サービスの福神漬けもラッキョウも入れることはなかった。むかしから漬物は好物だしカレーとチキンカツの濃い味にぴったりだ。それにこの日くらいは、烏龍茶を注文してもよかったはずだ。カウンター席で腰を丸めて、チキンカツとルーと白米をただかき込む姿は、とにかく食べものを胃に入れたいという本能のようなものを、まざまざと表している。


 ずっと吊革につかまっていたからだろうか。再び腰に強烈な痛みを覚えはじめた。まだ半分ほど空いている席には、遠慮無くコートやカバンが置かれている。設営に使用した道具により重たくなったリュックを、誰のどのような靴が踏んだかしれない足下から持ち上げたとき、ピリっと電流のようなものが、腰の中点あたりにひらめいた。一度リュックを下ろして深呼吸をしてから、恐る恐る背負い直してこの店を後にした。


 腰をさらに痛めないように気をつけながら階段を上がった。ホームは長蛇の列をいくつも作っていた。やたら混んでいることが気になったが、レジャー施設やデパートなど休日に行くに相応しい所が多いYだから、それほど不自然ではないのかもしれない。いや、昔のようにYへ度々足を運ばなくなったからこそ、違和感があるように見えるのかもしれない。冷たい風が吹くなかで、強い眠気を感じながら、そんなことを思ったりした。


 黄色い線の内側へと退くように注意する駅員さんの声が、いいも知れない感傷を刺激してくる。電車が到着するたびに危険を報せている。ホームにいる人々はその労苦に敬意を払おうともしない。ごく当たり前な光景と化したことで認識から抜け落ちてしまうものは、あまりに多いのかもしれない。


 腰の痛みと眠気と、イベント中から感じ続けた様々な不安が相俟あいまったことで、忘れ去っていた事実を発見したのだろうか。働くことへの敬意と責任を全うすることの重みというものが、弱り切った心中に去来しては、自分の身の上を刺激してくる。


 あれは、昨年の冬のことだ。そのときのわたしは、ある制度を使って大学院に在籍して研究を進めていた。来年こそ博士課程に進もうと意気込んでいた。十二月に開催される研究発表会は、試験に影響することはなにもないだろうが、研究科の教員に自分の研究の意義をアピールするチャンスであった。そのため、気合いを入れて発表の準備をしていたのだが、そんなときに「あの手紙」が届いた。


 それは、母からの手紙だった。しかし実家から送られたものでないことは、封筒の裏面と消印で分かった。なにか不吉な予感を受けとったわたしは、買い物を行くのをやめてすぐに引き返し玄関の心細い明かりで手紙を読みはじめた。するとそこに書かれていたのは、母が入院したという報せだった。


 入院をしたということを報せれば、研究に集中できなくなってしまうと思い、そのことは伏せていたらしい。しかしこれから先のことを考えると不安になってしまい、黙っていることはできず、入院先の病院で手紙を書いたのだという。


 わたしは不孝ながら、研究発表会が終わるまで、それを知りたくなかったと思ってしまった。事実、それからというもの、発表の準備が手につかなくなった。そして結果的に、本番では、所定の時間をオーバーするという失態まで犯してしまった。


 だがその研究発表会では、もうひとつ重大な事件が起こった。それは質疑応答のときのことだ。わたしの発表に対してある教員が「きみのしていることは研究ではない」と言い放った。そしてそれだけではなく、自分の「研究観」みたいなものを何分間にも渡り演説しはじめたのである。


 わたしが反論をする時間は残されていなかったため、取り急ぎで「今後の研究の参考にさせていただきます」という風に返した。するとその教員は、怒気をはらんだ表情を急に寛解させたかと思うと、「そうしてください」と、まるで口げんかで言い負かしたかのように、傲然ごうぜんと切り捨てたのである。


 後日、わたしの指導教員は怒りを露わにした。わたしにではなく、演説をした教員に対してである。自分の「研究観」を押しつけるのは、学生を萎縮いしゅくさせてしまうと断じた。そしてわたしに対し、ここではやっていくのは難しいから、ほかの大学に行くべきだと勧めてきた。いつもは悠然と構えている先生が、このときだけは冷静さを失していた。


 しかし、他大学への進学を準備するには、あまりに時間がなさすぎた。進学先がいつ決まるかも分からないし、制度上、来年度からはこの大学に残ることはできない。


 そして家庭のことを考えると、未確定の未来に飛びこむより、家族を支えるという選択の方が現実的だし、そうあるべきだと思った。そうして、研究者になるという夢をあきらめて、いまは、家族の世話をしながら自分の生活を成り立たせる日常を送っているのである。


 いまはもう、研究に対する未練はない。と言い切れるのは、あれから半年以上を経ているからなのかもしれない。もう研究をしていたころの感覚は失している。それに度重なる家庭の悲劇は、未練たらしい回顧をしている暇を与えないのだ。

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