十九

『結婚なんてダルいんだよね。かりに、あーしの仕事にプラスになるのなら考えなくもないけど、デメリットに感じた瞬間、スパッと別れると思うし。だから、結婚なんて向いてない。実家に帰ると、結婚のことを言われそうだし、もう半音信不通の状態にしてる』

「そこまで割り切れるのって、すごいよね。わたしにはできない」


『洋ちゃんは、結婚したいの?』

「わたしはしたいとは思わないけど、ひとりっ子だし、家族を安心させる意味でも、いずれはしないといけない……とは考えてる」


『それは、どんな相手でもいいってこと?』

「そういうわけではないけれど……だけど、いずれは結婚をしないと、家族は安心して死ぬことができないと思うし、それは、親からもあんに言われていることでもあるから」


『あーしは、恵まれてるんだなあ。いくら親と距離を置いて生きていても、痛くもかゆくもないし、これから断交し続けてもべつにいいと思っているし、実際、そうなっても困らない。家族への愛情なんて皆無だし、もうすっかり自立して生きていけるからね。だから、洋ちゃんの悩みは、どうしても自分事のように考えられないな』


 ――このような会話を、鹿野としたのを覚えている。


 待合室の横にあるコンビニで買ったお茶は、ぬるくもなく熱くもなく、暖簾のれんを腕で押したような気分だった。円山と食事をして戻ってきてもなお、郷里へ向かう電車は運休していた。すると、また知り合いが目の前に現れた。


 それは、深野ふかのだった。彼はわたしの顔をまじまじと見て、その素性を確認してから、「おい、久しぶり」と声をかけてきた。その不躾ぶしつけな仕草に、どこか愛らしさを感じたが、相変わらずの横柄おうへいな言葉遣いには、いくらか辟易へきえきとしてしまった。


「俺も実家に帰るんだけど、荻山は反対の方だろう。電車は動いてないし、今日はどこかに泊まるのを覚悟するんだな。車も通れないみたいだから」

「そこまでひどいの?」

「ひどい。明日もどうなるか分からん。この辺まで大雪になって、Mにまで戻れなくなるとかもしれないから、さっさと引き返した方がいい。そうしないと、ここに何日もいることになるかもしれないし」


 深野はF行きの電車に乗るとのことで、あと十数分のあいだの暇つぶしとして、わたしを標的にすることにしたらしい。無遠慮にプライベートのことをやたらといてくるので、「深野はどうなの?」という反問でかわした。


 すると、滔々とうとうと自らの経歴を語りだした。有名国立大学を卒業したあと、もう一度、別の大学の経済学部に入り直したとのこと。しかしいまは、ぶらぶらとしているらしい。半年前までは、海外をうろちょろしていたとのことだ。


 その、いくぶんかかげりを含みつつも、メッキのかかった経歴は、羨望というより恐ろしさのようなものを、わたしに与えた。それは、彼の話のなかに「家族」のことが一度も挿入されなかったからだと思う。自分は、あくまで自立した主体なのだと演じている。家族の苦労を押しのけて、虚構化した経歴を話している。


 わたしの人生は、家族の多大なる支えなしでは営むことができなかった。だから、「自分以外」のことを捨象して塑像そぞうされる経歴ほど、わたしのこころを動かさないものはない。


「結婚もしたいんだけどね、いまは稼ぎがないから」

「他人の人生を背負うのって、責任がいるからね」

「そう。いままでの経験をいかして、いい仕事に就けるといいのだけれど」

「法学部と経済学部をでて、少しとはいえ海外で生活をしていたのなら、なにかしらの就職口がありそうだけれど……」

「そうでもないよ。荻山は社会というものを甘く見てるんだよ。地に足が着いていない」


 世間から見れば自分は「遊び人」にしか見えない。たしかに知識も語学の実力もあるが、こうした能力を活かすことのできる仕事を見つけるのは難しく、なにより、長らく学生としての地位にいたこともネックになっている。


 そのようなことを、自己防衛の文句を挟みながら深野は弁じ立てた。自分が選択した進路なのだから、もっと誇りを持って話せばいいのにと思いながらも、周りから自分がどう見られるかということを意識してしまう心情は分からなくもない。


 病に苦しむ家族の世話をしながらも、小説を書きイベントに参加し、プロを目指している……ということを話せば、わたしのこころのうちに反して、親不孝者に思われるかもしれない。だからこそ、物書きをしているということは伏せることが多い。わたしは深野に、はじめて感情移入のようなものを抱いた。


「じゃあ、もう行こう。また同窓会とかがあれば、そのときに」


 そう、そっけなく言い捨てる深野の後ろ姿を見送ることもなく、スマホを取りだして気象情報を調べた。そして、ローカルバスの運行状況や、近隣にあるビジネスホテルの空き室の有無などもチェックした。


 突風に晒されて悲鳴をあげる二人組の女性が、待合室に入ってきた。そして、足早にわたしの前を通り過ぎていった。目の前の床に、点綴てんていと雨染みができている。

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