出会いと別れと修行の日々

第28話 霧の中の行軍

 その日は霧の深い朝だった。宿の外に出た俺達を霧の中で一人出迎えたのは、昨日のしたたかそうな男とはまた違う物腰の丁寧な若い騎士だった。


「おはよう御座います。準備はもうよろしいのですか?」


 なんとも好感の持てる丁寧な青年騎士の姿に俺達は少々拍子抜けしたが、霧の奥に他の騎士達の気配を感じ再び気を引き締める。青年騎士の案内で俺達はそれぞれに一頭ずつの馬があてがわれ、ここからはこの青年騎士と護衛の騎士達と共に騎士団南方支部の支部長の邸宅へと案内されるようだ。


「あの……お一人でも大丈夫なのですか?」


 最後に馬に跨った俺に、若い騎士が少し戸惑った顔を向けてそう言った。


 そういえば、俺は目が見えない設定だった事を忘れていたのだ。慌てて琉大の馬に一緒に乗せてもらえばよかったかなぁ?なんてことを考えたんだが、今更取り繕っても意味はないか……昨日のおっさんにはバレていたんだから……。


 宿を出発した俺達は、騎士達に連れられるままに街道を南都バナークに向けて進んでいく。しかし、それにしても今日の霧は深い。俺達のほんの数十歩先を進む騎士たちの姿が、まだ明けて間もない太陽の光に照らされた淡い朱色のモヤに霞んでいる。少し目を離せば今にも消えてしまいそうだ。

 しかし……周りにいったい何人の騎士達がいるのだろうか。霧のせいで全容がまったく見えないのが困りものだ。馬の足音からすると結構な人数が自分達を取り囲んでいることは俺にも分かる。そしてその蹄の音に紛れてカチャカチャと聞こえる金属音。これは隊服の下に金属の武具を着込んでいる隊員が何人かいるのだろう。もしかしたら霧で霞んだ先には戦闘用の甲冑を着込んでいる者がいるのかも知れない。



「ねぇ師匠。このまま霧に紛れて逃げてしまえませんかねぇ。」


 背後から琉三の大きな声が聞こえた。彼は周りを取り囲む騎士達の事などお構いなしだ。

 本気で言っている訳でもないのだろうが、護衛とは言っているが敵に囲まれているというのに全く剛気な奴である。


 先刻から俺の横で、何かを考えるように難しい顔をしていた毒姫も、琉三リュウサンの大声を無視するわけにもいかず呆れ顔だ。


「ほんとに、そうできればいいんだけど……」


 そう、適当に言葉を返した。


 しかし、確かに俺達はそんな冗談が言えるような状態では無かった。この深い霧で隠れてはっきりと確認することは出来ないが相当数の騎士が俺達の周りを取り囲んでいるはず。


「おそらくは、一個大隊……」


 先程から、俺は辺りの騎士達の隊列や行軍の様子を見て、俺達を囲む騎士達の人数にそう当たりを付けていた。


「一個大隊って?クオンの兄貴。それって一体どれほどの人数なんですか?」


 今度は背後から琉大リュウタイの声がする。


 全く耳の良い男だ。思わず口を出た俺の小さな独り言を彼は抜け目なく聞いていたようだ。そういえば確か、あの大雨の日に俺が立てた物音に気が付いたのもこの男だったような気がする。


「俺がいた北の騎士団と同じなら小隊は十人編成。大隊はそれが十集まったものなんだけど。」


「なんと。百人とは……。ちょっと大げさすぎやしませんかね。」


「確かにそうだ。多いとは思っていたがそんなにいるのかよ。いくらなんでも旅の一座に百人の護衛は大袈裟すぎだよなぁ兄貴。」


 呆れ顔の琉大に、あくまでも騎士達を無視するかのように賑やかな琉三の声。普段ならばここで姫も琉兄弟と一緒に騎士達をからかう様な一言でも言いそうなものなのだが……。今日の姫は少し様子が違っていた。


「まったく貴方達は黙ってることが出来ないのかしら?護衛が多いなら私達一座には光栄なことじゃない。」


 姫の少し苛立った様な一言が二人を一瞬で黙らせる。


 その苛立つ彼女の言葉には俺も少し驚いたが、後ろの二人はもっと驚いたに違いない。それ以降、後ろを歩く兄弟は一言も発することはなく大人しく黙ったままだ。


 まぁ、今の状況を考えれば、冗談など言っている場合ではない事は俺にも分かる。しかし意外じゃないか。そういった常識などとは一番程遠いのが彼女だったろうに……。俺は、彼女はいつも奔放で豪胆な緊張などとは無縁の少女だと思っていたのだが……。しかしそれが今はどうだ?俺の横で不機嫌で難しい顔を隠しもしないのだ。


「本当、気にくわないわ。」


 ふと、俺の耳にはそんな彼女の独り言が聞こえた。


 


 いっこうに晴れる気配を見せない霧の中。何処に向かっているのかも分からない俺達の静かな行軍はいつしか大河の脇を進んでいた。


 しばらく川面を左手に進むと、目の前に小さな桟橋サンバシが見えた。その時である。俺達の間をスーッと冷たい風が吹き抜けた。

 

 冷たい風は俺達の視界を遮る霧を吹きとばす。それはほんの一瞬の出来事だったが右前方の景色が一気に晴れ上がり、霧の合間に小高い丘が眩しく朝日に照らされていた。そして、そこには近くの農夫の姿だろうか……明るい丘の頂上に大きな男がこちらを見て立っているのを俺は見た。


 その時。隊列が一斉に速度を上げる。俺は周りの騎士達と合わせて馬に鞭を入れた。気がつけば辺りは再び真っ白な霧に覆われて、先程の丘も今は影も形もない。


 川の流れる音と、馬の蹄の音だけがが響き渡り、そして息が詰まりそうな沈黙。不意に毒姫の声が耳元で聞こえた。いつの間にか彼女が俺の横に馬を寄せている。


「ねぇクオン。気にならない?」


「何がですかお師匠様。」


「まったく鈍感なんだから。周りの騎士様達の様子よ。最初からなんか引っ掛かってたんだけど、さっき隊が速度を上げた時に分かったの。」


 周りの騎士達の様子など、こう霧が深くては分かるわけがない。そう思いながらも俺は注意深く辺りに気を配った。確かに言われてみれば違和感がある。俺は騎士の数ばかりに気を取られていたが、騎士達の密度や俺達との距離感にしたって、まったく俺達が逃げ出す事を想定していない配置だ。


「どう?分かった?この隊列。多分私達を逃さない為に組まれているものじゃないわよ。よく見て。皆んな私達なんかより外の何かを警戒してる。」


 本当だ――。周りの騎士達は明らかに俺達より外から来る何かを警戒している。少し離れて前を進む朝の青年騎士も俺達には全く気を配らずに常に周囲に警戒の視線を送っている。


「ほら。後ろの二人も気が付いたみたい。」


 振り向けば琉兄弟も、騎士達同様に辺りの気配に気を配っている様子。なんとも不甲斐ないが、気が付かなかったのは俺だけのようだ。


「おそらく、この隊は私達をなにかから守ってるわ。」


 そう彼女に言われて俺は、咄嗟にさっき霧の晴れ間に見た光景を思い出した。霧が一瞬晴れた時、丘の上に見えた……あの大男……。


「もしかして……さっき霧の晴れ間で見たあの男って……」


「多分ね。あの男、大きな刀を背負っていたわ。」


 農夫と思ってさほど気に留めてはいなかったが、よくよく思い出してみれば、確かにそんな気がする。そうだ。確かにあの男は俺と同じ大刀を背負っていた。


 その瞬間、背筋に悪寒が走り俺は思わず固唾を呑んだ。これは嫌な予感がする……。


「それって……武蔵坊弁慶……。」


「ええ。大刀の怪人だわ。」

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