第9話 俺の本当の名前。

 彼女の言ったことは真実なのだろうか…


 でも今はそんな事など、どうでもよかった。


 この時の俺は、団長が俺のことを殺したいほど疎ましく思っていたと知って何故かホッとしていたのだ。


 いや、何故かでは無いな……


 理由はわかっている。俺はこの時やっと「団長を憎んでも良いのだ。」と思えたのだ。


 こちらの世界にイニアとして転生してからと言うもの、俺は本当の父親でもない男を父と呼び、知らない少年の殻を被りながら今日まで生きてきた。


 俺はそんな自分を自嘲しながら斜に構え器用に生きてきたつもりだったのに…いつの間にか養父である団長にあからさまに疎まれても団長を憎まないようにと心掛け、自分を殺しながら騎士団と言う安心にしがみついて生きていたのだ。


 多分、少女の言葉をきっかけに、俺はそんな自分に気が付いてしまったのだろう。




 そしてその時、何故か俺は自分の名前を……


 転生する前の本当の自分の名前を、急に目の前にいるこの高飛車な少女に伝えたい衝動に駆られた。


 それは、多分……


 俺が、この自由奔放な少女に憧れを抱いてしまったからだろう。



 この名前を口にするのは実に13年ぶりだった。


 おそらく、転生を自覚してからは一度も口にした事は無い。


 降りしきる雨のせいで、俺の声がかき消されないように俺は目の前の少女にはっきりとした声で言った。


「さっきの俺の名前、やっぱり間違ってるよ。俺の名前はイニアじゃないんだ。本当の俺の名前は一ノいちのせ九恩くおんって言うんだ。」


 団長の名前を聞いてからしばらく黙り込んでいた俺が、急に話し始めたと思えば、本当の名前だなんて彼女はびっくりしたかもしれない。

 しかし、彼女は何も言わずに俺の名前をちゃんと聞いてくれた。



「イチノセ…クオン?」


「そう。一ノ瀬九恩だ。」


「わかった。それが貴方の本当の名前なのね。なんだか珍しい名前だけど何処の地方の名前なの?」


「遠い国だ。もう戻れないけどな…」


 少女は少し不思議そうな顔を見せたが、俺の言葉を一つも疑ったりはしなかった。そしてそんな彼女の態度が……心の底から嬉しかった。


「ちょっと良く分からないけど、分かったわ。それで私はあなたの事を何て呼べば良いのかしら…イチノセ?それともクオン?」


 俺は彼女の問に迷いなくこう答えた。


「クオンって呼んでくれ。これは俺の本当の両親が俺のために考えてくれた名前なんだ。」


「わかったクオンね。じゃぁ私の事は姫って呼んでちょうだい。本当は姫の前に一文字入るんだけど私は気に入ってないの。だからお願い。姫って呼んで。」


「よしわかった。じゃあ姫。気を取り直してそろそろ飯にするか。」


 そう言って俺は荷物の入った袋に手を伸ばした。確か昨日宿場で調達しておいた餅があったはずだ。


「やったぁ。なんか食べ物持ってるんだ。」


「あぁ、餅がいくつかあったはずだ…それと姫に言って置かなければならない事がある…」


「?」


 そりゃ意味は分からないだろうがそれでも構わない。俺が言いたいんだ。


「どうも、有難う。」


「え?私、なにかしたっけ?昼間のことかしら…」


「いや、ついさっきだ。君にはその気は無かったかもしれないけど、君は俺に大事なことを思い出させてくれたんだよ。」


 彼女は終始意味がわかっていなかった様子だったけど、わざわざ説明することも無いだろう。


 よし、今日でイニアの名前は捨てよう。もう一度、今から一ノ瀬九恩として生きていこう。


 少女は俺に自分の本当の名前を思い出させてくれたのだ。




次話


『小悪党三人組まんまと罠にはまる』

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