第29話 俺はいったいどうしたらいい?

 大太刀おおだちの怪人――


 そう彼女が口にした時、その美しく整った顔が僅かに引きつり、手綱を握る手が僅かに震えていた。


 その時の俺は、大太刀の怪人がどれほど恐ろしい奴なのかをまだはっきりとは知らなかった。でもさ……こっちは毒姫や琉兄弟だけじゃない。周りの騎士達だって大太刀の怪人は敵のはずなんだ。流石に多少の被害は出るかもしれないけど、これだけの手練てだれが集まってるんだ。やってやれないことは無い。


 どうしようもなくあまちゃんの俺は、彼女が横でどれほど深刻な顔をしようとも、そうたかを括っていた。


「ねぇクオン。私達の旅もこれで終わりかもね。」


 そう言って彼女が柄にもなく弱気な言葉を繰り出した時も……バカな俺はやっぱり真剣に取り合おうとしなかった。


「何を気弱なこと言ってるんだ。騎士が百人も居るんだぞ。さすがの怪人だってわけないだろ。」


「そんなことない……。貴方はあいつを見たことが無いからそう簡単に言えるのよ。彼の強さは規格外よ。邪教の長老達でもまともに渡り合えるかどうか……。」


「まさか……君は心配しすぎだよ。」


 そう言えば、その時の彼女は、いくら言っても真剣に聞き入れようとしない俺を悲しげな顔で見ていた。今にして思えばあの場所で今の状況を完全に理解していたのは彼女だけだったのかも知れない……。


 俺の懐には、怪人が襲ってくる前に彼女が手渡してくれた一粒の丸薬が入っている。


「もしこの場を上手く脱出できて、あなたがもう一度私と一緒に旅をしたいって、そう思ったならこの丸薬を飲んで。でももしそうじゃ無ければその薬は捨ててもらっても構わない。」


 あの時に姫は、たしかそんな事を言っていたな……。まさかお得意の毒ってことはないだろうが、別れ際のプレゼントが薬なんていかにも彼女らしいじゃないか。




 あの時――


 あの時。獣の咆哮にも似た雄叫びとともに大太刀の怪人は俺達の前に現れた。霧の中で慌てて陣形を組む騎士達。まだ見えはしないが音で分かる。そしてそのはるか後ろにいた俺もその響き渡る咆哮を聞いた。


 全身が泡立つとはまさにこのことだった。辺りの空気がビリビリと震え、その直後に全身を突き抜けるナニかが、俺の身体を震え上がらせた。おそらくそれは理屈では無い遺伝子レベルに植え付けられた恐怖だ。蛇に睨まれた蛙とでも言ったらいいのだろうか。その時、俺の身体は硬直し強張ったまま身動き一つ出来なくなってしまっていた。


 それを察知した琉兄弟と毒姫は、咆哮一発でびびってしまった俺の前に、咄嗟に躍り出た。


「さて、おいでなすったな。」


「クオンの兄貴。おそらく奴の目的はあんただ。俺達の後ろにつきな。」


 そう言いながら彼らは俺を守る姿勢を取ってれぞれに武器を構えて怪人を待ち受ける。情けないことだが俺はこの危機的状況で仲間三人に守られながら、ようやく金縛りから開放された。そして震える身体に気合を入れ直すと、俺は遅れて背中の大刀を引き抜いた。


 しかし――


 なんだよ。あの声のが人間の物だって?想像とまったく違うじゃないか。ティラノサウルスの間違いだろ?俺は昔に見た映画のワンシーンを思いだして心の中でそう叫んでいた。

 

「腑抜けてないで。ちゃんと気を張ってないと圧倒されて今みたいに動けなくなるわよ。気を付けなさい。」


 すぐさま腰の引けた俺に、姫の言葉飛ぶ。


「分かったよ!気を張ればいいんだろ。」


 俺は半ばやけくそになってそう答えた。辺りを見回せば誰一人として腰の引けてる奴はいない。俺以外は皆んな覚悟を決めっているってことか……。


 なら俺だって――


「まったく……王都の新米騎士様は本気になるのに時間がかかるのね。」


「悪かったな。でももう大丈夫だ。あいつの馬鹿でかい声でも何でも気合で乗り越えりゃ良いんだろ。やってやる。」


 煽る姫の言葉に俺は自信たっぷりにそう答えた。


 そう言えばこのやり取り……彼女と初めて出会った時もこんな感じだった。俺はあの時もめいいっぱいの虚勢をはっていた。ついこの間の出来事なのに何故か懐かしい気持ちになる。そして邪教の男を一刀のもとに斬り伏せたあの時の高揚感。それを俺は再び思い出していた。


 俺の覚悟は決まった。



「姫。毒の方は?」


 琉大リュウタイが獲物の二本の鉄扇を構えながら脇に立つ毒姫に向かって尋ねる。


「残念だけど、こう霧が深くちゃ吹き矢も狙えないわ。剣に毒は仕込んであるけど……はたして当てることができるかしら。」


「私が奴の気を引き付けます。姫はそのスキに剣でも暗器でも好きなだけ打込んでやって下さいまし。」


「やれるだけやってみるわ。でもあまり期待はしないで。」


「で、奥の手は?」


「奥の手は二つ。でも正直なところ今は使いたくは無いわね。」


「了解した。」


 阿吽の呼吸でお互いの動きを確認する場馴れした二人の会話を聞きながら、俺はあらためて父親の形見の刀をしっかりと握り締めた。俺にだって出来ることが有るはずだ。


「おい。俺はいったいどうしたらいい?」


 直ぐに三人の言葉が返ってくる。


「そりゃあ当然、兄貴はあれでしょうなぁ。」


 まず、曲刀を構えたまま黙って二人の話しを聞いているだけだった琉三リュウサンが、笑いながら言った。


「あぁ。クオン兄貴にはあれしかないもんな。」


 琉三の言葉に続けて、からかう様な口振りで琉大が。そして……姫が。


「そうね。いざとなったら貴方のあの一撃に頼るかも知れない。だから好機だと感じたら躊躇しないで叩き込んでやって。」 

  

 何?


 あの毒姫が俺のことを頼るだと?


 くそっ。絶体絶命のピンチだって言うのにテンションが上がってしまうじゃないか。


 何故だろうか……彼女に頼ると言われただけでこんなに高揚するなんて――しかし今はそんなを考えている暇は無い。


 よし。狙うは馬までも切り倒したあの時の一発だ。今回も上手く行く保証なんてどこにも無い。しかしやらなければ殺られる。


 俺は全神経を集中して、刀を頭上に高々と持ち上げた。



 そして、再びあの咆哮が大地を覆った。次に前方から猛烈な風が俺達の間を吹き抜けたかと思うと、霧に覆われているはずだった前方の視界が一気に開ける。


 信じられない事に、怪人の振るう刀が放った闘気が霧を吹き飛ばしたのだ。


 来たっ。俺は怪人の咆哮と同時に全身からありったけの気合を放つ。今度は大丈夫だ。奴の闘気に押されてはいない。


 しかし……その時晴れた霧の合間に俺達が見たものは、陣形すら打ち破られ、劣勢れっせいに立たされた騎士達の姿だった。怪人の振るう刀はその凄まじい威力によって、周りを取り囲む騎士達の攻撃を一切寄せ付けない。その鬼神のような姿たるやまさに怪人。彼はまごうことなき大太刀の怪人であった。

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