十八

 T駅のプラットホームに吹きすさぶ風は、あまりにも鋭く冷たく、日本海側の冬とはかくあるべきということを、まざまざと感じさせた。


 もう昼時ということもあり、どこかで腹ごしらえをしたいという気持ちもないではなかった。困ったことに、Tから、わたしの郷里のHへと向かうローカル線は、しばらく運休となっていた。どうやら、そこら一帯は大雪になっているらしい。


 とりあえず、まずは腹ごしらえをしようと、改札を抜けて駅の近くにあるコンビニに向けて黙然もくねんと歩いていった。すると、何者かに肩を叩かれた。振り返ると円山まるやまがいて「やあ」と、軽佻浮薄けいちょうふはくともフレンドリーとも取れる音韻おんいんで呼びかけてきた。


「それなら、豚カツを食べに行こう。久しぶりだから、話したいことはいくつもあるから」


 わたしがここにいる事情を、嘘を紛らせながら説明すると、円山はそう提案した。彼はこれから、甥の見舞いに行くとのことだったが、面会の時間まで暇をしていたので、わたしを見つけて「よい暇つぶしになった」と、からかってきた。


 コートのポケットに手をつっこんだ円山は、太平洋側とこちら側の寒さの違いについて弁じ立てたかと思うと、「いまどきの生徒は……」という導入から社会問題を論じはじめた。英語教師である彼は、わたしが通っていた高校で最も英語の成績がよく、大学では英米文学を専攻していたらしい。大学院に進学するかどうか迷ったが、はやく働いてほしいという親の意向をんだとのことだ。


「荻山の後ろ姿は、忘れようにも忘れられない。別人だったとしてもいいから、思い切って話しかけたら、間違いなく荻山だった。自分の嗅覚は、たいしたものだ」


 豚カツ屋さんに入り奥のテーブルに座ると、円山は、度の強い眼鏡のつるに右手をあてながらメニュー票を「検分」しはじめた。決して明るいとはいえない店内であったが、雪曇りの昼のうす暗さも相まって、の表面はやけに寂しく、黙然と鈍く光っていた。コートの下に桃色のセーターを着ていた円山は、隠しきれぬ誇らしさをリフレクトした口調で、「嫁さんが誕生日に買ってくれたんだ」と言った。


「二歳年上の国語の先生で、いまも共働きなんだけれど、それだけにというのかな、とにかく時間のが、ほとんどないものだから、幸せな日々を送っているよ。いずれ、顔を合わせることに飽きる日が来ると友人たちは言うのだけれど、まだまだそんな気配はないね」


 円山は氷の入っていないに口をつけて、「ぬるいな」と言って顔をしかめた。そしてもう一口飲んで、「荻山は結婚していないのか?」と、不躾ぶしつけいてきた。


「周りの友人にだって、ひとりもいないよ」

 正直に答えると、円山は眉間に深刻な調べを走らせた。

「荻山も、もうすぐ三十になるだろう。そろそろ身を固めた方がいいんじゃないか。このまましていると、孤独のまま老いてしまうぞ」

「そうなれば、そのときだよ。べつに、パートナーがいなくても、周りに信頼できるひとがいれば、生きていけないことはないだろうから」

 それにいまは、家族のことがあるから……などという言葉は飲み込んだ。


 わたしの家庭の事情について、円山には話したくなかった。弱みを見せることになる、などということを心配したからではない。たんに、愚にもつかぬ無責任な助言や、即物的な憐れみを受けるのがイヤなのだ。わたしの家族のことは、わたしだけが深刻に考え、真剣に向き合い、喜怒哀楽に振り回され、歔欷きょきし号泣し嗚咽おえつし、苦しみたいのだ。それが、わたしの責任のように思うのだ。


「周りに、結婚に相応しそうな相手はいないのか。たとえば……」

「たとえば?」

「友だちでもいいんだよ。友だちから恋愛に発展する……というか、発展させることもできる」


 こんな無責任な提案は、聞き流すだけでいい。適当に相槌あいづちを打ちながら、並盛りのカツカレーを食してしまうと、駅とは反対方向にある病院へ行く円山と店の前でさっさと別れた。


 粉雪がちらちらと舞いはじめた道を、ポケットに手を突っ込んで歩きながら、家族のことを考えはじめた。すると忽然こつぜんと、鹿野のことが頭に浮かんだ。

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