二十

 昼は三時を過ぎようとしていた。相変わらず電車が動く気配はなかった。待合室の横にあるコンビニで買ったコーヒーを飲み、足早に積もっていく雪を見ながら、投稿サイトで連載していた小説のことについて考えた。加筆修正をして一冊の同人誌にまとめようと決めた、様々な苦難を乗り越えて文化祭で漫才を披露する、ふたりの高校生を描いた青春小説のことを。

 

 この青春小説の続篇を書きはじめたのは、昨年の十二月のことだ。五十話くらいを完結の目処としているのだが、それ以上の話数を必要とするのではないかと思いはじめていた。そしてこの続篇となる(シーズン3ともいえる)作品では、もうひとつの連載作である、大学院生の研究生活と恋愛模様を描いた小説と、交差させるものを作りたいと考えていた。


 しかしそのとき、わたしの目の前に茫洋ぼうようとした暗い砂漠が広がった。その大学院を舞台にした小説というのは、あるライトノベルレーベルの新人賞に応募する作品に仕上げる予定でいた。それを目標に執筆してきたはずなのだが、どうしても規定文字数をオーバーしてしまうため、連載へと回してしまったのだ。つまり、プロになるという夢を叶えるための第一歩を、この手で払いのけてしまったという形になる。ようは、妥協をしたのだ、中途半端に取り組んでいたのだ。


 こんな意志の軟弱さを撤廃しなければ、夢へと向かう道筋を組み立てることはできない。こんな、どうしようもないわたしを、わらってくれる聖人はいないか。わたしはいま、超越的な存在を信じたい気分だった。というより、必要としたかった。自分だけでは、自分自身を鞭打つことができない。打てたとしても、甘くつだけだ。稲妻で貫くような一撃で、わたしを叱咤してくれる何者かが現れてくれないものか。それならば、たとえ地獄の獄卒であってもかまわない。


 H方面へ向かう電車は、本日は動かない、というアナウンスが流れたのは、四時頃だった。郷里に帰るには、海沿いを走り、山を抜けていくルートしかない。従って、バスも運休しているし、だれかに迎えにきてもらうこともできない。しかし引き返そうにも、特急も止まってしまい、東部へ行くことも、下宿先に戻ることもできそうになかった。


 が、近場にあるビジネスホテルは、幸運にもいくつか部屋が空いていた。母に電話で事情を説明し、駅から徒歩五分程度のところにある、そのホテルの六階で、身体を休めた。


 持病の腰痛がうずきはじめていた。コンビニに夜ごはんを買いに行くことすら難儀だった。しかしお腹にはもう、カツカレーは残っていなかった。とりあえず、痛みが引くのを待とうと、ベッドの上にうつ伏せになった。そうしているうちに、眠気を感じはじめた。部屋に入り真っ先に浴びたシャワーのおかげかもしれない。ここ数日の疲労と憂鬱と、その中で味わったよろこびと感動とが、万華鏡のようにまぶたの裏に映った。


 容赦なく窓に打ちつけてくる吹雪は、五時の暗やみのなかに姿を隠してはいるものの、びゅうびゅうと音を立てて、わたしの意識のうちへも浸潤しんじゅんしてきていた。


 わたしの頭の中で、結婚の二字が速度を緩めた風車のように廻転かいてんしていた。もう三十歳を目の前にしている。家族はわたしの結婚を望んでいる。円山の説を信じるならば、親友が恋人へ転化することは有り得ないことではない。最後に見た鹿野の姿を思い浮かべようとする。声ばかり聞いているせいで、どういう風采ふうさいをしていたのかは、もうはっきりとしない(そして向こうも、わたしの風采を覚えていないだろう)。しかし彼女に会うことは、どこか恐ろしいことのように感じられた。


 疲労の色は、溶解できぬほど濃くなっているようだ。鹿野を親友ではない関係として措定そていしようとする想像など、いままでしたことはなかった。円山と食事をしたこと、深野と軽く話をしたこと、このふたつの思いがけない出来事が、わたしのこころの平衡へいこうを奪ってしまっているらしい。枕に顔を押しつけて、ぎゅっと目をつむる。邪念を振り払い、大風に耳を傾け、積もりゆく雪のことを思い描いてみる。すると、いつしか微笑をしている自分を見出した。


「もしいまが、世紀末だったなら……」

 世紀末だったなら、わたしは、どのような遺稿を書いたことだろう?

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