ある文学賞に応募する小説を書き進めようと、インスタントコーヒーにお湯を注いでいると、上の階の住人の足音がドンドンドンと強く響いてきた。椅子に座り時計を見ると9時に近づこうとしていた。コラボ配信の時間に間に合った。いつでも寝られるという安心感からか、あれだけ感じていた眠気も通り雨のように止んでしまっていた。ラジオ感覚で配信を流し、寝落ちするまで執筆をしようと決めて、パソコンを立ち上げた。


 百十枚まで手をつけた原稿だが、これでようやく折り返しになったところだ。物語の見取図と照らし合わせてみると、冗長してしまうことはないだろうが、逆に足りない気もしなくもない。長篇小説の公募に挑むのは初めてだということもあり、これでよいという確証はひとつとして持つことができない。山の中腹で霧が漂いはじめたときのように、下ろうか上ろうかと右往左往しているという感じだ。それでも、進んでいることはたしかだった。立ち止まっていないことは事実だった。このことに対して、わたしは満足を覚えていないことはなかった。


 しかしなぜ、眠気は収まったとはいえ、腰の痛みと疲労を抱えてまで執筆をしているのだろう。今日くらいは、自分を甘やかしてもいいはずだ。美味しいものを食べるなり、テレビをだらだらと観るなりしてもバチは当たるまい。いつもなら自分をとがめざるをえない「懈怠けたい」ともいえるものを、うまく正当化することができるはずだ。しかしわたしは、公募に出す原稿を書き進めている。その理由はひとつだ。プロになりたい。その一心で、こうしてキーを打鍵しているのだ。


 早くプロになりたい。もうすぐ三十歳という節目を迎える。それまでにはプロになる「手がかり」をつかんでおきたい。その焦りが、身体を鞭打っての執筆に繋がっているのは明らかだ。わたしは、恩人である先生と一緒に仕事をしたいのだ。自分の本の表紙と挿絵を描いていただきたいのだ。しかし、いくら書いても上達している気にならないし、その引け目を新刊にまで持ち込んでしまった自分がゆるせない。最低の出来とは言わないまでも、もっと良いものに仕上げることができたのではないかという後悔が、いまこうしているときもまとわりつく。


 配信の画面に目を向けるたびに、完成に向けて迷うことなくペンを進めるR先生の美麗なイラストが眼に入る。左にR先生の描いている「娘」のイラストが、右には「娘」によるR先生のイラストが全貌を現わしはじめている。お互いのファンアートを描いている。軽快なトークも、わたしのこころに爽快な気分を吹き込んでくれる。そのおかげだろうか。眠っていたはずの睡眠欲が音を立てて起き出してきて、わたしは身体が求めるままに、ベッドの上に倒れこんだ。


     *     *     *


 電気は消えていたが、原稿のファイルと配信は開いたままだった。配信画面には、ほとんど完成しているイラストがふたつ映しだされている。これはアーカイブではない。パソコンを置いた机の上にある時計を、電気スタンドの首をひねって見やると、一時間しか眠っていなかったのだと分かる。疲れていればいるほど、眠りが浅くなってしまうというのは昔からのことで、泥のような睡眠を貪ってしまうのは、イベントの翌々日くらいからのことが多かった。そして一週間は、慢性的な眠気に悩まされることになるのが常だった。


 すぐに疲労が快復しない身体になってしまった。もう徹夜もできなくなった。食の好みは変わらないが、若かりしときより消化が遅くなった。肩こりと腰痛はしつこくつきまとい、咳と嗚咽おえつにも悩まされることが増えた。しかしこのふたつは、歳というより精神的な問題らしかった。ストレスなどが原因となり、咳が止まらなくなったり、嗚咽を繰り返したりしている。事実、一度たりとも胃のなかからかたまりが吐き出されたことはなかった。酸味のある液体が逆流してくるだけだった。この症状とは、かれこれ三年は付き合っている。


 精神科から処方されている薬は微少な増減はあるものの、一度もゼロになることはなかった。不安を解消するための頓服と、抗うつ剤だけは、いままで外されたことはなかった。それがもう十年以上は続いている。しかし、家庭の悲劇と将来の不安が重なり精神がボロボロになりかけているいまは、抗うつ剤は、飲んでから4時間くらいしか効き目がないこともあった。夜になると、抗うつ剤を飲みたくてたまらなくなる。


 それでも、睡眠薬だけはかたくなに拒み続けた。実家には、いつ病気が悪化するか分からない家族がいる。もし、深夜に家族が倒れたことに気付かなかったら、睡眠薬はそれによる「死」の責任を引き受けてくれるのか?


 上の階からドンドンという足音と、勢いよく戸を開いたり閉めたりする音がはっきりと聞こえてきた。トイレにいったのだろう。この住人は早朝になると、ボーリングの球を落としているのではないかと思うほどの騒音を、一時間近く続けるなどをして、わたしを酷く困らせていた。


 他方で一階の住人は、「体調不良になるほど」の騒音を、わたしが起こしていると管理会社に通報する人物だった。しかしその住人が迷惑しているという時間は、わたしが部屋を空けているときばかりだった。わたしはそう抗弁しているのだが、管理会社は一階の住人に深く肩入れをしているらしく、一向にこちらの言い分を聞いてくれない。


 ある時は、お盆の間に信じられないくらいの騒音を立てていたと非難してきたが、その期間はずっと実家にいた。それは、家族と友人が知っていることだ。そのことも担当者に伝えたのであるが、半笑いで「承知しました」と言われただけで電話を切られてしまった。


 そんな不愉快があったとしても、もう引っ越しをする余裕なんてなかった。時間がないのはもちろんだが、環境を変えることにより生じるストレスは、家庭の悲劇と累進して、わたしを自刃じしんさせかねない。


 いま思えば、何度も死にたいと思ってきた半生だった。自分の性格と置かれていた環境が見事に背反してきた。もし研究を続けていたとしても、いずれその背反がわたしの首を絞めていたかもしれない。しかしいまは、年老いて病気を抱えた家族を看取みとるのが自分の責任のように感じているし、先立とうという気持ちはひとつもない。わたしの心身が健康になることはないとしても。

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