その想像していた以上の重さに、思わずよろめいてしまう。


「大丈夫?」

「これくらい、なんてことないさ」


 意中の女性の手前格好つけてはいるが、長袖シャツに隠れた腕は、プルプルと震えている。筋肉痛になること間違いなしだな、と僕は覚悟を決めた。


「これは、図書館に持っていけばいいのかな?」

「うん。中身は先月申請された新刊だって」

「なるほど」


 それ以降の会話が続かない。

 彼女と二人きりになれた時はこうしよう、と幾度となく行ったシミュレーションは何一つとして効果をなさなかった。

 何度か話しかけようと思って横を見るも、彼女は何やら考え事でもしているような、そんな顔である。


 部活動に励む生徒達の声が、遠くから聞こえてくる。

 人の少ない廊下は、僕達の足音と箱の中身がガサガサと立てる音を響かせていた。

 

 またも背後から声を掛けられたのは、そこの突き当りを曲がれば図書館が見えてくるという時のことだった。


「吉留さん!」


 僕と彼女が振り返ると、その身にはち切れんばかりの決意を漲らせた男子生徒が立っていた。吉留はどうか分からないけれど、僕には面識が無かった。


「どちらさま?」


 彼女も知らないらしい。


「少し君の時間をくれないか 」


 彼は彼女の質問に答えず、そう言った。


「えっと。これから私、委員会で......」


 彼女は焦ったようにこちらをチラチラと見てくる。


 僕は考える。この場において、何が最善か。察するに彼は、吉留に愛の告白をしようという魂胆だろう。そして、吉留はといえば、彼女が気にしているのはあくまで委員会のことについてである。それはどうとでもなることだ。それにきっと、彼は一世一代の勇気を振り絞っているはずだ。幾ら僕が吉留に好意を持っているとはいえ、どうしてその邪魔をすることが出来ようか。


 僕はニコリと笑みを作る。


「吉留、委員会のことなら僕に任せてよ。彼は君に用事があるみたいだし、先にそっちを済ませてきた方がいい」

 

 そう言うが否や、僕は逃げるようにして図書館へと向かった。

 そして、カウンターにダンボールを置き、踵を返し、来た道を戻った。

 悪趣味だという異議申し立ては、残念ながら受けるつもりはない。

 幸いにも場所は移していないようだった。

 僕は角に身を隠して彼女達の話を盗み聞く。


「付き合えない理由、聞かせてもらってもいいかな」


 吉留は断ったのか。彼には申し訳ないが、僕は心底安堵した。

 彼女は言いづらそうにして彼の質問に答えた。


「その......好きな人がいて」

 

 心臓が跳ね上がる。

 吉留に好きな人が。

 もしかすると、それは僕ではないだろうか。いや、僕であれ。

 身に余る願望を抱きつつ、引き続き耳を傾ける。


「......そっか」

 

 その声音は聞く者の涙を誘うほどに悲し気だった。

 名も知らぬ彼の失恋を、不憫に思う。


「吉留さんはその人のどこが好きなの?」

「......横顔とかが格好いいところ、とかかな」


 格好いいところ。


 凡そ僕とはかけ離れた要素である。これまでの人生において異性から受けた容姿についての評価といえば、幼少より良くしてもらっている床屋のおばさんに「今日も男前だねぇ!」と言われたこと位である。それに、きっとそれはアパレルショップの店員が商品を試着した客に対して「お似合いです」と言うような、セールストークの類だろうから参考にはならない。

  つまり、彼女の好きな人の特徴に僕は当てはまっておらず、勝負を仕掛ける前に敗北してしまった訳である。


 もっと言うのなら。


 僕もまた、失恋したと言うことである。


 それからのことは、あまり覚えていない。

気付けば僕は図書館へと戻っていて、カウンター内のパイプ椅子に腰を下ろしていた。

無心で業務をこなしていると、程なくして吉留がやってきた。


「仕事、押し付けちゃってごめんね」

「ああ、うん。大丈夫。気にしないで」


 何とか平静を保って受け応える。

そんな、先程と同じような最低限の業務連絡めいた会話だけで、時間は過ぎていく。

図書館利用者は例によって少ないので、僕も彼女も、持参した本を読んだりしていた。


 その間、両者ともに口を開くことは一切無かった。


 ついぞ脳内シミュレーションを活かすことなく下校時刻のチャイムが鳴った。

図書委員会の担当教員が「帰っていいよ」と言いにやってきた。促されるままに僕らは席を立ち、その場を後にした。


 流れのままに僕と吉留は並んで昇降口へと向かう。

 もちろん、その間も会話らしい会話は無かった。

 それは昇降口へと降りる階段に差し掛かったあたりの時のことだった。

 これまでの沈黙を破って、吉留が口を開いた。


「桜井くんってさ」


 彼女は立ち止まって言う。


「パンチラが好きなんだよね?」

「え?」


 振り返った僕がその時目にしたのは、スカートの端を掴んで、その薄桃色の下着を白日の下に晒した彼女の姿だった。

 窓から差し込む夕日に照らされた彼女の顔が、朱に染まっているようだった。

 いや、実際に赤面しているのか。


「ど、どうかな」


 どうかなと言われても、というのが本音である。


 意中の女性の下着を見れたことに対する喜びと、なぜこのような状況になっているのかという困惑。

僕の性癖がバレていたことへの羞恥と驚愕。そして僕の思うチラリズムの定義から遠くかけ離れた彼女への不満。


 どう応えれば良いのか、分からない。


 ごちゃ混ぜになった思考の中で、より主張の強い部分に、僕は突き動かされる。


「残念だけど、それはパンチラとは言えないよ。吉留」


「ふぇ?」


「チラリというのはね、存在を仄めかす舞台装置であるべきなんだ。吉留のはチラリじゃない。モロじゃないか。ここにいますよって、本来隠されるべきものが大声で言っている。それはチラリズムに対する冒涜だよ」


 そこまで言って僕はふと我に返る。


 僕は何故、想い人に対してチラリズムを説いているのか。

 

 そもそも何故彼女はスカートをたくし上げ、僕に下着を晒しているのか。


 見ると、彼女はもう沸騰寸前といった様子だ。

 頭頂部から湯気が立っているのを幻視してしまう。


「あ、えと。その。ごめんなさい!」


 そう言うが否や彼女は脱兎の如く走り出した。

 瞬く間に僕の視界から消え失せてしまう。


「あ、待っ!」


 何処からともなく聞こえて来る金管楽器の音が、何とも情けなく感じた。


 ◇◆◇


 人生とは後悔の連続であるということは、周知の事実であろう。かくいう僕も後悔に後悔を重ねて、今に至ると言ってもいい。しかし、今回ばかりは、後悔してもしきれない。

 何故彼女がパンチラ──もといパンモロ──を、なんてことは今更考えたところでどうにもならないし、それはさほど重要では無い。その事について、僕はあの後、アスファルトを見ながら帰宅するうちに気がついた。

 

 吉留はひょっとして、本当に、僕が彼女に抱くのと同じような気持ちを僕に向けてくれていたのではないか。


 これは推測だが、彼女が名も知らぬ彼に告白された際チラチラとこちらを見ていたのは、図書館業務に対する懸念などではなく、僕が彼と彼女との関係を誤解してしまうのではないか、という不安からでは無かったのではないか。


 それに焦った彼女は、教室での僕と小林の会話を盗み聞いていて、それを実行に移したのではないか。


 彼女が僕といる時、全く会話が無かったのは、僕と同じで彼女も、互いに緊張していたからでは無いのか。


 格好いいなんていうのは、結局のところ主観である。


 もしかするなら、僕の横顔という限定的な容姿は、彼女が好意を抱くに値するものだったのではないか。


 著しく希望的観測が混じった推測ではあるが、そう考えることは出来ないだろうか。

 もしそうなら、僕は好意のチラリを見逃していたのだ。こんなザマで、チラリズム愛好家を名乗るなど烏滸がましい。


 とはいえ、今となっては後の祭りである。

僕はあろうことか、たった今展開した愚考に則るのなら、彼女の好意を否定し、こっぴどく批判してしまったのだから。


 いつも心穏やかな週末が、今ばかりは息苦しかった。


 パンモロ事件──僕はあの日のことをこう呼んでいる──があった日から二日後、つまり日曜日になるが、僕はその日、最寄り駅から数駅乗った場所にある大型書店へと足を運んでいた。


 沈んだ気分を少しでも紛らわせるには、新しい本と出会うに限る。


 そんな考えからはるばるやって来た訳だが、どうも気分が乗らなくて、結局適当な本を一冊買って、駅周辺を散策していた。


 辺りは商業施設がひしめいているけれど、そのどれにも用がある訳ではなく、僕は十数分ほど滞在した後で引き上げることにした。


 駅構内に入って切符を購入していると、不意に男性の怒鳴り声が聞こえた。


「なんだって俺を避けるんだ? 俺がなんかしたか? 臭かったか? 毎日風呂入ってるが?」


 スーツ姿の中年男性が、見目麗しい女性へと絡んでいる。


 吉留だ。


「ぶつかりそうになったら避けるのは当たり前じゃないですか!」

「なんだと!?子供は大人に口答えするもんじゃない!」


 吉留は泣きそうな顔で弁明するも、埒が明かない様子だった。

 周りの通行人は、面倒事はごめんだとばかりに足を早めている。



 何たる好機か。


 まさかこんな所で吉留と会えるとは。彼女には 謝らなければいけないことがある。

 それに、ここで動かずして何が紳士か。


 そんな思いから、気づけば身体は彼女の元へと向かっていた。

 大丈夫。そう自分に言い聞かせる。

 幾度となく、夜、ベッドの中でシミュレーションしてきたことだ。

 今こそ、その成果を遺憾無く発揮する時。


 切符を購入しようと出しっぱなしだった財布を仕舞いながら、足を動かす。

 

 それがいけなかった。


 一昨日運んだ段ボールの重量は、僕の両腕にしっかりとダメージを残していた。この二日間、筋肉痛で苦しんでいたのに、その時ばかりは失念していたのだ。

 

 財布のチャックを閉じようと指をかけた刹那、筋肉痛のせいで変に力んでしまった。

 チャリンチャリンと音を立てて、小銭が落ちていく。


 吉留の目の前で、である。


「あ、あああ!」


 我ながら情けない悲鳴が口から漏れ出ていく。


「うおっ! なんだ?」


 足下を転がる小銭に、男性は狼狽える。


「すみません。本当にすみません」


 僕はすぐさま謝罪の言葉を並びたて、彼の前に這いつくばり、小銭を拾う。


 思いがけなく、状況を混乱させることが出来た。

 シミュレーションとはだいぶ違うが、まあ良いだろう。

 

 僕はちらりと背後の吉留に目配せする。

 それに対し、彼女は何か察したようにはっとする。


「あの、すみませんでした。失礼します!」

「あ、おい!」


 言い終わると同時に彼女は走りだした。

 男性は追いかけようとするが、そうは僕が許さない。

すみませんすみません、と退魔の呪文を唱えるようにして、彼の足下の小銭を、一枚一枚時間をかけて拾っていく。

 やがて彼は諦めてしまったのか、未だすみませんと言っている僕を尻目に、改札の向こう側へと去っていった。



 ようやく全て拾い終わって身体を起こすと、出口の方から吉留がこちらを伺っていた。

 僕は深呼吸して気持ちを整えた後、彼女に向かって歩みを進めた。


「大丈夫だった?」

「うん。助けてくれてありがとう」


 そして、いつものような沈黙が下りてくる。

 だが、今日の僕はひと味もふた味も違うのだ。

 筋肉痛で痛む腕に力を入れ、己を鼓舞する。


「あの、さ」


 僕は彼女の目を真っ直ぐに見て言う。


「折角だし、お茶でもどうかな」


 ◇◆◇

 

 結果から言うならば、その日僕は初金星を挙げた。


 それからら色々なことがあって、僕にとってはその一つ一つがかけがえのないものとなるのだけれど、それを詳細に語るのは、これもまた今回の趣旨とは逸れてしまうので、多くは話さないでおく。



 いつの間にやら、昼休みにおける石川との席交換は恒例となってしまっていた。

 今日もいつものようにお手洗いから帰ってきてみれば彼女によって僕の席は占領されている。

 僕は一言断って、机から弁当箱を取り出した。

 それにしても彼女達は僕という異物が混入しているにもかかわらず、勢いを落とすことなく談義にふけっている。

 盗み聞きの趣味は無いが、近くにいる以上会話というものは嫌でも聞こえてしまう。


 なんでも石川に好きぴとやらができたらしい。

 

 めでたいことだ。


 そう思いつつ目的のものを手に入れ、その場から離れようとした時、石川が友人らに対し、自慢げに見せびらかすスマホの画面が目に入った。

 一瞬だったが、何故かそこには小林が写っているように見えた。


 ところで僕はといえば、先程席交換とは言ったけれど石川の席に向かうことはなく、弁当箱を携えて教室を後にした。


 向かう先は中庭のベンチである。


 ここは人があまり寄り付かず、逢い引きにはもってこいの場所であった。

 

 辿り着いた頃には先客がいた。


 近付くにつれ、その影は大きくなっていく。


 彼女は僕を認めると、読んでいた文庫をパタリと閉じる。


 そして、照れくさそうに手を振った。



 そういえば僕には最近困ったことがある。



それは、チラリズムよりも僕を虜にするものができてしまった、ということだ。




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