第25話 今日は朝からお琴の稽古

 季節は初夏へと移ろうかという頃。今日は朝から頬を撫でる風が心地よい。


 南都ナンバークから少しばかり離れた小さな宿場町は、少し街道を離れると、辺り一面の穀倉地帯となっている。眼の前に延々と広がる水田は、田植えを控えてなみなみと水が張られ、そしてそれはまさに水鏡の様に、真青に晴れ上がった空を田んぼ一面に映していた。


 まだ人通りの少ない早朝。街道より少し離れた大木の木陰で、俺と師匠は商売道具の楽器を広げていた。横には水田に水を引く為の小川が流れて、そこはなんとも穏やかで琴の稽古をするにはもってこいの場所である。


「ほらそこじゃない。右手の中指はニ番を弾いて。左はの七番を抑える。」


 師匠の指導はスパルタだ。毒姫師匠ときたら、本番通りに俺が目を塞いでいるのにも関わらず、少しでも手元が狂うと指先にピシャリと鞭を飛ばしてくる。

 鞭自体は、さほど痛いという訳でもないのだが、こう回数が多いとさすがに気が滅入る。


「師匠。私は目が見えないんですよ。少しは手加減してはもらえませんか?」


 俺がいくらそう泣き言を言っても、師匠は指導の手を緩めることは無い。


「目が見えなくとも楽器は弾けます。まずは体で覚えることが先決なのですよ。それに目を塞いだ状態で意中の場所に指先を動かす練習は武芸の上達にも繋がるのです。ですから、今後の為にも精進して下さい。」


 武芸の為と言われれば、俺もさすがに音を上げるわけにもいかない。再び気を取り直して稽古に励むのだが、やはり一朝一夕には出来ぬもの。


「ほら、左が4番を抑えてます。」


 と、俺はまたすぐに弦を間違えて、再びピシャリと彼女の鞭をその手にもらうのだ。


 楽譜の一番を俺が習い終えた頃には、いつの間にか日も高くなり、ちょうど遅れて俺達を迎えに来た琉大リュウタイ琉三リュウサンが、小川にかかる小さな橋の上から手を振っている。


 いよいよ明日には南都ナンバークの都市部へと入る。店をたたみ二人と合流した俺達は再び気を引き締めて街道を進んで行く。


 相変わらず騎士達の動きは慌ただしい。その日の道中、やはり俺達は街道を行き交う騎士達の姿を幾度か見かけることになった。しかし、この地味な音楽一座に気を止める騎士など一人も居ない。


 日も傾き、目的の宿場町まではあと少し。


 その日、俺達は何事もなく目的の宿場町までたどり着くことが出来たかに思われた……。


 しかし、宿場町の入口で待ち構えていたいたのは、なんと先日俺達に身元を訪ねてきた騎士だった。

 騎士は俺達一座の姿をを見るや、大きな声で我々を呼び止めこちらに向かって歩いてくる。


「いやいや、こちらでお待ちしていればお会いできると思っておりましたが、なんともゆっくりとしておられたようで……やはり楽士ともなると時間の使い方が優雅ですな。」


 男は先日の騎士然とした話し方とは打って変わって、どこぞの大店おおだなの番頭のような口調でそう言った。


「おや、貴方は先日の…。私達一座に何かご用でもお有りですかな?確かあなた方は南都とは逆の方に向かわれた様な気がしたのですが。」


 すかさず前に出て答える琉大。さすがに海千山千の裏世界でやってきた男だ。こういう時は頼りになる。

 

 男は琉大と適当な社交辞令をこなし、話を本題へと移す。しかしその本題とは…


「まぁそれでですね。あなた方を呼び止めたのは、実はうちの騎士団の支部長がですね、あなた方一座を支部長の自宅にお招きしたいと。そう申しておりまして。」


 男はとても柔らかな物腰でそう言った。


 いくら琉大の肝が座っていると言えどもこの男の申し出には彼も肝を冷やさざるを得なかった。もしや俺のことがバレているのか?一同に旋律が走る。


「えっ……」


 男の申し出に、さすがの琉大も不自然に言葉を詰まらせて返事を返すことができないでいる。


「あの……いかがいたしましたか?」


 そう聞き返す相手の男が俺達の事をどこまでを知っているかは分からないが、このまま何も答えなければ完全にこの男に怪しまれてしまうだろう。俺も何かを言おうと思うのだが、下手な言葉を返すわけにもいかず言葉が出ない。横を見れば琉三リュウサンは既に荷車の下に隠してある刀に手を伸ばしていた。俺もそれを見て背負っている琴の袋の紐にそっと手をかけた。


 まさに一触即発のその瞬間。


「まぁ嬉しい。騎士団の支部長様のようなお方が私どものような旅の一座を?よろしいのですか?」


 そう答えたのは毒姫であった。

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