四
吊革に
しかし、すぐに強烈な眠気が襲ってくる。駅に停まるたびにどこかの席が空いていないかを確認するが、空席がないばかりか、降車する客より多くの人が乗りこんでくる。車内は身動きがとれないほど混雑していた。
車内の誰もが口を利かず、もし線路の上を電車が浮いていたとしたら、水を打ったように静かになるかもしれない。それでも時折、もの悲しい咳払いの音がどこからか聞こえてきた。電車が行き違うときの押し出されていくような揺れに、わたし自身も後ろへと吹き飛ばされそうになった。それは身体から魂が抜けていくような心持ちだった。
しかし不思議なことに、だんだんと眠気はなくなっていき、かわりに落ち着かないくらいの不安に襲われはじめた。それは、会場から距離がはなれていくにつれて、
自分の不甲斐なさと、傲慢さと、うぬぼれのことを冷静に分析しようとしたならば、熱湯をかけられたかのように身もだえをする、くらいのことでは済まないであろう。今日の総括は、
夜道はひっそりとしていた。人がいないわけではない。店が軒並み閉まっているわけでもない。しかし、わたしの気持ちを晴れやかにしてくれるような、明るく響く音はひとつもない。
歩道橋の下を行き交う車のエンジン音も、コンビニの自動ドアが開くとともに流れてくるメロディも、スーツの上にコートを着た男性の咳払いも、悲しく聞こえてならない。わたしの足音もすっかり疲れ切っているし、ライトに当てられて
玄関にリュックを置いたとき、このなかに多くのものが詰まっていて、その重たさを
帰り道に、わたしを脅かし続けていたのは、この色とりどりの
自作の同人誌を手に取っていただくには、イベントまでにどれくらい宣伝をするかが重要である。と同時に、目に入ったときに好印象を与えるようなブースでなければならない。そうしたことを痛感させられた。
知り合いの物書きの人たちは、販売する同人誌をまとめた「お品書き」をSNSに投稿するに際して、書影の配置や全体の色味のバランスに注意を払いながら、デコレーションを加えるなどして、かなりの気合いを見せていた。
一方のわたしは、書影を画一に並べてタイトルと値段を書いただけの質素なもので、いま見返してもだれの心にも訴求しないようなものである。手に取ってもらう気がないと
こうした事前のアピールはもちろん、挨拶に
わたしは、必要最低限のものを並べただけのブースに、剥き出しの同人誌を用意しただけで、なんの無配物も特典も作っていなかった。こうしたところに、ファンが増えなければ、在庫がはけることもない理由がある。
今年一年を、プロになるための「勝負の年」と位置付けているにもかかわらず、こうした「サボり」をしてしまうところに、わたしの弱さがある。こんな情けない自分を慰めてくれる人はいない。だけれど、励ましの言葉をかけてほしいとは思わない。叱ってほしい。喝を入れてほしい。だがそんな贅沢を、誰が与えてくれるというのか。
作品はもちろん、人としても多くのひとに愛されるには、あのような情熱と気遣いが不可欠なのだろう。愛されるということは、難しい。それなりの距離で関係を結び生活を営んでいくということは、
好意を持たれるということは、相手の実生活を少しだけ
わたしには、それに
そもそも、わたしは愛されたいのだろうか。構ってもらいたいのだろうか。それは「
反省や振り返りというものを翌日に持ち越せるような余裕というか、当日の夜くらいは良い気分でいられるような「成果」がほしいのである。一体、そんな日はくるのだろうか。いつになったらわたしは、同人活動を心の底から楽しむことができるのだろうか。
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