十五

 同人誌を求めて、たくさんの人たちが入場口から入ってきた。わたしがここに着いたときには、待機をしているひとが何人もいたから、このイベントを待ち望んでいたひとは大勢いるのだろう。しかしその人たちの目的のサークルのなかに、わたしはいない。いつか、わたしがサークル参加をするという理由で、イベントを訪れてくれるファンができることを、願ってやまない。


 いや、願うのではない。精一杯、努力をしなければならないのだ。努力は必ず報われるとは限らない。しかし、努力をしなければ、目標に近づくことはできない。成就する可能性は、1パーセントも生まれない。いまわたしにできることは、ひとりでも多くの方に、自分の同人誌を手に取っていただくことだ。


 入場口から遠い純文学エリアにも、人の流れがやってきた。しかしわたしのブースに立ち止まってくださる方は、なかなか現れなかった。むろん、周りのブースに立ち寄るひとは散見された。ひとり、孤島ことうにいる感じがしてしまう。それでも、手を前に組んで背筋を伸ばして立ったり、姿勢よく座ったりする。少しでも、第一印象を良くしようと努める。孤島にいるわたしにできることは、いまはこれくらいだ。


柴島しばしまさん、おひさしぶりです」


 わたしのブースを最初に訪れてくれたのは、目をぱっちりとさせた純朴な表情をした男性だった。爽やかなその見た目には、覚えがあった。


「あっ、おひさしぶりです。わたしが見落としていましたかね。サークル参加なされていたとは……」

「いえ! 今日は一般参加です!」


 わたしが「言い訳」をいい終わる前に、かぶせるように溌剌はつらつと返答した彼は、差し入れとしてクッキーを渡してくれた。この方は、毎回新刊を買ってくださる方で、わたしがSNSをはじめた当初に知り合った、「物書き」のうちのひとりだ。あのころの知りあいのと、すっかり断交しているいま、こうした付き合いがあるのは、彼くらいである。


 彼が来てくださったことを潮に、わたしのブースにも、少しずつひとが立ち寄ってくださるようになった。見本をぺらぺらとめくっただけで、無言で去ってしまうひともいたが、貴重なお金を使ってくださる方もいて、心の底から感謝感激であった。そして、ふたつの掌篇小説集のうちひとつが完売した。在庫がなくなった同人誌は、これがはじめてだった。


 わたしは、ブースに立てかけたお品書きに「完売」の文字を記した。感慨の念をふところにしまいながら、この二文字を、少々大きく記入したのである。周りのサークルは、既にほとんどの同人誌を完売させており、追いついたという、解放された気分にもなった。ひそかに、劣等感を覚えていたがゆえに。


 いままで、何度もイベントに参加してきた。しかし、なかなか同人誌を手に取っていただけなかった。思いだすのは、前回のイベントのときのことだ。痛む腰をかばい、とぼとぼと帰った夜道だ。あのときに比べれば、多少は高揚した気持ちを感じることができている。


 イベントが終わり、会場の後片付けをお手伝いさせていただいているときも、寂寞せきばくや悲痛は訪れてこなかった。だけれど、なにか物足りない気持ちがあった。そしてその正体を突き止めたが最後、あのときのような寂寥せきりょうに捕らわれてしまうだろうという危惧があった。


 帰り道は夕焼けに照らされており、夜闇が忍び込むすきを与えていなかった。まだ一月である。陽が延びたわけではない。前回より閉幕がはやかったのだ。


 地下鉄に乗り込む。ホテルへの道を踏んでいく。時間を経るごとに、わたしの力不足を実感してきたのだ。自作への劣等感や、お金をいただいたことへの申し訳なさのようなものが、を縁取っていく。今回もまた、猛烈な内省を、決して切り離せない影のようにして引きずっている。


 つまらない小説を書いている。読むに値しない物語を紡いでいる。自虐ではない。これは事実だ。そして、事実であるべきなのだ。いままで作ってきたのは、わたしの才能のなさが結晶化した同人誌だ。お金をいただいていることが、申し訳ない。捨てて燃やしてくれてもかまわない。


 結句、わたしは、自分を肯定することができない。比較する対象が、あるかぎり。


     *     *     *


『あーしは、そういう考え方は嫌いだし、言葉に出すに値しないものだと思うけどな。洋ちゃんは、そういう思考を展開することで、読者を愚弄しているって気付かないのかな。だとしたらがっかりだし、そんな泣き言を聞かせられる暇はないから、もう通話を切ってしまいたいくらい。ねえ、卑屈になるということは、だれかをバカにするということと、表裏一体なんだよ』


 この鹿野の言葉を肯定するだけの勇気が、いまのわたしにはなかった。しかし、正しいとは思った。わたしはホテルの一室で、鹿野としばらく通話をするという幸運を得ることができた。きっと、ひとりで孤独を抱えることはできなかったであろう。

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